フィッシャー・キング(1991年アメリカ)

The Fisher King

うん、これは良い映画だ。

85年に『未来世紀ブラジル』を撮った、奇才テリー・ギリアムが大都会ニューヨークを舞台に、
かつて過激な発言で人気を博していたラジオDJが、自身の軽率な発言をキッカケにして、
大量虐殺事件が発生してしまい、自責の念に囚われてアルコールに溺れた毎日を過ごし、
ダウンタウンのレンタルビデオ屋の女性店主と同居していたところ、ひょんなことから事件の被害者の遺族と出会い、
再び自責の念からホームレスになっていた遺族の男性に良いことをしようと尽力する姿を描いたユーモラスなドラマ。

当時、ハリウッドでも人気俳優だったロビン・ウィリアムスとジェフ・ブリッジスの共演ですが、
予想外なほどに二人のコンビは抜群に良く、特に二人ともセントラル・パークで全裸で芝生に横になる、
エンド・クレジットにつながるラストシーンは映画史に残る素晴らしさと言っても過言ではないと思う。

この辺はテリー・ギリアムの映像センスも抜群で、
ニューヨークの夜が見せる街の表情を、さり気なく上手く生かし、見事なコントラストを表現できている。
やはりテリー・ギリアムは夜を映すのが上手い映像作家で、本作も個性的でありながらも、どこか暖かい。
クライマックスでジャックが忍び込むエピソードは『未来世紀ブラジル』を思い出させる演出でしたが、
本作では一つ一つのシーンでファンタジーを描こうとした結果、見事な調和をとっているように思う。

それと、映画の中盤にある、とある駅構内のシーンが印象的で、
恋する女性が駅の中で雑踏をかき分けながら、ゆっくり歩いてくるシーンは素晴らしく、
いつの間にか通行人が舞踏会のように踊り始めるというファンタジーが、まるで映像マジックのような美しさだ。

まぁテリー・ギリアムは元々、イギリスのコメディ・グループモンティ・パイソン≠フメンバーであり、
そのときのシュールなセンスが彼のイメージとして定着していたせいか、ずっとその幻影と闘っていたと思うのですが、
おそらく本作あたりから、完全にモンティ・パイソン≠フイメージを脱却できたのだろうと思いますね。

ただ、完璧な映画ではないと思う。どこか、無理矢理、ウェルメイドな仕上がりを目指した感があって、
例えば『未来世紀ブラジル』に魅了されたファンからすると、本作はどうしても物足りないだろう。

その見地は間違っていないと思うし、テリー・ギリアムの映画に何を求めるかで、大きく意見が分かれるだろう。
でも、僕は前述したようにテリー・ギリアムがモンティ・パイソン≠ゥら決別を宣言できたという感触があって、
彼にとって映画とはシュールさ、奇怪さが全てではないとする決意が、よく出た内容になっていることに価値はある。

これはロジャー・プラットという有能なカメラマンがいたからこそ成しえたことなのかもしれないが、
突然、セントラル・パークでロビン・ウィリアムスが全裸になって踊り始めるシーンにしても、
なかなか簡単にはできない、どこか突き抜けた部分がある点に於いても、テリー・ギリアムなりに自由な演出を感じる。

カメオ出演ですが、キャバレー・シンガーを目指す中年のオッサンとして、
03年に急死したマイケル・ジェッターや、“酔いどれ詩人”として活躍するトム・ウェイツなど、見どころも満載だ。
とは言え、本作で大きく貢献したのは、やはりパリーを演じたロビン・ウィリアムスと、ビデオ屋の女性店主を
演じたマーセデス・ルールでしょう。ちなみにマーセデス・ルールは見事、オスカーを獲得しました。

前述したセン・トラル・パークで全裸になって踊り出すシーンは勿論のこと、
恋する女性リディアの暮らすアパートの入口で、彼女に思いを打ち明けるシーンは彼の名演なくして語れない。
こういうシーンを観ると、彼の芝居は賛否両論でしょうけど、やはりとっても良い役者ですね。
残念ながら、2014年に自殺してしまいましたが、ホントにもっと長く活躍して欲しかったと思うと、悔しいですね。

オスカーを受賞したマーセデス・ルールも素晴らしい存在感。
ジェフ・ブリッジス演じるジャックが何故に一旦、彼女のもとを離れたいと主張したのか、
その理由がよく分からないほど、彼女はいろいろな意味で包容力があって、魅力ある女性だと思う。

そんなキャラクターの良さを生かした作品になっていて、
テリー・ギリアムが本来的に本作で描きたかったことが、しっかり描けているのではないでしょうか。

過激なトークを売りにしてラジオDJとして人気を博していたジャックという男は、
完全に調子に乗っていて、自分の発言にも責任を持つなんて感覚なく、ただひたすら過激なトークをすれば、
番組の聴衆率は上がると、儲け主義を前面に出した生き方でしたが、それが彼を破滅させる原因となります。
過激なトークにも中身があれば変わっていたのでしょうが、上昇志向の強いジャックからすれば、
ただ単に過激なトークで話題を盛り上げることに目的があって、深く考えていたわではありません。

それがトンデモない事件の引き金となってしまったことを考えると、
当然、ジャック自身はショックを受けるわけで、第一線から退くことを余儀なくされるのですが、
本作でのテリー・ギリアムはそういった失敗者を救済するために、必要な“気づき”を描いていると思うのです。

言ってしまえば、これはとっても良い話しです。
お世辞にも善人とは言えなかった元ラジオDJが、どう立ち直るかを描いているわけで、
その過程として事件の被害者の夫を救ってあげたいと、時間の多くを費やすことで、彼の魂は救われていきます。

こういうのを観ると、やっぱりテリー・ギリアムって人間を描きたい映像作家なのだろうと思う。
特に本作では、映画全体としてのバランスの良さも相まって、とても暖かい映画に仕上がっている。

まぁ、こういうテリー・ギリアムは好きじゃないという人もいるだろうけど、
基本的には彼は本作のような映画を志向して創作活動を続けてきたのではないかと思います。
そのことを考えると、ひょっとすると本作は彼にとって一つの到達点であったのかもしれません。

テリー・ギリアムのダークな世界観でクレージーな世界観が好きな人には、
否定的な意見もあるだろうと思うけど、僕は本作こそ、彼の理想郷に近い映画だったのではないかと思う。
だからこそ、彼は当初から用意されていたシナリオをほぼそのままアレンジせずに映像化しており、
唯一、彼が考えたことを具現化させたのは、駅のダンスシーンだというから、全てが上手くいった映画という感じだ。

正直なところ、最初に観たときは、そこまで印象が良くなかったのですが、
何度か観ていくうちに、その魅力に魅せられていくような作品で、段々、気に入った不思議な一作だ。

(上映時間137分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 テリー・ギリアム
製作 デブラ・ヒル
脚本 リチャード・ラグラヴェネーズ
撮影 ロジャー・プラット
音楽 ジョージ・フェントン
出演 ジェフ・ブリッジス
    ロビン・ウィリアムス
    マーセデス・ルール
    アマンダ・プラマー
    キャシー・ナジミー
    デビッド・ピアース

1991年度アカデミー主演男優賞(ロビン・ウィリアムス) ノミネート
1991年度アカデミー助演女優賞(マーセデス・ルール) 受賞
1991年度アカデミーオリジナル脚本賞(リチャード・ラグラヴェネーズ) ノミネート
1991年度アカデミー作曲賞(ジョージ・フェントン) ノミネート
1991年度アカデミー美術賞 ノミネート
1991年度ロサンゼルス映画批評家協会賞主演女優賞(マーセデス・ルール) 受賞
1991年度ゴールデン・グローブ賞主演男優賞<ミュージカル・コメディ部門>(ロビン・ウィリアムス) 受賞
1991年度ゴールデン・グローブ賞助演女優賞(マーセデス・ルール) 受賞