ファーザー(2020年イギリス・フランス・アメリカ合作)
The Father
上から目線な感想で申し訳ないのですが...これは大変感心した。出色の出来と言っていい作品だ。
81歳を迎え、認知症を発症した主人公が目まぐるしく、目の前の現実が状況変化するように思え、
混沌として周囲から理解されなかったり、面倒を看てくれていた娘が離れていく不安を描いたドラマ。
これは誰しも晒される可能性のある現実だ。実際の認知症がこんな感じなのかは、僕には分からない。
ただ、以前、亡き祖父がアルツハイマー性の痴呆症を患って身近で見ていたこともあり、どんなことを言い出したり、
不安そうにするかということは、それなりに知っているつもりなので、本人からするとこう見えるのかもとは思った。
ただ、祖父の場合は孫である自分のことを忘れることはなかったが、抑えが利かないような感じで突拍子もないことを
発言したり、現実的にあり得ないことを言ったり、幻覚めいたものが見えていると言ったりしていたので、
一口に認知症・痴呆症と言っても、症状や患者本人の感じ方は千差万別で個人差はかなり大きなものなのでしょう。
本作の主人公は、まだ自分自身で「何かがおかしい・・・」という自覚がある状態に見える。
勿論、その自分自身に起こった“変化”に戸惑ってはいるけれども、症状が顕在化して周囲が気付いたときは、
もはや自分に起こっている異変の自覚がないというケースもあるし、失踪に至ってしまうケースがあるくらいです。
僕はこの映画、いつか自分自身にも怒る可能性があることという意味での怖さもあるにはありましたが、
このトリッキーなシチュエーションの変化が連続する構成を次々と見せられることに、スリラー映画の雰囲気を感じた。
こういった感覚こそが認知症を発症された方々が、ダイレクトに感じる恐怖心なのかもしれないという説得力がある。
監督のフロリアン・ゼレールは元々、劇作家とのことではありますが、確かに自宅の中と言う閉鎖的な空間を舞台に、
まるで舞台劇のような感覚があることをベースとしながらも、娘役の女優を入れ替えたりと巧みに工夫して撮っている。
何よりこの編集は素晴らしいと思う。個々のつながりが実に自然で、その配列も的確なものである。
劇作家として培った経験も、映画の中で良い方向に生かしていて、家族の無理解な部分なんかもヒリつくような
冷淡な感覚を持って描いており、違和感ない程度に演劇の要素を採り入れながら描いている。このバランスが良い。
主人公が具体的にいつから認知症を発症したのかは分からないけれども、
おそらくチョットした、「あれっ!?」ってことが日常生活の中で頻発するようになって、不安になるのでしょう。
しかし、自分自身が“変化”していることを自覚できない場合は、それが感情的になることに追い討ちをかけて、
時に怒り出したり泣いてしまったり。私も簡単に「家族や周囲の無理解」と前述してしまいましたが、それは第三者が
そう言ってしまうことは簡単なもので、誤解を恐れずに言えば、認知症の方の面倒を看ることは容易なことではない。
少なくとも日常生活の中で、家族の力だけ看ていくことなどは不可能と言っても良く、
本作でも描かれたように、ある程度のところで施設に入所させることを検討することは、ごく一般的なことだろう。
難しい社会問題にもなっていますが、超高齢化社会に突入する日本にあたっては介護のリソースも無限大ではない。
軽度な認知症であれば・・・と自宅で面倒を看ている人もいるでしょうから、本作からはいろんなことを考えさせられる。
2度目のアカデミー主演男優賞を受賞したアンソニー・ホプキンスは撮影当時、
既に82歳という高齢でしたが、やっぱりこの世代の80代は若いですよね。一昔前なら、あり得なかったことです。
劇中でも81歳の認知症を発症した高齢者という設定ですけど、普通に若く見えますよね。しっかり演技しているし。
不安や猜疑心を表現した、彼の表情一つ一つが映画を下支えしていることは確かで、良いキャスティングでしたね。
日々、症状が悪化していく父を目の前にして、娘の立場からしても不安に想い悲嘆に暮れてしまう。
しかも同居している彼女の夫は、冷淡な態度をとり酷い発言をすることを目の前にして、より彼女も孤独化していきます。
そんな娘の立場を察してか主人公も心情的に暗くなっていく。とは言え、娘が手配した介護に来る他人には悪態をつく。
これだけの高齢者になって家に閉じこもっていると、もう他所者を受け入れることは難しいのだろう。
本作はそんな介護の難しさにも触れていて、タップダンスを見せたり若い娘に陽気に振る舞う異様さから、
突如として主人公が感情を剥き出しにして、彼女に酷い言葉をかける姿を描く。この豹変ぶりが、なんともホラー。
でも、認知症を発症すると尚更こうなってしまうのですよね。感情のコントロールも難しくなっていく印象はあります。
欧米でも高齢者を介護していく難しさについては、半ば社会問題化しているのかもしれませんね。
どんなに憎くても、何歳になっても親から見ればカワイイ娘だろうし、父は父なのは当然。
そこに親子愛は当然あるのだけれども、目の前にのしかかる問題を親子愛を盾に無視できるわけでもない。
エスカレートすれば、時に事件に発展することもあるくらい、介護は難しいことになる。親が長生きすれば、尚のことだ。
日本では話題となりますが、これが老老介護ともなると余計に大変な状況になりますね。
介護する側が高齢となると、何でも出来るわけではないし、場合によっては介護者が認知症になることもある。
映画は作り手が描きたいことをピンポイントに描いており、必要最小限にシェイプアップされている。
それも含めて脚本や編集が評価されたのでしょうが、やはり認知症患者の観点から描いた作品というものが
希少であるという点でも優位にあったのでしょう。時代が違えば、こんな内容でもなかったのかもしれませんが、
高齢化社会が進めば、より興味を惹き易い題材なのかもしれません。ただ、敢えて言わせてもらうと、
これは内容的に今現在、介護に悩んでいる人には向かない作品です。決して明るくなれる内容ではないので。
フロリアン・ゼレールも観客の感情移入や共感を求めていたわけではない気がするのですが、
やはりアンソニー・ホプキンスの真に迫った芝居のおかげで、認知症の家族と向き合う現実を生々しいものにしている。
一方で介護者の苦悩が描かれているのも見逃せない。娘役のオリビア・コールマンが瞬間的に悪魔的な発想が
頭に浮かび衝動的に行動に移すというのも、直視し難い部分ではあるものの、これもまた介護の現実だろう。
娘の顔が変わったり、娘やその夫(義理の息子)だと思っていた人物が老人ホームの職員だったり、
自分の家だと思っていたら、実は娘のアパートの一室だったり、そうかと思えば目覚めた部屋が老人ホームだったり。
朝だと思っていたら、実は夕飯の前だったりと、場所感覚・時間感覚が無くなり、記憶力も衰えていきます。
以前、心理学で習いましたが記憶には2種類あって、短期記憶と長期記憶があります。
双方、全く記憶の仕組みが違っていて、脳の働きも異なるようですが、一般に老化により短期記憶が弱くなります。
特に認知症を発症すると、短期記憶が極端に弱くなり、長期記憶も引き出しにくくなり、家族との記憶も無くなってしまう。
よく聞く話しですが、妻や夫、子どもであっても分からなくなってしまい、家族もその現実にショックを受けてしまいます。
自分の祖父はそこまで症状が進行する前に、病気で他界してしまったので
認知症が顕在化して日常生活を一人で遅れなくなってから、1年と経たずに亡くなりました。最後まで自分のことを
しっかりと認識していて、たくさん話しをしましたが、自分のことを認識できなくなっていたらと想像すると、ツラいですね。
これはショックを受けて当然のことだと思います。ましてや自分の親であれば、尚更で「ついにか・・・」となるでしょうね。
祖父の異変は、ある朝突然やってきました。何故か、とある日の早朝に親切な新聞配達員から
私の携帯に連絡が入ったのです。「マンションの1階のベンチで、寝巻のまま座っている」と。手に持っていた手帳に
孫の携帯番号があるから、ここに電話してくれと祖父が申告したようです。何故、私だったのかは分かりませんが(笑)、
たぶん身内では自分が一番、祖父と出掛けたりしていましたし、30歳になっても頻繁に会っていたからでしょう。
部屋番号を伝え、新聞配達員には祖父を部屋に入れてもらい、早朝マンションに見に行きましたが
寝ていたようなので、あとは母に電話して託しました。すると、部屋の中は物が出しっ放し、電気も点けっ放しで
どうやら、数日間で色々と“決壊”して昼夜逆転した生活を送っていたようでした。あの朝は未だに忘れられません。
ある意味では不条理サスペンスのようではあるけれども、その複雑性にスポットライトを当てた
作り手の着想は素晴らしかったと思います。僕も思わず、「こういう映画もあるのかぁ!」と感心させられました。
この映画のアンソニー・ホプキンスの姿を観て、僕も何故か祖父の出来事を思い出してしまいました。
今度は自分の親世代が、そんな年頃に差し掛かってくるので、なんだか身につまされるようでもありますね。
そして年月が過ぎ、やがて自分自身が認知症になることがあるかもしれません。その時は冷静でいられるだろうか?
個人的にはあんまり深く考えこんじゃようなタイプのシリアスな映画は苦手なんだけれども、
本作は実に高齢者を介護するということを、高齢者の視点から描いた希少な作品として高く評価されるべきと思う。
(上映時間97分)
私の採点★★★★★★★★★☆〜9点
監督 フロリアン・ゼレール
製作 フィリップ・カルカソンヌ
デビッド・パーフィット
ジャン=ルイ・リヴィ
クリストフ・スパドーヌ
サイモン・フレンド
脚本 クリストファー・ハンプトン
フロリアン・ゼレール
編集 ベン・スミサード
編集 ヨルゴス・ランプリノス
音楽 ルドビゴ・エウナウディ
出演 アンソニー・ホプキンス
オリビア・コールマン
オリビア・ウィリアムズ
マーク・ゲイティス
ルーファス・シーウェル
2020年度アカデミー作品賞 ノミネート
2020年度アカデミー主演男優賞(アンソニー・ホプキンス) 受賞
2020年度アカデミー助演女優賞(オリビア・コールマン) ノミネート
2020年度アカデミー脚色賞(クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール) 受賞
2020年度アカデミー美術賞 ノミネート
2020年度アカデミー編集賞(ヨルゴス・ランプリノス) ノミネート
2020年度イギリス・アカデミー賞主演男優賞(アンソニー・ホプキンス) 受賞
2020年度イギリス・アカデミー賞脚色賞(クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール) 受賞
2020年度ロサンゼルス映画批評家協会賞編集賞(ヨルゴス・ランプリノス) 受賞
2020年度ボストン映画批評家協会賞主演男優賞(アンソニー・ホプキンス) 受賞
2020年度フロリダ映画批評家協会賞主演男優賞(アンソニー・ホプキンス) 受賞
2020年度サンディエゴ映画批評家協会賞脚色賞(クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール) 受賞
2020年度ネヴァダ映画批評家協会賞脚色賞(クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール) 受賞