家族ゲーム(1983年日本)

1981年に発表された同名小説の映画化。

次男の高校受験に振り回される家族の様子を、それまで殺伐とした雰囲気であった家庭内に
次男のクラス内順位を上げると、報酬がアップするという確約を取りつけた大学生の家庭教師が踏み込み、
どこか湿っぽくも、シニカルでダークな笑いと、どこか狂気的かつ暴力的な空気をもって描いたブラック・コメディ。

今や生前の松田 優作の代表作の一つとして有名でもありますし、
後にテレビドラマ化されたこともあって、どこかカルト的人気を誇る、80年代日本映画を象徴する一作でしょうか。

僕はこの映画、30代後半になるまで観たことがなく、今回初めて観ましたが、面白かったですよ。
これまでの森田 芳光の作風と、僕の勝手なイメージはまるで違っていたのですが、これは衝撃的と言っていい。
当時、森田 芳光は33歳で本格的に映画監督としてデビューして間もない頃の監督作品だなんて、
チョット信じられないくらいの毒っ気で、これはリアルタイムで観ていたら、かなり衝撃を受けたことでしょう。

これはトンデモなくシュールなのですが、それが嫌味にならないから不思議な作品だ。

少々焼き過ぎた目玉焼きがでてきたら、「(黄身の部分を)チューチューできないだろ」と憤る父親、
次男が明らかに学校でいじめられ、精神的に難しい年頃を迎えているのに、全てが見て見ぬふりになる母親、
中学校時代に頑張って難関高校に中学したものの、完全に高校入学がゴールになりつつある長男、
そして、学校ではいじめられ、思春期ならではのことが気になり、自分の世界に没頭しがちな次男。

この家族、それぞれが違うベクトルを向いていて、家族愛などあったものではない。
ハッキリ言って、ただの同居人である。いわゆる家族ではないとしか、僕には思えなかった。
だからこそ、この映画のタイトルが『家族ゲーム』なのだろう。いわゆる“ごっこ”という感覚に近いのです。

1980年代初頭の日本の、平凡な家庭に敢えてスポットライトを当てた貴重な作品だ。
既に高度経済成長期を終えつつあり、むしろ日米関係は貿易摩擦により、日本はバブル経済を迎えつつありました。

東京オリンピック、大阪万博を終え、日本の生活水準は急激に向上し、
日常生活やライフスタイルの欧米化を一気に進み、学生運動、オイルショックなど闇の歴史も重ねてきました。
団塊の世代が社会の中心的存在になりつつある頃であり、その子供世代は受験戦争を迎えつつあった時代です。

おりしも1980年代半ばにあたって、日本は学校教育の現場でも校内暴力は全盛期。
受験戦争は加熱化し、当時の日本は色々と大変な時代に差し掛かりつつあった頃ではないかと察します。
どちらかと言えば、本作で描かれるのは、感情湧き上がる内容というよりも、家族の空虚な空気感を表現しています。
当時から話題となった、集合住宅のアパートの居間で、長い食卓テーブルを横一線で家族が食事をする異様さ、
別に会話がないわけでもないが、お互いの表情を見ずに気持ちの入らない会話をして、お互いを確かめ合う。
(これはこれで、“ソーシャル・ディスタンス”のパイオニアなのかもしれませんが・・・)

映画の終盤にも、全員で夕食を食べるシーンがありますが、
最初はやたらとガッツくのですが、次第に食べ物を両手で投げたりとメチャクチャになる様子がカオスだ。
賛否があるだろうが、このラストのカオスこそ、本作が抱える狂気であり、スタイルである。

主人公となる、松田 優作演じる首都圏の“たいしたことのない”大学で、
留年しまくっているのか7年目とされる学年を迎えつつある家庭教師も、いい男だが、どこか湿っぽくて気持ち悪い(笑)。

家庭教師を務める途中でも、ワザと小言を囁くように次男に顔を異様に近づけて話す。
まるで次男の頬を舐めるのではないかと心配になるくらいの勢いで喋っているので、強烈なインパクトがある。
この映画の森田 芳光は、明らかにこの松田 優作の得体の知れない不気味さを、上手く利用していると思うのです。

緊張を表には出さないように努めているが、明らかに動揺したり、
図星のことを指摘されると、水だろうがジュースだろうがお茶だろうがお酒だろうが、指を震わせながら一気に飲み干す。
次男への暴力を母親から疑われそうになったときに、「お母さん。これはマズい。カルキ臭いですよ」と言い放つ姿は、
まるで殺人鬼のような態度で、その雰囲気を押し通すだけの眼力と、オーラがスゴい。画面いっぱいに漂っています。

そんな松田 優作に家庭教師を依頼する沼田家の主(あるじ)を演じた伊丹 十三も強烈だ。
映画の中では終始、どこかシュールな存在ではあるのですが、常に子供たちの進路に意見を挟み、
高学歴志向を押し通す。しかし、家庭内学習はじめ、子供たちの生活態度や学校生活は妻に任せっきり。
如何にも昭和な対応ですが、こう言ってはナンですが...この時代は当たり前な家庭だったのだろう。

また、夜な夜なコソコソと“密談”をするためにエンジンをかけた車に行くのも、なんか昭和だ(笑)。
で、車ん中で何をするのかと思いきや、どうでもいい雑談をタバコを吹かしながらボーッとした顔でかわす。
この如何にも寒そうな夜に、車の中が熱気ムンムンで煙たい空気がこもったような如何にも体に悪そうだ。

まぁ、時代はイケイケドンドン!の時代だったかとは思いますし、
今よりもずっとエネルギッシュな時代ですけど、どこか社会の荒波に疲れ、ドロップアウトしかけた危うさを感じる。
実際に伊丹 十三演じる父親は、仕事に疲れたということで子育てには一切関わっている様子はなく、
ただただ子供のしつけがなってないだの、と評論家のように文句を言うだけで、現実に関わろうとしない。
口だけと金さえだしておけば、問題は解決するもので、解決できないのはヤル気がないせいと言わんばかり。

そんな古い価値観を押し付けられ、日常の生活に追われて疲れ果ててしまったような母親。
子供を愛する気持ちは強いものの、思春期を迎え反抗的な態度をとる息子の現実に、戸惑いを隠し切れない。

結局、この夫婦もどこか自分で問題を解決しようという気概は無く、
誰かが問題を解決してくれるのを待っている感じで、最後は力技で解決しようとしてしまう。
結局、これは問題解決を先送りするかのような手段で、映画はこの夫婦の心理描写も巧みに描けている。

色々と手を打ったつもりでも、結局、元に戻る。
それは何かやろうとすると、ホントはゴールではないのに、やったということがゴールになってしまう。
難関高校に合格した長男、そして受験に合格すれば“燃え尽き症候群”のように元に戻る次男に象徴されている。

そうであれば・・・と、次にテコ入れを宣言する父親。この家族は、家族ではなく敵同士のよう。

食事のシーンにしても、決して一家団欒という雰囲気ではなく、
ただ黙々と、目の前の食事を半ば義務的にかき込んで、飲み込むという食欲を満たすためだけに見える。
だからこそ、この家族の食卓は対面にせず、美味しそうに食事が映ることもなく、ただ淡々と食事をしたら終わり。
そう思って観ると、一人ひとりの食事スペースも異様に狭く見え、お互いに肩をぶつけ合って食べている。

文字通り、これは“家族ゲーム”...若しくは“家族ごっこ”を描いている映画である。
映画は全編とてもシュールな描写に満ち溢れた作品であり、80年代日本映画を代表するカルトな内容だ。

残念ながら森田 芳光も松田 優作も伊丹 十三も他界しまいましたが、
今も古びない、とても斬新な作品だと思います。おそらく本作から伊丹 十三は大きな影響を受けており、
彼の監督作で人間の欲求として、食欲を強調して描く理由は本作からの影響があるのではないかと思います。

(上映時間106分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 森田 芳光
製作 佐々木 志郎
   岡田 裕
   佐々木 史朗
企画 多賀 祥介
   山田 耕大
原作 本間 洋平
脚本 森田 芳光
撮影 前田 米造
美術 中沢 克己
編集 川島 章正
出演 松田 優作
   伊丹 十三
   由紀 さおり
   宮川 一朗太
   辻田 順一
   松金 よね子
   戸川 純
   阿木 燿子
   清水 健太郎
   岡本 かおり