ダーティハリー3(1976年アメリカ)

The Enforcer

クリント・イーストウッドの代名詞的、人気刑事映画シリーズ第3弾。

結果的にこのシリーズは第5作まで製作されるのですが、
本作は他作品とやや系統が異なる作品というイメージで、やはり女性刑事ムーアと
コンビを組まされるハリー・キャラハンという設定がユニークで、違った意味で面白い映画ではあると思います。

個人的にはハリー・キャラハンは冷徹・非情に徹しきれないところが
刑事映画の主人公としてのカリスマ性という点で、私の嗜好に合わない部分があるのですが、
本作のハリーはシリーズで最も人間臭いというか、人情味がある。なんせ最初は否定的な態度で接していた
ムーアに自ら「ビールでもどう?」と誘い始めるし、「相棒と親密になるのは避けたい」と吐露するのである(笑)。

ある意味で、ハリーが完全に情に流されつつある状況を説明するシーンですけど、
私はここまでいくと、逆に従来の『ダーティハリー』シリーズとはまるで違うものとして、魅力的に映りました。
だからこそ、映画のクライマックスでハリーは感情を爆発させればよいのに、ここで突然、いつものハリーに戻ります。

あんまりこういうことを言うと怒られるかもしれませんが、
個人的にはこの映画の企画自体、フェミニズムへのけん制でもあったのかなとは感じます。

そもそもハリーのキャラクターというか、
ある意味、イーストウッドの映画は全てに共通して言えるところですけど、女性だからと遠慮するわけでもなく、
悪を倒すためにはまるで手加減などしない、強い正義を押し通すために、女性キャラクターをどう描くか、
という点に於いては、当時は課題があったと思います。そんな中、当時の社会情勢もありフェミニズムの台頭を
映画の中でどう描くかということが、当時の作り手が葛藤するテーマとしてあったのではないかと察します。

今更、これをとやかく批判するつもりはありませんが、
ハリーは最初から“女性には無理だ”という雰囲気アリアリでムーアと接しているし、
口述試験でもハリーはいわゆる圧迫面接を強行する。良く言えば頑固だが、当時のフェミニストから見れば、
決して好ましい男性像ではなかったでしょう。そんな中で、作り手がどう女性の相棒を描くのか興味深いところで、
「相棒と親密になるのは避けたい」と唐突に言っちゃうあたりがハリーらしいと言えばハリーらしいですけど、
少なくとも前2作までには、まるで触れる気がなかった女性刑事の活躍に、深く肉薄した作品です。

もっとも、この映画で描かれるハリーはムーアに厳しく接する根底には、
女性蔑視とか差別といったことではなく、「やるからには性別関係なく台頭に扱う」ということなのですが、
当時のフェミニズムの活動はかなり活発だったそうですから、本作がどう映ったのか興味深いところです。

既に自ら監督兼主演といった企画を多くこなしていたイーストウッドでしたが、
本作では初監督となるジェームズ・ファーゴにメガホンを取らせています。映画の中で描かれる、
物理的な破壊というのは本作あたりから格段に増えたように見えますけど、映画の出来としては無難なところ。
ムーアの存在が根強いシリーズのファンの中で、賛否両論であったためか、本作はあまり評価されなかったけど、
僕はむしろ、少し間隔を空けて復活した第4作以降の方が、かなりキビしい内容に見えたのでね・・・。

クライマックスのアルカトラズ刑務所でのアクションもコンパクトに上手く描けており、
見どころもキチッと用意される器用さが感じられて良い。そして、予想外に映画の中盤で描かれる、
サンフランシスコの住宅に逃げ込んだ黒人をハリーが追いかけていくシーンが面白かったですね。
このシーン演出は第1作でハリーがサンフランシスコの公衆電話めぐりをさせられるシーンに匹敵する面白さ。

しかし、この映画で描かれる人民革命軍団は結構、過激かつ残虐な連中で
偶然出会って引っかけたガス会社サービスマンをいきなり殺しちゃうし、弾薬保管倉庫に忍び込むために、
警備員を殺害して忍び込んで弾薬を奪った挙句、発見した刑事も殺しちゃうという極悪非道な連中だ。

だけど、やっぱり第1作の“サソリ座の男”と比較すると、まったくインパクトが弱い。
もっと映画の中で大暴れさせても良いし、何より観客のストレスになる存在でなければならないのです。

ところが、本作はまったく人民革命軍団の手段を選ばぬ恐ろしさを強調することなく、
どちらかと言うと無難な描き方をしてしまう。せっかくサンフランシスコ市長を誘拐して、
サンフランシスコ市警を脅迫するという手段をとるのに、アルカトラズ島でのアクションで済ますのは勿体ない。
勿論、アルカトラズ島でのアクションは良く描けているのに、人民革命軍団のインパクトは強めず終わってしまうのです。

結局、この映画で一番のインパクトを残すのはムーア刑事となってしまうわけで、
それはそれでシリーズの特性から言うとユニークなんだけど、なんだか刑事映画としては勿体ない。
もっともっと、悪党をしつこく倒し難い存在として描かなければ、映画は盛り上がらないと思うんですがねぇ。

相変わらず権力には反抗するというハリーの基本スタンスがあるのは良いですね。
表彰されるということで記者会見直前に、市長と上司にタンカ切って出てくるし、クライマックスでも
市長から「命の恩人だ」と絶賛されながらも、冷たくあしらい、その場を立ち去ってしまう。
こういったハリーの姿にはポリシーが感じられるぐらいで、権力には媚びない清々しさがあります。
(でも、イーストウッドは本作の10年くらい後にカーネル市の市長になって、地方行政に携わりましたが・・・)

ちなみに何故か本作の音楽はジェリー・フィールディングが担当している。
『ダーティハリー』シリーズの音楽と言えば、ラロ・シフリンなはずなんですが、本作だけ違っています。
とは言え、まるでラロ・シフリンの音楽と錯覚させるぐらい、ハイセンスな音楽を聴かせてくれます。

この頃のハリウッドは、まだ映画がヒットしたらシリーズ化の企画が
セットでついてくるような時代ではなかったのですが、本作は10年以上に及ぶシリーズになりました。
そういう意味では、当時のプロダクションでは“007シリーズ”と似たようなような位置づけだったのかもしれませんね。

不思議なことに、5作全て監督が異なるのですが、
本作が唯一、イーストウッドと馴染みのあるディレクターが撮ったということではなく、
新人監督に任せたという珍しい作品になりましたが、その期待には見事に応えたと言っていいと思います。
映画は少なくとも平均点レヴェル以上の出来です。ただ、頭を切り替えて観た方が、ずっと楽しめるでしょう。

ところで、クライマックスでハリーがバズーカをブッ放すシーンがありますけど、
いくら事前に説明会を聞いていたとは言え、いきなりあのシチュエーションで標的を仕留めるのは話しに無理がある。

確かにマグナム44を自在に扱うことができる能力と、反動を受け止める屈強な身体があるから、
あのくらいのバズーカなら朝飯前ということなのかもしれませんが、この辺はもう少し上手く描いて欲しかった。
あの説明会で訓練で撃っているのを見るだけで、できるようになるのであれば苦労はないでしょうね。

何はともあれ、私はまったく見どころのない映画だなんてことはないと思います。
少なくとも、このシリーズが苦しい感じになったのは、本作の後だと思います。

(上映時間97分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 ジェームズ・ファーゴ
製作 ロバート・デイリー
脚本 スターリング・シリファント
   ディーン・リーズナー
撮影 チャールズ・ショート
音楽 ジェリー・フィールディング
出演 クリント・イーストウッド
   タイン・デイリー
   ハリー・ガーディノ
   ブラッドフォード・ディルマン
   アルバート・ポップウェル
   デヴェレン・ブックウォルター
   ジョン・クロフォード
   ジョン・ミッチャム