エレファント・マン(1980年アメリカ・イギリス合作)

The Elephant Man

19世紀末、実在したジョセフ・メリックという青年の数奇な運命を描いた悲劇的なドラマ。

今も尚、異彩を放つ映像作家である鬼才デビッド・リンチが、
76年に撮ったデビュー作『イレイザー・ヘッド』に続いて手掛けることになった話題作で、
元々は舞台劇向けに書かれたシナリオだったのですが、これは確かに映画向けの題材ですね。
当時からしても、異色なアプローチだったのですが、敢えて白黒で撮影したことも大正解でしたね。

この映画で描かれるジョン・メリックは、産まれて間もない頃に奇形児であったことから、
捨てられながらも外見からのコンプレックスに悩みながらも育ち、見世物小屋で見世物として扱われ、
偶然、見世物小屋でメリックを目撃した医師トリーブスに保護される形になり、一時期の平穏を得るものの、
次第にメリックに優しく接することがステータス化し、メリックと歓談する人々が次々と訪れる現実に、
歓談を勧めるトリーブス自身も、次第にメリックを見世物のように扱っているのではないかと自問自答します。

しかし、メリックは自らの外見に強いコンプレックスを持っており、
更に見世物小屋で強制労働させられ、人々の奇異な視線に晒されていたという過去があるからこそ、
例え偽善であったとしても、トリーブスの博愛主義的なメリックの生活を確約することに感謝していたようだ。

おりしも、奇形とされる人々を見世物小屋で見世物として扱うという、
人間の残酷さ、醜悪さを凝縮させたような事実は19世紀後半には、非人道的な事業であるとして、
社会から排除される向きに動いていたことは事実だが、一方では皮肉なことに“隠れ需要”があったことは事実で、
本作で描かれたように、これ以降も細々と見世物小屋は生き残り続け、メリック以外にも悲劇は起こり続けました。

前述した、デビッド・リンチのデビュー作『イレイザー・ヘッド』の存在があったせいか、
本作劇場公開当時から、実はデビッド・リンチが本作を通して描きたかったことはヒューマニズムに
基づいたものではなく、単にメリックの奇形を興味本位で描いていただけだという論評もあったらしいが、
僕にはどうしても、この論評は適格なものとは思えない。本作を何度観ても感じるが、もしそうだとすれば、
やはりメリックの良心的な側面をここまで丁寧に描く必要はないし、ラストもこのような終わり方ではなかっただろう。

一方でメリックのことを、ややステレオタイプに、まるでホラー映画であるかのように
映画の前半を中心に描いたことの理由は、僕は人間の興味の残酷さ、醜悪さを強調したいがためだったと思う。

特にメリックが一度、トリーブスに保護されながらも、
病院に勤務する悪意ある男が手引きした、メリックの部屋に入って、騒ぐ連中によって部屋を荒らされ、
連れ去られてしまうシーンに象徴されていたようで、このシーンで表現される乱痴気騒ぎを考えると、
メリックも見た目にコンプレックスを持つほど、確かに奇形であることは否定できない事実だが、
それを遥かに凌ぐレヴェルで、彼らの騒動の方が醜悪で狂気に満ちている。正気の沙汰とは思えない。

僕はデビッド・リンチは敢えて、このシーンを撮ったと思うし、
そういったメリック自身の境遇と、彼に群がる人々の狂気こそホラーであると思うからこそだったと思う。
だからこそ、多くの観客はメリックに対して同情的に見てしまうし、映画のクライマックスは強く訴求するものがある。

実在のメリックの死因について、今も尚、議論を呼んでいるのですが、
一つあるのは、全身にできた腫瘍の影響により、ベッドの上で仰向けに寝てしまうと、
頸椎を脱臼してしまい、それを放置してしまうと死に至ってしまう可能性について指摘されている。

ここはフィクションかもしれませんが、メリック自身が発揮していた美術の才覚を象徴する、
ベッドで深い眠りにつく姿を描いたデッサンを再現するかのようにメリックは眠りにつこうとします。
これが事実か創作かは知りませんが、これはメリックが駅で人々の群衆に追い詰められるようになり、
公衆トイレの隅で、「これでも私は人間なんだぁーーー!!」と叫ぶシーンとシンクロするのが切ない。

僕の中では、こういうのを観ると、
デビッド・リンチって、こういうセンチメンタルなところがある映像作家であると感じるんですよねぇ。
だからこそ、僕にはどうしても本作を興味本位だけで製作した映画とは思えないのです。

ただ、甘すぎないところが良い。これはデビッド・リンチの映像センスのせいでもあるけど、
本作でもメリックの見た目を過剰にグロテスクに描いているということもある一方で、
トレーブスの妻にあくまで普通の対応をしたにも関わらず、「こんなに優しくしてもらって・・・」と感極まる姿に、
それまで如何に冷遇され、人間扱いされていなかったのかを象徴する台詞で、胸を締め付けられます。

それはアン・バンクロフト演じる舞台劇の女優がメリックの部屋を訪問し、
「あなたは...ロミオよ」と言われ、メリックの心が絆されたり、観劇しに行って彼女から客席全体に紹介され、
スタンディング・オベーションを受け戸惑った表情で、歓声に応える姿も強く印象に残るでしょう。

それは“エレファント・マン”と言われ、興行主の欲望のままに人間扱いされず、
見世物小屋でまるで動物であるかのように見世物として扱われてきた非人道的な扱いしか知らず、
人間の温かさを初めて知った青年の素直なリアクションであるのでしょう。本作でのデビッド・リンチは、
僅かな個性を反映させながらも、ヒューマニズムに基づいた映画を作ろうとしていたことは、明らかでしょう。

もっとも、本作を通してデビッド・リンチが一貫して貫いたことは、
メリックの見た目は確かに奇形であり、人間らしい風貌ではないかもしれないが、
それ以上に人間の欲望こそ醜悪なもので、メリックの風貌と比べ物にならないぐらい、化け物であるということだろう。

特にメリックの部屋へ手引きしていた警備員の行動は、敢えてより醜悪に描いている。
人間の“怖いもの見たさ”の精神を悪用し、夜な夜な飲み屋で金を取っては希望者をメリックの部屋に連れていく。

そして、人々がメリックの風貌が想像以上にグロテスクであったことに驚き、
露骨に嫌がったり、驚いたりする姿に喜ぶという、自らの欲望に忠実に行動することしかできない、
人間たちの残酷さを真正面から描いており、これはデビッド・リンチが最も描きたかったグロテスクさだろう。
そのせいだろうか、窓越しに驚きの声を上げる娼婦たちの頬を、オッサンが舐め回すようにキスをする。

これは特に意味のない描写ではあるが、観客が観たくもないキスであることは言うまでもない。
覗き見する連中も汚い服装で、お世辞にも清潔とは言えない風貌で、これは作り手の演出として一貫している。

僕の中では、デビッド・リンチの監督作品としては現時点で最高の出来だと思う。

本作で彼の映像センスの方向性が確立されただけでなく、
彼が描きたかったことがダイレクトに伝わる、実に素晴らしい名画であると言える。

(上映時間123分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 デビッド・リンチ
製作 ジョナサン・サンガー
原作 フレデリック・トリーブス
    アシュリー・モンタギュー
脚本 クリストファー・デヴォア
    エリック・バーグレン
    デビッド・リンチ
撮影 フレディ・フランシス
編集 アン・V・コーツ
音楽 ジョン・モリス
出演 ジョン・ハート
    アンソニー・ホプキンス
    アン・バンクロフト
    ジョン・ギールグッド
    ウェンディ・ヒラー
    フレディ・ジョーンズ
    キャスリン・バイロン
    ハンナ・ゴードン

1980年度アカデミー作品賞 ノミネート
1980年度アカデミー主演男優賞(ジョン・ハート) ノミネート
1980年度アカデミー監督賞(デビッド・リンチ) ノミネート
1980年度アカデミー脚色賞(クリストファー・デヴォア、エリック・バーグレン、デビッド・リンチ) ノミネート
1980年度アカデミー作曲賞(ジョン・モリス) ノミネート
1980年度アカデミー美術監督・装置賞 ノミネート
1980年度アカデミー衣装デザイン賞 ノミネート
1980年度アカデミー編集賞(アン・V・コーツ) ノミネート
1980年度イギリス・アカデミー賞作品賞 受賞
1980年度イギリス・アカデミー賞主演男優賞(ジョン・ハート) 受賞
1980年度イギリス・アカデミー賞プロダクション・デザイン賞 受賞
1981年度アボリアッツ・ファンタスティック国際映画祭グランプリ 受賞