ディアボロス/悪魔の扉(1997年アメリカ)

The Devil's Advocate

僕はこの映画を寛容的に観れたけど、そう出来ないという人も多くいるでしょうね。

現代ニューヨークの巨大弁護士事務所にスカウトされたフロリダの“負け知らずの弁護士”が
愛する妻と共に晒された悪夢のような転落劇をキアヌ・リーブスとアル・パチーノの共演で描いたオカルト・ホラー。
監督は『愛と青春の旅立ち』のテイラー・ハックフォードで、本作はまずまずの出来ではないかと思いました。

まぁ、そおそものストーリー展開自体に賛否が分かれ易い感じがします。特にオチが。
映画の前半から、なんとなく予想できるオチではあるのですが、僕もまさかそのまんまやるとは思っていなかった。

主人公はフロリダで検察から弁護士へと転身し、“負け知らずの弁護士”として名を馳せるケビン。
若く美しい妻メアリー・アンと満足な生活を送っていたものの、数学教師の強制わいせつ事件の弁護を担当し、
劣勢に立たされる中、弁護をしているはずの被告が変質者であることに気づき、弁護士として心が揺れ動く。

そんな中、弁護人としての職責を全うするという理念を基に、証言の矛盾点を突くことで
逆転勝利を勝ち取ることで高く評価されたケビンは、ニューヨークの巨大弁護士事務所からスカウトされる。
ニューヨークへ夫婦で赴くと、そこは破格の条件でケビンを雇い、事務所の最高経営者であるジョン・ミルトンの
カリスマ的な存在感や言動にケビンは圧倒され、メキメキと成果を上げていくが、大きな落とし穴が待っています。

都市圏では無名に近い弁護士が、突如として破格の条件で大手弁護士事務所に採用されて、
実は大きな落とし穴が待っていた・・・みたいな物語は、ジョン・グリシャム原作のベストセラー小説を映画化した
93年の『ザ・ファーム/法律事務所』を想起させますが、本作はサスペンスというよりも、完全にオカルト・ホラー。

2時間を大きく超えるというヴォリューム感ではありますが、サクッと最後まで観れる感じではある。
それでいて見応えはそれなりにあるので、やっぱり優れた映画なのだろうと思います。バランスが良いのでしょう。

テイラー・ハックフォードの監督作品って、いつも詰め込み過ぎになって焦点がボケしまう印象があるのですが、
本作はピンポイントにまとまっていて、良いですね。キアヌ・リーブスとアル・パチーノの対決感も悪くないです。
映画のクライマックスを飾るように、もはやアル・パチーノの十八番となった大演説タイムがありますが、
これはジョン・ミルトンという超人的なキャラクターの魅力を見事に凝縮したようなまとめ方で、インパクト絶大。

デビュー仕立てのシャーリーズ・セロンはピチピチな感じで若さ全開ですが、
ケビンがニューヨークに出てきて“目移り”してしまう同僚を演じたコニー・ニールセンにも注目したいところ。
彼女はおそらく本作での存在感が評価されて、00年の『グラディエーター』での大役をゲットしたのでしょう。

結局、人間としての欲求をベースに、それだけで走ってしまうと“悪魔の誘惑”があるということ。
その“悪魔の誘惑”に乗ってしまうと、結果として待っているのは堕落。そのターニング・ポイントを見極めて、
如何に人間としての良心に基づいた判断ができるかで、人間としての価値が決まるということを描いていると思う。

この映画の主人公ケビンにしても、別に名誉欲が強いわけでも、上昇志向が強いわけでもないが、
いざニューヨークへ出て、自分の仕事ぶりが評価されていると分かると、次から次へとチョットした欲が湧いてくる。
その欲求一つ一つを満たそうとして走り始めると、次第に元々の自分を貫けずに当初の理念は全く無くなってしまう。
(まぁ・・・そんな欲に負けてしまうのが、元々の自分という見方もできなくはないけれども・・・)

欲求を満たそうとするのは、人間なので当然です。ただ、それだけになってしまうと理性的な判断を失うことがある。
どこか冷静に考えられるマインドを残しておかないと、自分だけではなく家族をも巻き込んでしまう堕落を招きます。

アル・パチーノ演じるジョンも言い放ちます。「操ってはいないよ。君が演じたのだ」と。
ただ、どこまでジョンが事実を言っているのかは定かではありません。何故、注目度の低い地方とは言え、
フロリダでケビンが勝ち続けることができたのか・・・それは、ひょっとするとジョンが誘う経過だったのかもしれません。

本作は当時、『スピード』でブレイクしてスターダムを駆け上がりつつあったキアヌ・リーブスと、
ベテラン俳優アル・パチーノとの共演が大きな話題となっていましたが、キアヌ・リーブスは少々可哀想だったかも。
と言うのも、やっぱり終始、アル・パチーノが映画を支配している感じで、ラスト20分で全て持って行った感じだ。
言ってしまえば、キアヌ・リーブスもアル・パチーノに喰われてしまった感じ。こういう映画になると、仕方ないのかな。

その中では、やはりケビンの妻メアリー・アンを演じたシャーリーズ・セロンが頑張った。
デビュー直後でこのような芝居はかなり勇気がいると思うのですが、フロリダでのイケイケな雰囲気から一転して、
慣れない大都会ニューヨークでのリッチな生活を前にしても、仕事に忙しいケビンに相手にされない不安から、
ドンドンと転落していくように、ニューロティックな展開が刺激的で病院でのシーンに至っては、あまりに衝撃的だ。

まるでジェットコースターのようなストーリー展開の魅力を引っ張り出したのは、
僕はシャーリーズ・セロンの頑張りが大きいと思う。彼女の表情一つ一つが、とっても上手かったですね。
撮影当時、22歳という若さでしたが、妹が子だくさんということに焦っているので、もっと年上という設定なのでしょう。

そんな彼女から子づくりを望まれて精神的に混乱しているのを見たケビンが、
まるでメアリー・アンを落ち着かせることが目的であるかのように、なだれ込むラブシーンがありますが、
客観的に見て世の男たちから見ると、なんともキアヌ・リーブス演じるケビンが羨ましいのに、ケビンはケビンで
すっかり同僚の女性に心奪われていて、妻とその女性が交互にシンクロするように見えてしまっていて、
終いには妻以外の女性を抱こうとしている気になっているというのが、ユニークなシーンでケビンの邪悪な心が見える。

イージーな言い方をすれば、ケビンの浮気な心が見えるシーンではありますが、
すっかりとジョンの支配下に置かれて、ジョンの思うがままになってしまったケビンを象徴したシーンだと思う。

映画の中で、管理部長のエディ・バズーンが主催するパーティーのシーンで、
「どうせならトランプも(パーティーに)来れば良かったのに」という会話が聞こえるシーンがありますが、
何故こんな会話が映画の中に加わったかというと、どうやら殺人容疑がかけられる大富豪のカレンに
ケビンが最初にコンタクトをとるシーンで、ドナルド・トランプの自宅が撮影に使われたことにあるようですね。
さすがに当時から、名の知れたアメリカを代表する大富豪だっただけあって、映画界への影響も強かったですね。

前述したように、映画のクライマックスの展開は賛否両論になるのは、よく分かる。
ただ僕は、映画の序盤からこの終わり方はある程度、予想できたところですし、大きな違和感は無かったですね。
そういう意味では、キチッと映画を作り込めているからこそ、違和感の無いラストに帰結できたのではないかと思います。

この辺はテイラー・ハックフォードの作り方が間違えていなかったことの裏返しだと思いますね。

ただ、この終わりが妙に説教クサく感じてしまうのは僕だけかな?(笑)
急激に常識的なことを説教されたような気持ちになって、それまでの猥雑な雰囲気がウソのよう。この落差がスゴい。
「虚栄は...私が最も愛する罪だ。ガハハハ(笑)」と笑ってからの Pain It Black(黒く塗れ!)もカッコ良い。
相変わらずテイラー・ハックフォードはポピュラー・ミュージックを映画の中で使うのが、大好きなようですね。

映画の中では、地味にCGを使いまくっているので、そこそこ製作費がかかっている映画です。
映像技術としては今観ても、そこまで見劣りするものではありませんが、少しCGを使い過ぎだったかもしれません。
特に鏡に映る人の顔が妖怪のように変貌するのは、あまりに何度も使い過ぎましたね。もう少し抑えても良かった。

何はともあれ、本作はテイラー・ハックフォードの監督作品としては久しぶりの快心の出来でした。
僕は正直、82年の『愛と青春の旅立ち』はあまり好きな映画ではないのですが、80年代のバイブルになりましたので、
80年代は彼の全盛期でしたが、90年代に入ってからは評価される作品を撮ることができていなかったですからね。

ちなみに僕は、アル・パチーノ演じるジョンが主張していたことは真理突いているところ、あると思いますね。

(上映時間143分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 テイラー・ハックフォード
製作 アーノルド・コペルソン
   アン・コペルソン
   アーノン・ミルチャン
原作 アンドリュー・ネイダーマン
脚本 ジョナサン・レムキン
   トニー・ギルロイ
撮影 アンジェイ・バートコウィアク
音楽 ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演 キアヌ・リーブス
   アル・パチーノ
   シャーリーズ・セロン
   ジェフリー・ジョーンズ
   クレイグ・T・ネルソン
   コニー・ニールセン
   デルロイ・リンド
   モニカ・キーナ
   ジュディス・アイヴィ
   タマラ・チュニー