カンバセーション …盗聴…(1974年アメリカ)

The Conversation

これは素晴らしい。一見の価値ある傑作と言えます。

確かに『ゴッドファーザー』も素晴らしい名画だが、こっちの方がずっと刺激的なフィルムだ。
まだまだ才気冴えわたる頃だったコッポラが、実に見事な不条理を描いている。
既に中年にはなっていましたが、『フレンチ・コネクション』で一気にブレイクしたジーン・ハックマンも
大都会サンフランシスコを舞台に、孤独な盗聴屋を独特な焦燥感をもって、巧みに演じている。

おそらくそこまで莫大な予算を擁した作品ではないと思うのですが、
主人公コールの一人暮らしのシルエットを中心に構成し、都会の孤独な空気の統一感が凄いですね。
これだけ一貫性のある演出を押し通したことに、この頃のコッポラの凄みはあると思います。

まだ売れない頃のハリソン・フォードが結構、重要なシーンで幾度となく登場してくるのですが、
まだまだ若い頃の甘いマスクで、後にアクション映画を中心にブレイクすることを予期させる存在感ですね。

何度も何度も、フレデリック・フォレストとシンディ・ウィリアムズが
昼休みの街の広場で会話しているシーンがフラッシュ・バックされるのですが、
このフラッシュ・バックを繰り返すことにより、次第にコールがこのフラッシュ・バックに悩まされ、
精神的なバランスを大きく崩し、ホテルの一室でカオスな状態になってしまうシーンが素晴らしいですね。

これは80年にキューブリックが撮った『シャイニング』への影響を感じさせる演出で、
それでも過剰なショック描写を避けながらも、実に効果的にコールのカオスな精神状態を表現し、
コールを襲う、とてつもない不条理が如何に強いものであるかを象徴させる、実に見事な映像トリックですね。

コッポラは当時、『ゴッドファーザー』を撮って、ハリウッドでも新進気鋭の若手映像作家として、
大きな期待を背負わされていたはずなのですが、本作では見事にその期待に応えていますね。

実はコッポラの中では、本作製作の構想は60年代からあったらしく、
当時はまだコッポラは無名だったため、当然のように映画製作できるような資金力は無く、
また同時に彼をサポートするブレーンがいなかった。そこで『ゴッドファーザー』という大作を手掛けるチャンスを得て、
見事にハリウッドでもその地位を確立したコッポラは、次なる課題として本作製作に取り掛かるのですが、
どうやら本作の撮影が開始してからも、次から次へと問題が山積するような状態で、思うように撮影は進みません。

一番、大きかったのは当初の撮影監督ハスケル・ウェクスラーとコッポラの意見が対立したことらしく、
あまりに撮影が進まないために、コッポラは慌ててビル・バトラーを呼び、ハスケル・ウェクスラーを降板させます。

その混乱のおかげで撮影の大半はやり直しだったらしく、
スケジュールの大幅なズレ込みのせいで、73年の3月には撮影が全て完了していたにも関わらず、
編集作業に入る頃になると、肝心のコッポラが『ゴッドファーザーPARTU』の撮影に入ってしまったために、
劇場公開まで約1年もの歳月を費やしたという、あまりに大きな影響を与えてしまうことになります。

しかし、それが逆に功を奏したのか、
この映画は編集も含めて、実に個性的な仕上がりになっていて、ユニークな映画に仕上がっていますね。

結局、編集の現場としてはコッポラに頼るわけにもいかず、
また、物理的にコッポラの意見力が過剰に高まり過ぎることが無かったせいか、
逆に従来のコッポラの映画には無いテイストを、映画の中に吹き込むことになって良かったと思いますね。

ひたすら孤独を愛する主人公が、傾倒する暗闇でのジャズ演奏。
珍しくコッポラがこだわって、しつこくジャズに没頭する主人公を映すのですが、
これがノイローゼのようになった主人公の精神状態がクロスオーヴァーするように、自分のアパートの一室を
半狂乱であるかの如く、床や壁を引っ剥がして呆然とする様子が、実に味わい深いシーン演出になっている。
これは後にも先にも、僕はコッポラの監督作では観たことがないぐらい、強い一貫性ある演出だと思う。

また、主人公がノイローゼになってしまうのは、チョットした心の迷いが影響していて、
ニューヨークで活動していた頃も、依頼された自分の盗聴の仕事によって、思わぬ犯罪行為に悪用されたことから、
コールは精神的なバランスを崩してしまい、呵責に囚われてしまい、サンフランシスコに来ても警戒心だけが強まり、
顧客が仕事を依頼してきた背景などを知ること自体に、過剰なまでにナーバスになってしまいます。

それは仕事の相棒を演じたジョン・カザールとの口論を観れば明らかで、
もう少し柔軟に対応すればコールも仕事仲間を失わなかったのに、彼の頑固さが災いしてしまいます。

それゆえか、コールがつい気を許した友人たちに“してやられた”瞬間、
コールの表情が一変して、結果としてこれが引き金となって彼のノイローゼが加速するという、
ある意味で「ミイラ取りがミイラになる」という標語を地で行ってしまうのが、なんとも皮肉が利いている。

前述したように、若き日のハリソン・フォードが結構、重要な役どころで出演していて、
コールへ盗聴の仕事を依頼した、とある会社の専務の秘書ステットを演じています。
彼はしきりにコールに深入りしないよう忠告し、不気味にコールを監視しているかのような行動をとります。
ステットの不気味さが際立つのは、コールはじめ観客に対しても、彼らの目的が一体何なのかが不透明な点で、
コッポラは本作の時点で、正体不明、或いは目的不明な恐怖というものを、映像として具現化できていますね。

僕は『地獄の黙示録』以降のコッポラはあまり感心しませんが、
本作を観る限り、少なくとも70年代のコッポラの演出は冴え渡っていたというのは間違いないと思いますね。
(まぁ・・・勿論、80年代以降のコッポラの監督作品でも、好きな映画はあるんだけどさぁ・・・)

『ゴッドファーザー』で高く評価され、既にハリウッドの頂点をうかがおうとしていたコッポラは、
本作でもカンヌ国際映画祭でグランプリであるパルム・ドールを受賞し、更に国際的な評価を高めます。
おそらくこの時は、コッポラはどこまで行くのかって感じだったんでしょうねぇ。

個人的には、本作のような作品が撮れるのだから、
もっと積極的にこういう映画を撮ればいいように思うんだけどなぁ・・・。

(上映時間113分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 フランシス・フォード・コッポラ
製作 フレッド・ルース
    フランシス・フォード・コッポラ
脚本 フランシス・フォード・コッポラ
撮影 ビル・バトラー
編集 リチャード・チュウ
音楽 デビッド・シャイア
出演 ジーン・ハックマン
    ジョン・カザール
    アレン・ガーフィールド
    フレデリック・フォレスト
    テリー・ガー
    ハリソン・フォード
    シンディ・ウィリアムズ
    ロバート・デュバル

1974年度アカデミー作品賞 ノミネート
1974年度アカデミーオリジナル脚本賞(フランシス・フォード・コッポラ) ノミネート
1974年度アカデミー音響賞 ノミネート
1974年度イギリス・アカデミー賞編集賞(リチャード・チュウ) 受賞
1974年度イギリス・アカデミー賞音響賞 受賞
1974年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール 受賞