チャイナ・シンドローム(1979年アメリカ)

The China Syndrome

実際に本作劇場公開直後に、スリーマイル島の原発事故が起きたがために、
皮肉にも原子力発電の課題を警鐘、かつ露呈させることになった社会派サスペンス・スリラーの傑作だ。

75年に『カッコーの巣の上で』で映画プロデューサーとして成功を収め、
テレビ俳優としての地位を捨ててでも、映画プロデューサーとしての道を歩み始めていたマイケル・ダグラスが
自らのプロダクションを設立し、その手始めのプロデュース作品として本作の企画を動かしていたようだ。

当初、マイク・グレイが書いたシナリオを高く評価していたマイケル・ダグラスが
ジャック・レモンにオファーを出し、そこにエネルギー問題についても活動していたジェーン・フォンダらが加わり、
マイク・グレイ自身が監督も兼任することで企画が進んでいたようですが、途中でマイク・グレイが降板することになり、
73年の『ペーパー・チェイス』などで実績のあったジェームズ・ブリッジスがメガホンを取ることになったようですね。

タイトルになっている“チャイナ・シンドローム”とは、アメリカの原子力研究者たちの造語で
要するに原子炉の炉心が露出すると、冷却水が機能しなくなり、連鎖反応によって甚大なエネルギーが発生し、
更に原子炉から漏れ出た溶融した核燃料が、地中を入り込むとアメリカの大地の裏側(中国?)にまで
そのエネルギーによる被害が及ぶとすることを意味する言葉らしい。実際はそんなことはないようですが・・・。

まぁ、現代の日本でも「3・11」を経験しながらにしても、不安定な再生利用可能エネルギーと
元々資源の無い大地であること、そして輸入に頼っていた石油や天然ガスが物価高によって高騰したことで
最近は「稼働を止めておいても稼働している際と、同等の費用がかかっているなら、稼働した方が良いのでは?」という
原子力発電に関する議論も強くなってきており、日本に於いてはエネルギー・ミックスの問題は大きな課題だと思う。

確かに「3・11」はいろんな意味で、人災であるという見方が強いですから、
そう簡単に論じることは難しいけれども、原子力というリソース自体がダメという論議の前に、
ホントに原子力というリソースを人間が安全に使うことはできないのか?という検討は足りていないような気がします。

但し、現実に東海村の事故を含めて、おそらく人間がやることですから公表されていない
ヒューマン・エラーに基づくヒヤリハットや、インシデントはあったことでしょうから、それらの反省をどれだけ生かして、
今の仕組みが出来上がっているのか?という問題はあると思う。そして、それは現状では十分なものと言えないだろう。

原子力というのは、発電という観点ではとても魅力的なリソースであると同時に、
それだけ莫大なエネルギーを効率的に得られるがために、使い方を間違えればトンデモないことになるのは明白だ。

だからこそ、僕はホントの意味で原子力の基礎研究って、もっと必要だと思うんですよね。
使うということが前提というよりも、実体が何なのか、そしてどうしたら安全に使うことができるのか、
という観点で今も研究はしているのだろうが、原子力利用を真剣に検討する国ならば、もっと研究しないとダメだと思う。

廃炉技術も含めて、使う側の責任として必要な研究だと思うのですが、
今は反原発側の意見もあり、なかなか原子力研究に資金を投じることが難しく、人材も少なくなっているとのこと。

本作で観て分かる通り、やはり専門家の意見って大事だし、
特に原子力なんて専門性の高い分野に於いては、スペシャリストを養成しない限り未来は無いだろう。
これで原子力という選択肢を捨てるというのであればよいのですが、今の日本はどこか中途半端に見える。
確かに現実として日本全国の原発を停止しても、電力ひっ迫の危機は何度かありましたが、大規模停電は無かった。

ただ、だからと言って、毎年のように電力ひっ迫の危機に瀕する社会も、健全な社会とは言えないと思うし、
輸入原料に頼って、べらぼうに高額な電気料金も困るし、それを国が補填すればいいというのも僕は違うと思う。

本作は原子力発電が盛んであった頃のアメリカで、メディアをも押さえつける電力会社の強引な経営手法で
原子力事故を起こす寸前にまで至った危機を、報道させないと妨害してくる電力会社と、手抜き工事をして知りながらも
その事実を補修することなく稼働を優先させる上司に憤り、強硬な手段でマスメディアに内部告発しようとする技師、
そしてそんな技師の勇気に応えようと、前代未聞の原発指令室内から実況中継しようとするメディアの奮闘を描きます。

本作で描かれたことの全てが現実性溢れるというわけではありませんが、
僕は社会派スリラー映画として、本作はとても優れていると思うし、終始、良い意味での緊張感に満ちた傑作と思います。

本作と83年の『シルクウッド』は、原発というか電力会社のの実態を描いた作品として、
2大巨塔のような社会派映画だと思うのですが、「3・11」を経験した日本があらためて観直すべき映画ですね。
プロデューサーとして歩み始めたばかりのマイケル・ダグラスも、よく本作を映画化までこぎ着けましたね。

映画の冒頭のスティーブン・ビショップの主題歌 Somewhere In Between(サムホエア・イン・ビトウィーン)が
どことなく場違いなくらいポップでAORな楽曲なのですが、この辺はご愛嬌で許してあげたい(笑)。

映画は、軽いニュースばかり読まされることに嫌気が差していた女性キャスターのキンバリーが
たまたま原発特集のための取材で訪れていた原子力発電所で、実は原子炉が露出する寸前のトラブルがあり、
この騒動に疑問を持ったキンバリーの相棒リチャードが、内密にパニック状態の指令室を撮影していたことから、
これをスクープしようとテレビ会社の上司と言い争いになりますが、既にテレビ会社の上司は電力会社にまるめ込まれ、
キンバリーたちのスクープは握り潰される。それに反発したリチャードが、色々と手を回すが、更なる妨害工作にあります。

一方で、同上のトラブルで安全委員会からの調査を受け、更に自分でも謎の微振動に疑問に思った
指令室の技師コデルが、自ら調べ上げた結果、溶接写真は同じ写真が使い回されていて、溶接強度を再調査する
必要があると、発電所長に直訴するのの門前払いされたことから、熱心に取材するキンバリーたちに事実を告白します。

電力会社が雇った連中の妨害工作も激しくなり、証拠となるX線写真も事故を装って奪われたことから
コデルは原発指令室に立てこもるという強硬手段で、メディアに内部告発しようと不器用にも行動を起こします。

そう、このコデルは元々原子力潜水艦の乗務員であったという過去を持ち、
安全に運転しないといけないという当たり前の倫理観を持っていた。当初はメディアにも否定的だったが、
悪どい電力会社の連中に疑問を持ち、メディアに内部告発しようとします。これが映画のクライマックスの見せ場。
ここでもコデルの告白は、演じるジャック・レモンの芝居が秀逸で、シリアスなジャック・レモンの良さが炸裂です。

技師としての専門性と、長年勤め上げてきたものの、実は会社側がその信念と全く異なる
利益優先主義で安全を蔑ろにしていることに気付いた失望。その狭間で揺れ動く心情を見事に表現していて、
ついつい視聴者に分かり易い言葉で表現しようなどという冷静さは持てず、自分でも上手く言葉で表現できない。

そんな葛藤のせいか、コデルの内部告発はなかなか進まない中で、
電力会社側はコデルの強硬手段が犯罪であることを盾にして、武力を使ってコデルを止めようとします。
それに気付いてか、気付かずか、中継を事実上、指揮することになったカメラマンのリチャードも
「早く核心を喋ってくれよ!」と窓越しの見学室から見守りながら、中継するメディア側の葛藤も同時に描かれる。

この攻防が実に見応え十分で、派手さは無い映画ですけど実に見事に構成されています。

あらためて、こういう映画を観ると「絶対安全」などというのは実体の無い絵空事にしかすぎず、
何かを利用する人間は、常にアロウアンスのある安全というエリアに、留まらせる努力を怠ってはいけないということ。
「これで大丈夫」とホントに思い込んで、そこに慢心して驕ってしまった時点で、安全ではなくなるということだ。

要するに、安全という状態を作り出すのは人間であり、
いくら口で「絶対に安全です」と主張しても、そんな状態は存在せず、どういったリスクがあって、
それをどのようにして、どれくらいまで制御できているのか、ということを的確に表現できないと意味がないということ。
そうでないと、「どれくらい安全なのか?」ということが定量的にも感覚的にも、正確に把握することはできないというだ。
何故なら、「絶対安全」という時点で脅威やリスクは無いと騙され、思考停止しリスクに備えないことになってしまうから。

そういった人間の勘違いや慢心で、大きな事故を起こすことがあるとすれば、それは立派な「人災」です。

その「人災」の愚かさ、そして正常化しようとした人間が事実上の犠牲になってしまうという
現実の残酷性、無情さというのを、本作は約2分ある無音のエンドロールで全てを表現していると思う。
冒頭のスティーブン・ビショップの主題歌とは対照的に、このエンドロールはあまりに強烈なメッセージだ。

(上映時間122分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 ジェームズ・ブリッジス
製作 マイケル・ダグラス
脚本 マイク・グレイ
   T・S・クック
   ジェームズ・ブリッジス
撮影 ジェームズ・A・クレイブ
編集 デビッド・ローリンズ
音楽 スティーブン・ビショップ
出演 ジェーン・フォンダ
   ジャック・レモン
   マイケル・ダグラス
   ダニエル・バルデス
   ジム・ハンプトン
   ピーター・ドゥーナット
   スコット・ブラディ
   ウィルフォード・ブリムリー
   ルイス・アークエット

1979年度アカデミー主演男優賞(ジャック・レモン) ノミネート
1979年度アカデミー主演女優賞(ジェーン・フォンダ) ノミネート
1979年度アカデミーオリジナル脚本賞(マイク・グレイ、T・S・クック、ジェームズ・ブリッジス) ノミネート
1979年度アカデミー美術監督・装置賞 ノミネート
1979年度全米脚本家組合賞オリジナル脚本賞<ドラマ部門>(マイク・グレイ、T・S・クック、ジェームズ・ブリッジス) 受賞
1979年度カンヌ国際映画祭主演男優賞(ジャック・レモン) 受賞
1979年度イギリス・アカデミー賞主演男優賞(ジャック・レモン) 受賞
1979年度イギリス・アカデミー賞主演女優賞(ジェーン・フォンダ) 受賞