カサンドラ・クロス(1976年イタリア・イギリス合作)

The Cassandra Crossing

スイスはジュネーブの国際保健機構本部のビルの一室で、
実はアメリカ政府関係者が独自に危険な細菌の実験を行っていて、ビルにテロ目的で侵入した
2人の男が警備との攻防の中で細菌を浴びてしまったことから感染し、逃亡した1人がジュネーブから
ストックホルムへ向かう長距離列車に乗り込んだことから、アメリカ政府高官が証拠隠滅を図る姿を描いたサスペンス。

これは如何にも70年代らしいパニック映画ブームの潮流を感じさせる作品ですが、
内容と言えば、ある意味で今は作れない発想を内包した作品であり、新鮮に感じられる部分はある(笑)。

そもそもジュネーブのビルの一室でアメリカ政府関係者が密かに危険な細菌の実験を行う、
という発想そのものが現実的にはありえないのですが、それだけでなく感染者が屋外に逃げて、
感染を拡大させてしまったからといって、感染した疑いのある一般市民が大勢乗った長距離列車を
なんとしてでも無事に停止するということがないように、危険な道を歩ませるという、凄いフィクションですね(笑)。

やたらと当時の映画界の情勢を考えると、ハリウッド含め豪華スターが顔合わせした映画という
イメージなのですが、この窮地を救おうとするチェンバレンを演じたのがリチャード・ハリスというのも、妙に渋い(笑)。

この時期のリチャード・ハリスって、この手の規模の大きな映画にも何本か出演していますが、
どうも脇役キャラクターとしての印象が強いせいか、本作がカルト映画のようにも見えてしまいますね。
また、イカついバート・ランカスターが色々と隠ぺい工作を企てるのですが、それもまたふてぶてしい好演。

この一見すると、制御の利かない企画の映画のようにも思えますが、
それを必死にまとめ上げたジョージ・パン・コスマトスも実にエラい(笑)。これはホントに難しい仕事だったと思う。

ジョージ・パン・コスマトスは当時、まだ映画監督としてのキャリアが浅かったこともあり、
本作のようなキャリアのある俳優や、人気俳優を擁した企画の中で個性を発揮するのは難しかったと思う。
結果として本作で経験を積んだ彼は、80年代に入ってスタローン主演の『コブラ』など規模の大きな映画の
監督も任されるようになり、ハリウッドに活動の場を移すことができたようで、キッカケは明らかに本作ですね。

70年代はハリウッドを中心に規模の大きなパニック映画がブームになっていたことと、
ニューシネマ・ムーブメントに対抗しようと、どちらかと言えば、大作を志向した作品が多く、
本作もその潮流に上手く乗ったという感じがあって、ニューシネマ・ムーブメントと対極にあるような作品ですね。

とは言え、本作自体もアメリカン・ニューシネマの時代以前では、ほぼ考えられなかった作品だと思います。
その辺はジョージ・パン・コスマトスも強く意識しているように思える演出になっていて、電子音楽のような効果音で
不気味なシーン演出を施したり、当時の映画界の新たなアプローチも確実に採り入れているんですね。

こういう演出を観ると、やっぱり本作は70年代を象徴する一作という感じがしますね。

こうやって当時のオールスター・キャスト勢揃いな企画に近いというのも、
70年代のアメリカン・ニューシネマに必死に対抗しようとしていた勢力を象徴している気がしますね。
本作にしても、カルロ・ポンティが当時、ディノ・デ・ラウレンティスと必死に競っていたことの象徴と言っていいでしょう。

この時代は例えば『カプリコン・1』など、どことなくカルトな空気感を出すサスペンス映画が
多く製作されていますが、本作もその代表例と言っていい存在感で、“70年代好き”にはたまらない作品だ。

特に個人的に本作で嬉しいのは、映画の冒頭とエンディングで見せてくれる空撮で、
これは実に見事な出来映えと言ってもよく、この時代の撮影技法としては特筆に値すると思う。
ジョージ・パン・コスマトス自身もどちらかと言えば、アクション映画をフィールドにしていたので、
本作で培った経験がしっかり“土台”になっていて、80年代に入ってから少しだけ生きたのかもしれませんね。

どちらかと言えば、硬派なタッチで描くジョージ・パン・コスマトスなのですが、
リチャード・ハリス演じるチェンバレン医師と、ソフィア・ローレン演じる彼の元妻との微妙な関係を描いて、
(おそらく得手ではないのに・・・)無理矢理にロマンスの要素を入れようと苦慮しているのが面白いですね。

バート・ランカスター演じるアメリカ政府の高官も、寡黙に自分の使命を果たそうとするのですが、
アメリカ政府の立場を危ぶんで、ジュネーブの施設で無断で危険な実験をやっていたことを隠蔽するために、
感染したかもしれない、数多くの一般市民の命をも犠牲にしても仕方がないと言わんばかりの発想が怖い。

実に多様な側面を内包する作品になっているのですが、
やはりジョージ・パン・コスマトスはそこまで器用ではないせいか、欲を言えばいろんなとこに手を広げ過ぎましたね。

O・J・シンプソン演じる刑事と、麻薬常習犯演じるマーチン・シーンとのエピソードなんかも、
中途半端に描いてしまったせいか、おそらくもっと深く描くことができたと思うのですが、なんだか勿体ない。
ハッキリ言って、別にO・J・シンプソンやマーチン・シーンでなくともいいような、やはり勿体ない仕上がり。
確かに映画の出来自体は悪くないと思うのですが、欲を言えば、こういった点が残念なところですかねぇ。。。

映画で描かれる、カサンドラ・クロス橋梁は老朽化が進んでいて、もう何年も鉄道が通過しておらず、
その耐久性が劣ることは明らかで、今回の列車が通過できないことが明白であるという設定ですが、
現代の発想であれば、おそらく本作で描いたような派手な列車の末路は描くことはできないでしょう。
ある意味で現代ではありえない発想の映画であり、僕は思わずビックリしてしまいましたねぇ〜。

このクライマックスは現代の感覚では、とても受け入れられるものではないだろう。
こういう大胆さが如何にも70年代のヨーロッパ映画界の象徴ですが、個人的にはこういう時代が羨ましい(笑)。

どうでもいい話しですが、問題のウィルスを殺すポイントがあまりに平凡で拍子抜けするが、
よくよく考えると、そんなに簡単にウィルスを殺せる環境を作ることができるのかと疑問に思えてくる。
あまりに細かなことを突くと、正直言って、苦しい部分も多い映画ではあるのですが、
未だにカルトな映画ファンからは愛される作品であることは、なんとなく感じさせてくれる風格がある(笑)。

クドいようだが、何よりこの映画でのリチャード・ハリスの面構えが良い(笑)。
思わず、これはただならぬ傑作であると予見(錯覚?)させられるぐらいの影響力がある面構えだ(笑)。

(上映時間128分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ジョージ・パン・コスマトス
製作 カルロ・ポンティ
   ルー・グレイド
原案 ロバート・カッツ
   ジョージ・パン・コスマトス
脚本 ジョージ・パン・コスマトス
   ロバート・カッツ
   トム・マンキウィッツ
撮影 エンニオ・グァルニエリ
編集 ロベルト・シルヴィ
   フランソワーズ・ボノ
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
出演 バート・ランカスター
   リチャード・ハリス
   ソフィア・ローレン
   エヴァ・ガードナー
   マーチン・シーン
   イングリッド・チューリン
   ジョン・フィリップ・ロー
   アン・ターケル
   レイモンド・ラブロック
   O・J・シンプソン
   アリダ・ヴァリ
   リー・ストラスバーグ
   ライオネル・スタンダー