マディソン郡の橋(1995年アメリカ)

The Bridges Of Madison Country

日本でも話題になった全米ベストセラー小説の映画化作品。

イーストウッドの監督作品は数多く観てきたし、今や歴史に残る巨匠だと思うのですが、
この映画はダメでした。僕は全く良いとは思えなかった。まぁ、そもそもの物語に“入り込めない”というのもあるけど。
原作は読んでいないけど、映画はメリル・ストリープ演じるフランチェスカの視点で描いたのが特徴だという。

だとしても、映画の基本設定がダメ。僕にはどうして、この描き方をしたのか受け入れられない。
フランチェスカの回想録であるから意味があるのかもしれませんが、子どもが受け取ると分かっている、
自分の遺品に過去の不倫の恋の記録を残すなんて発想が、そもそも理解不能だし、それが物語の軸というのも
僕にはまるで理解できない手法。原作に忠実なのかもしれないが、それならば普通に真正面から撮って欲しい。

映画化にあたって、紆余曲折を経た作品だったことは当時から話題になっていましたが、
当初はスピルバーグが映画化の権利を持っていて、主演にイーストウッドは決まっていたものの、
ヒロインも決まっていなかったし、スピルバーグが監督しないことが決まってからも、何人もの候補がいました。

結果的にイーストウッドが自分で監督することになったわけですが、
どこまで彼の思いが、本作に吹き込めたのかは僕にはよく分からない。ただ、どうにも僕は馴染めなかった。

今更、不倫の恋は罪になるとか、美化して描くなとか、そんな道徳的なことを言うつもりはありません。
開き直って、ダイアン・レインの『運命の女』くらいのことを描くなら、映画としては全然“有り”だと思ってるから。

そもそもが、子どもから見れば、家で優しくしてくれた母親という存在で胸に焼き付いてるのに、
そこで「実はアタシ、不倫してたのよ」なんて証拠を見せられても、そんな残酷なことは無いと思います。
そりゃ、いろんな受け止め方をする人がいるでしょうが、自分が親でそういう過去を持っていても、
遺品でそんなメッセージを子に送ることはできないでしょう。子にしたら、知りたくない情報である可能性が高いから。

それを「黙って世を去るのは耐えがたく、貴方たちにも知って欲しいと思ったから」とは、
あまりにエゴイスティックな考えだなと思っちゃうし、最期くらいワガママを通してもとは思うが、これはない(苦笑)。

あまり良い言葉の表現ではありませんが、やっぱり世の中、知らない方が幸せなことや
知らなくても良いことって、確実にあると思うんですよね。本作で描かれたことって、僕の中ではその部類。
それを正面きって描くというよりも、子どもに触れさせることで映画を進めようというのだから、余計に理解できない。
だいたい、そんな親の過去を知って、「自分もパートナーを一生かけて幸せにしよう!」なんて結論になるのかな?

それをロバート・ジェームズ・ウォラーが書いた原作というわけなのですが、
女性の視点を装いながらも、結局は男性の視点から描いた女性の不倫ということなのだろうか。
どこか本能的、衝動的、生物的に描いているというわけでもなく、少しだけプラトニックな要素を入れて、
ヒロインに「彼が浴びたシャワーだと思うと、興奮した」と“心の声”を吐露させるあたり、チョット驚いてしまった。

これは文学的な表現をしたつもりなのだろうし、確かに小説を読んでいるような感覚を覚えさせるシーンだけど、
イーストウッドがどういう思いで、こういうシーンを描いていたのか、正直言って、僕には理解できなかった。

珍しくメリル・ストリープも、肉感的なところを感じさせるイタリア系の人妻を演じさせているあたり、
これは原作を読んだイーストウッドのイメージに寄せた役づくりのような気がするのですが、どうにも違和感がある。
いや、メリル・ストリープはいつも通り、申し分のない芝居だと思うし、彼女はミスキャストではありません。
でも、どこか...男性の目線・感覚から見て、都合の良いファンタジーをあたかも女性の共感を得るような
アプローチで描いているような気がして・・・それでいて、出来上がった映画は違和感いっぱいで・・・どうもねぇ。。。

まぁ、個人的にはこの原作がどうしてベストセラーになり、あそこまで話題になったのかも理解できないんだけどね。

どうしてイーストウッドが、こだわって映画化したかったのかが、最後まで分からなかったのですが、
この原作がイーストウッドにとって共感できるものであったのだろうし、心も打たれていたのでしょうね。
あと、スピルバーグらは反対していたというメリル・ストリープがヒロインというのも、押し通した結果から見るに、
イーストウッドはどうしてもメリル・ストリープと共演したかったのでしょう。だから監督まで兼務したのかもしれません。

ただ、合わない映画でありながらも、少し驚かされたことがあって、
これも賛否がある手法かもしれませんが、ヒロインのナレーションを所々に挿入して彼女の心情を吐露することで、
イーストウッドの監督作品としては極めて珍しいほど、本作は文学的な側面を持たせていると感じましたね。
正直、イーストウッドがこういう映画を撮るのは珍しいことなので、こういうのも出来るのかを驚かされた。

加えて言うなら、イーストウッド自身が演じたロバートの職業が写真家である設定があることから、
映画のタイトルにもなっている橋を取り囲む環境を、とても美しく撮っている。風景をここまで意識してカメラに
収めさせたイーストウッドというのも、チョット珍しいのではないかと思う。写真家という職業とシンクロさせたのかな?

中身的には僕はまったくノレなかった作品だったのだけれども、
イーストウッドの監督作品としては、これまで感じることができなかった“映画の質感”というのが本作にはある。
こういうのを観ると、イーストウッドはホントに本作の原作に惚れ込んでいたのだろうなぁと実感させられましたね。

まぁ、映画の主題としては状況的に出会ってはいけない若くはない男女が出会ってしまったというもの。
それにしては、最初の出会いが道に迷ったロバートがヒロインの家の前で車を停めて、目的の橋の場所を聞く
というシーンになるのですが、これがまるで一目散にロバートがヒロインの家に来たみたいな描き方になっていて、
個人的にはもう少し上手い描き方がなかったのだろうかと思えてならない。このシーンはヒロイン側から描いていて、
留守を守る家の前で暑い日の昼下がりに佇んでいたら、一台の見慣れない車がやって来るという感じなのですが、
これはむしろロバート側から描いて、迷った挙句、たまたま道すがらの家に人がいたので道を尋ねたという
ニュアンスで描いた方が、二人の出会いは偶然が生んだ、運命のイタズラだったというように描けたはずだ。

おそらくイーストウッドはそう描きたかったのだろうけど、ヒロイン側から見ると、
何の迷いも無くロバートが一目散に彼女の家を目指した来たように見えてしまい、偶然性が疑わしく観えてしまった。
(まぁ・・・以前からロバートが彼女に目を付けていて、彼女に話しかけるタイミングを探していたなら驚きだが・・・)

どうせなら、イーストウッドらしくロバートも豪傑な性格の男として演じれば良かったのに・・・とも思うが、
それでは、おそらく原作からかけ離れてしまうのだろう。しかし、ロバートは中途半端にヒロインに時制を促し、
いざ結ばれれば、今度はヒロインを押しまくって、雨の中にお別れをしに来るという、どこか女々しいところがある。
これはイーストウッドらしくないですね(笑)。ある意味では、本作でイーストウッドは自ら新境地を開拓したのかも。

でも、結果的には既婚者である女性と恋愛関係になり、ストップをかけられなかったわけですから、
出会ってはいけなかったのに出会ってしまった二人...とは言え、涙涙の物語というにはほど遠いような気がします。

とは言え、イーストウッドからしたら、そんなことはどうでも良くって、
ただ単に好きな原作を映画として残したいとか、メリル・ストリープと一緒に仕事したいとか、
そんなゆったりした感覚で映画を撮っていて、物語に共感して欲しいとか、そんな気持ちは無いような気がする。

本作は引き合いに出した02年の『運命の女』のような不倫とは、本来的には違うと思う。
本作はひょっとしたら、“運命の出会い”なのかもしれない。情欲だけで堕ちていく『運命の女』とは違う。
出会う時期が違っていれば、ヒロインはロバートを結婚していただろうし、それくらいの恋愛だったのだろう。

そこで問題になるのは、ヒロインがロバートのどこにそこまで惹かれたのか?という点だ。
これはロバートにしても同様。僕はその二人の恋愛の動機付けは、本作はかなり甘いような気がした。
単にロバートが世界中を旅していて、自分の知らない世界を知ってるから、というだけでは憧れとしては弱い。

本作はそれを超える恋愛の動機付けがあるはずなのですが、しっかりと描けていないと感じました。
現時点で、僕がイーストウッドの監督作品で最も中身的にノレなかったのは、本作かもしれません。。。

(上映時間134分)

私の採点★★★☆☆☆☆☆☆☆〜3点

監督 クリント・イーストウッド
製作 クリント・イーストウッド
   キャスリン・ケネディ
原作 ロバート・ジェームズ・ウォラー
脚本 リチャード・ラグラヴェネーズ
撮影 ジャック・N・グリーン
音楽 レニー・ニー・ハウス
出演 クリント・イーストウッド
   メリル・ストリープ
   アニー・コーレイ
   ビクター・スレザック
   ジム・ヘイニー
   サラ・キャスリン・スコット
   クリストファー・クルーン

1995年度アカデミー主演女優賞(メリル・ストリープ) ノミネート