ボディガード(1992年アメリカ)

The Bodyguard

当時のケビン・コスナーが人気絶頂であったことに加えて、人気歌手ホイットニー・ヒューストンとの共演という、
サプライズ的な話題性もあって、映画とホイットニー・ヒューストンの主題歌がメガヒットしたラブ・サスペンス。

言ってしまえば、映画はタイトル通り、殺しの脅迫状を送り付けられて動揺しまくる、
シングルマザーでもあるスーパースターが、彼女の取り巻きと衝突しながらも彼女の命を守るボディガードを描きます。

しかし、これはお世辞にも映画の出来が良いとは言えない。
ホイットニー・ヒューストンの芝居は思ったよりも上手かったけれども、あまりに映画的な見どころが無さ過ぎる。
監督のミック・ジャクソンもそうですが、プロデュースしたローレンス・カスダンは経験豊富な人でしたけど、
本作の企画を通して、そもそも何をどう描いて欲しかったのか、サッパリよく分からない企画で終わってしまった。

どちらかと言えば、サスペンスに重きを置いた映画にしたかったのではないかと思えるのですが、
それでも肝心かなめの映画のクライマックスの授賞式でのシーンは、あまりに緩慢で緊迫感が無さ過ぎる。
いつ何処から、どう狙われているのか分からない恐怖と闘うヒロインを、もっとしっかり描いて欲しかったのですが、
映画の中盤にケビン・コスナーとホイットニー・ヒューストンの無駄とも思えるロマンスに時間を割き過ぎました。
(いや、逆なのか...ホントは2人のロマンスを中心に描きたかったのだろう・・・か?)

どこからどう観ても、映画のクライマックスのボディガードの行動こそが、映画のハイライトだと思うので、
ここに映画のテンションをMAXに持って行くために、どう準備すべきだったのか作り手はもっとよく考えて欲しかった。
結局、これが2人のロマンスだけということになってしまうのであれば、別にこの内容でも良かったわけだと思うのです。

普通に恋愛映画にすればいいし、それなら2人が惹かれ合う過程を、もっと細やかに描くべきだ。
結果として、どこを取っても中途半端な内容になってしまい、作り手が何を見せたかったのかよく分からない。

まぁ・・・本来的にはホイットニー・ヒューストンを観てもらいたかったのだろう。
当時、プロデュース業にも熱心だったケビン・コスナー自ら製作にクレジットされるほど前のめりで参加し、
自らボディガード役を買って出てるんで、キャスティングの話題性で映画をプッシュしたかったというのは分かります。
ただ、どうせそれで映画化するならば、もっと中身を精査して欲しかったというところ。これでは失敗作で終わってしまう。

結局、ヒロインを脅していた真犯人の正体が明らかになっても、なんだか納得性が無いし、
クライマックスの授賞式も映画のハイライトになるはずだったのに、どこかヤッツケ仕事のように緩慢な仕上がりだ。
これでは映画が盛り上がるはずもなく、ラストシーンの2人のキスシーンでカメラがグルグル回っても、
オシャレな撮り方というよりも、どこか白々しさがあることは否めない。これらは本作のスタッフなら回避できたはずだ。

主人公のボディガードも感情を表に出さないプロフェッショナルなボディ・ガードのスペシャリストとして
寡黙にヒロインの生活を守りつつも、感情的になる彼女と衝突して、「貴女を守ることはできない!」と言い切って、
何度も仕事を断わろうとするものの、周囲から懇願されて残るという、最初っから意思の弱いところがあるように見える。

そのせいか、ヒロインと少しでも心通わす部分ができれば、いとも簡単に彼女を自室に招き入れるし、
実に簡単に2人は恋愛関係になる。ここは頑なに仕事に徹するからこそ、プロのボディガードだと思うのだが・・・。

こういうプロフェッショナルを当時のケビン・コスナーが演じるには、キャラクターが硬過ぎたのだろうけど、
そんな硬派な存在だからこそ、恋愛関係になると、もの凄く高いハードルを乗り越えた感覚が出てくるわけだし、
本作で描かれた感じだと、あまりに簡単に恋愛関係になってしまう。ここがイージー過ぎるように感じられてならない。
そのせいか、2人のロマンスは全くと言っていいほど盛り上がらないし、翌朝にはプロのボディガードに戻ろうと
必死にヒロインを説き伏せようとする姿は、もはや情けなく見えてくる。この時点で、悪い意味で破綻していますよ。

繰り返しになりますが、普通ならこんな仕事、すぐに断わってしまいますよ。
身辺警護って、保護対象となるクライアントの理解がなければ成立しないことなのに、
少しでも意見すれば、ヒロインの逆鱗に触れて、徹底的に非難されまくって罵倒されるなんて、やってられないでしょう。
そんな中でも、やり遂げようとすることは、主人公がプロフェッショナルとしての矜持を持っているからなのだろうか?

脚本の問題もあるのだろうけど、これは正直言って企画そのものに問題があったと言わざるをえないと思う。

まぁ、ケビン・コスナーもセルフ・プロデュースの意味合いでも、本作の意義は大きかったのだろうし、
プロダクションとしても映画の出来がどうであれ、結果として商業的には大成功を収めたのだから万々歳なのでしょう。
ラジー賞に大量ノミネートされたとは言え、主題歌も含めて、本作の存在は莫大な経済効果があったと思います。
そういうビジネスライクな面では良かったのだろうけど、今思えば、どうしてここまでヒットしたのか謎なんですよねぇ・・・。

やっぱり、ケビン・コスナーとホイットニー・ヒューストンの共演という時点で、
映画の商業的大成功はほぼ約束されていたようなもので、そうなると映画の中身はどうでも良かったのかもしれない。

言ってしまえば、この頃からハリウッドの商業主義的な風潮は、より顕著なものになっていった気がする。
資金力のあるプロダクションが幅を利かせるようになり、キャストへのギャランティーも高額化していきます。
言い換えれば、それだけ映画界の景気が良かったということなのですが、その代償は徐々に蓄積してきたと思う。
先日もテクニカラー社が業績不振で会社閉鎖したことが報じられましたが、今や映画界は過渡期を迎えています。

その責任が本作にあるなんて暴論は言いませんけど、
こういうお手軽な企画の映画が増えて、瞬間的なヒットで潤うということを繰り返した結果、
しっかりとした映画を作るという文化が醸成されず、エンターテイメントとしての限界に直面している気がする。
勿論、生活様式の変容やサブスクの台頭もありますけど、今一度、本質を追求する動きがあってもいいように思います。

どうせなら、ホイットニー・ヒューストンの歌唱をフルコーラスで収めるとか、それくらいはやって欲しかったなぁ。
彼女自身、歌手としてスーパースターであり重ね合わせるかのように、圧倒的なステージングを見せて欲しかった。
それだったら、本作で彼女を敢えてヒロインに起用して映画化する意義があったと言えると思うのですがねぇ・・・。

大元は70年代後半にスティーブ・マックイーンとダイアナ・ロスが共演する企画で立ち上がって、
結局は企画自体が“流れて”しまったシナリオの焼き直しのようで、ほとんどローレンス・カスダンがイニシアティヴを
とっていた作品みたいですけど、主演のケビン・コスナーも製作兼任で前のめりになって本作の参加しているし、
監督のミック・ジャクソンも何か爪痕を残したかったでしょう。実際、本作の後に何本か映画を撮っていますしね。

しかし、どうしても・・・キャスティングとホイットニー・ヒューストンを守る、というコンセプトだけで
世界的にメガヒットしてしまったような印象があって、映画を撮るという観点では何も“起こして”いない印象がある。

それにしても、本作最大のハイライトであるアカデミー賞授賞式で主人公がヒロインを守るシーンですが、
現実的に考えれば、スゴい予知能力というか、いくらスナイパーが分かっていても、ダイビングして銃撃を自分が
受けるというのは、スゴくアクロバティックであり得ないことだと思った(笑)。銃撃なんて、ホントに一瞬ですからね。

そう思うと、犯人もどこか間抜けで撃つ結構前には、ボディガードがヒロインに駆け寄って来るのが見えたはずで、
それでも尚、大勢の人前で引き金を引くという、あまりに強引で杜撰な犯行に至るというのが違和感がある。
この辺は寛容的に観られるべきところなのだろうけど、個人的には犯人がドサクサに紛れてヒロインに接近してきて、
異常を察知した主人公が慌ててヒロインに駆け寄って、寸前で彼女を救うぐらいの状況の方が良かったように思う。

少なくとも、このシーンは作り手が最も見せ場として盛り上げたかっただろうから、
敢えてステージの上で劇的に描きたかったのだろうけど、ここは主人公のようなストイックさがあっても良かった。
言葉は悪いけど、どうせラストシーンで飛行場でグルグルとカメラが回るキスシーンはあったのだろうし・・・。
何から何まで派手に描きたかったのかもしれないけど、犯人の無能ぶりより主人公の有能を強調して欲しかったなぁ。

あと、原作にもあったのだろうけど、主人公が黒澤 明の映画を敬愛していて、
何故かデートで『用心棒』を観るというシーンがあって、主人公の部屋に日本刀があるという奇抜な描写もありますが、
何故にここまで無理矢理な感じで、侍魂(?)と結び付けるのかが意味不明で、余計な描写に見えてしまった。

主人公も雄弁に語っているので、彼らなりのリスペクトからこういうシーンを描いたのだろうけど、
この映画で敢えて、それを語る意義が分からない。ハッキリ言って、何も脈絡が無いのでつながらないではないか。。。

(上映時間130分)

私の採点★★★★☆☆☆☆☆☆〜4点

監督 ミック・ジャクソン
製作 ローレンス・カスダン
   ジム・ウィルソン
   ケビン・コスナー
脚本 ローレンス・カスダン
撮影 アンドリュー・ダン
音楽 アラン・シルベストリ
出演 ケビン・コスナー
   ホイットニー・ヒューストン
   ビル・コッブス
   ゲーリー・ケンプ
   ミシェル・ラマー・リチャード
   マイク・スター
   トマス・アラマ
   ロバート・ウール

1992年度アカデミー主題歌賞 ノミネート
1992年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト作品賞 ノミネート
1992年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト主演男優賞(ケビン・コスナー) ノミネート
1992年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト主演女優賞(ホイットニー・ヒューストン) ノミネート
1992年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト脚本賞(ローレンス・カスダン) ノミネート
1992年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト音楽賞 ノミネート
1992年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト新人賞(ケビン・コスナー、ホイットニー・ヒューストン) ノミネート