鳥(1963年アメリカ)

The Birds

いやはや、これは何度観てもスゴい映画だ。
今から60年近く前に、こんな映画を撮っていたという事実に何度でも驚かされてしまう。

スリラー映画の巨匠ヒッチコックが仕掛けた、鳥を題材にした動物パニック映画だ。
これはある意味で、誰もが最も身近な野生動物である鳥が、突如として理由も分からないまま、
人々に襲いかかるという、無慈悲且つ凄惨な出来事を、驚くほどに淡々と描いていることがスゴい。

ダフネ・デュ・モーリアの原作の良さというのもあったとは思うが、
これはやはりヒッチコックの先見の明があった企画だったというか、映像表現として限界のあった、
60年代前半に美しいカラー・フィルムで、これだけの工夫を凝らして映画を撮っていたというのが驚きだ。

映画はサンフランシスコで働く若き女性メラニーが、
市街地のペットショップで、甘いマスクの弁護士ミッチに話しかけられるところから始まります。

メラニーは自分のことを良く見せようとして、
ミッチの問いかけに、あたかもペットショップの店員であるかのように振る舞いますが、
ラブバードを探すミッチに見せようと、鳥かごに手を入れつかみますが、鳥をつかみそこねて、
店内に逃がしてしまいます。ここから、メラニーは好みのタイプの男性に積極的にアピールするタイプだと分かります。

一旦、ミッチと別れたものの、彼を追い、ラブバードを携えて郊外の田舎町ボデガ・ベイへと
車を走らせ、ラブバードを届けるという、チョットなかなか考えられない行動に出ます。

この頃までの映画のヒロインとしてはなかなか無いタイプだったと思うのですが、
本作でヒッチコックは敢えて、メラニーを現代的な女性像として描きたかったようで、
ヒッチコックお好みのブロンド美女であるティッピ・ヘドレンをキャスティングしたのですが、
このメラニーの異性に積極的なキャラクターは、彼女には合っていたように思いますね。

いざ彼女が田舎町のボデガ・ベイに入った途端に、ボートに乗った彼女が何故かカモメの襲撃にあい、
負傷したことを皮切りに、カモメはおろか、カラスもスズメも片っ端から鳥が異常行動を呈し、
理由や目的も分からない、動物の生態学では説明がつかない人々を襲うという、パニックに陥れます。

よく、最近は新型コロナの流行や、日本企業の欧米型の管理を真似ようという発想が多く、
確かに大事なことではあるのですが、「科学的なエビデンスをもとに話しをしよう」と簡単に言ってしまいます。

ホントはその前に、提示されたエビデンスの妥当性や正しさ、根拠となりうるかという
判断を正しくできる能力が求められるし、そのエビデンスを生み出し理屈や現実を理解していないと、
そのエビデンスを評価できないと思うのですが、今はこういう時代と言わんばかりにこういうことが横行しています。

つまり、日本人もそうなのですが、自分たちの決断をくだす上で、
エビデンスがあるということが安心材料になるのではないかと思いますが、
こうして動物の生態学では説明がつかない現象というのは、人々にとっては凄く恐ろしいことに感じるのですよね。

心霊現象なんかもそうですが、科学的に説明がつかない、目的がよく分からない、
だけど、自分の命に係わる恐怖ということが、実は最も怖いことであるということに真っ先に目を付けたのが、
当時のヒッチコックだったということを考えると、当時のそれまでの自分の得意分野に溺れることなく、
常に新たなことを求めて、斬新な映画を撮り続けていたチャレンジ精神を強く感じさせますね。

50年代のヒッチコックは、間違いなくキャリアとしても充実した時期だったと思います。
特に50年代後半に入ると、次々と名作を撮っていましたし、60年の『サイコ』は低予算に映画を仕上げ、
それでもその中で出来る最大限の恐怖を盛り上げる演出を施し、常にチャレンジングな姿勢を持っていました。

それでも尚、本作のような映画をアッサリと作ってきたのだから、当時の映画ファンが羨ましい。

今でこそ、動物が人間に襲いかかるパニック映画なんて、すっかり使い古されてしまい、
凡百の映画の中に埋もれてしまうジャンルなのですが、63年当時はほぼ無かったと思うんですよね。
そういう意味では、ヒッチコックは動物パニック映画のパイオニアと言っても過言ではないと思います。

まぁ・・・ホントは54年に『黒い絨緞』という、人食い蟻を描いた映画があったので、
あれの方が元祖と言えば、そうなのですが...より日常に近い感覚で描かれたのは、本作からでしょう。

本作で描かれる鳥は、鳴き声が不気味な電子音で表現され、
羽音も随所で人々の緊張感を高める演出として使っている。おかげで僕も鳥が怖くて仕方がないですよ(笑)。
クライマックスに家の中に暖炉を進入路にして、大量の鳥が飛び回るシーンは、当時としては珍しい特撮だ。
よくよく観ると、現代の技術力と比較すると稚拙な出来映えですが、当時はかなり新しい映像表現でした。

個人的な話しをすれば、過去にカラスに真正面から羽を全開にして襲撃してきたのが
トラウマになっていて、特にカラスはダメですね。今でも近くを飛んでくるを身をかがめるし、道でも近くを歩きません。
鶏肉は好きですが(笑)、それくらい身近な生き物なんだけど、皆、「ひょっとしたら・・・」と思うのかもしれませんね。

ヒッチコックはそういった、日常生活での盲点的存在にスポットライトを当てて、
起こっている現象自体は非科学的なのかもしれませんが、実際に起こり得る身近な恐怖を描いているわけです。

この映画のハイライトはクライマックスのパニックよりも、
僕には映画の中盤にある、ボデガ・ベイの市街地で鳥の襲撃にパニックになる市民を描いたシーンに感じられて、
最終的には垂れ流しになったガソリンに火が引火して、大爆発になるシーンはかなり力の入った演出だ。
そして、やっとの想いで店に逃げ込んだヒロインが、今度は「アンタが来てから、こんなことになったんだ!」と
ボデガ・ベイの地元民に食ってかかられて、ヒロインが精神的にマイってしまう姿も印象的だ。

結局、何が原因であっても、人間がパニックに陥って、正常な判断が下せなくなることが恐ろしいんですね。
何かに安易に原因を求めて、その原因を糾弾し始めるという市民感情が、見事に象徴されたシーンです。
往々にして、人ってそんなもので、本質原因は全く違うものなのにイージーに結び付け、結局、同じことを繰り返す。

よく言われるように、ミッチと彼の母親との関係性など、どこか異様な様相を呈していて、
そんなことを華麗にスルーして当たり前の親子愛であるかのように描くあたりが、
どことなく『サイコ』を感じさせるのですが、こういったところはヒッチコックの意地悪さを感じますね(笑)。
映画の本筋にはほぼ関係ないのですが、この異様さをメラニーが感じていないというのも、なんだか妙だ(笑)。

それから、やはり鳥の襲撃にあって、両目の眼球をくり抜かれた状態で老人の死体を
カットを割って見せるという、悪趣味(←誉め言葉です)な演出なんかは、如何にもヒッチコックらしい。

映画史に残る名作ではありますが、きっといろんな意見があると思う。
でも、この映画の価値はやはり計り知れないものだと思うし、60年代以降のヒッチコックの代表作だと思う。
何度観ても面白く、カラー・フィルムも美しい。やはりこの映画は、カラー撮影でないとダメだと思ったのでしょう。

(上映時間119分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 アルフレッド・ヒッチコック
原作 ダフネ・デュ・モーリア
脚本 エバン・ハンター
撮影 ロバート・バークス
音楽 バーナード・ハーマン
出演 ティッピ・ヘドレン
   ロッド・テイラー
   ジェシカ・タンディ
   スザンヌ・プレシェット
   ベロニカ・カートライト
   ドリーン・ラング
   エリザベス・ウィルソン
   エセル・グリフィス

1963年度アカデミー特殊効果賞 ノミネート