砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード(1970年アメリカ)

The Ballad Of Cable Hogue

よくサム・ペキンパーはニューシネマ・ムーブメントとは対極する存在だと言われますが、
特に70年代に入ってからのサム・ペキンパーは、僕にはれっきとしたニューシネマな映像作家にしか思えない(笑)。

生前、サム・ペキンパー自身、本作がベストワークとして考えていたようで、
確かにとても愛らしい、美しいフィルムだとは思うのですが、個人的には72年の『ジュニア・ボナー/華麗な賭け』が
大好きなので本作が最高傑作とまでは思えないのだけれども、それでも十分に味わい深い秀作ではある。

やはり何度観ても、時にセピア調に懐かしい画面に思える、
ルシアン・バラードのカメラが素晴らしく、サム・ペキンパーの強いこだわりを感じさせますね。

そして、主人公のケーブル・ホーグを演じたジェーソン・ロバーズの面構えが良いですね。
彼を正々堂々と、規模の大きな映画の主役に抜擢するなんて、サム・ペキンパーぐらいですよ(笑)。
強いわけでもなんでもない汚らしい中年のオッサンが、グラマーな娼婦に惚れられるなんて、
ある意味で映画の中でサム・ペキンパーの個人的な憧れを実現させたという見方もできる作品ですね。

映像表現としても、“早送り”を多用したあたり、
当時、ブリティッシュ・ニューウェイヴとされたイギリスのニューシネマ・ムーブメントである、
フリーシネマの旗手として高名だったトニー・リチャードソンの映像表現を、そのまま流用している。
これは別にパクりとか、悪い意味で言っているわけではなく、それだけ当時のサム・ペキンパーが
持ち前のスローモーションを含め、既存の映画には無かったような斬新な映像表現を研究していたのでしょう。

デビッド・ワーナー演じる、トンデモないスケベ宣教師の描き方も面白く、
どんな状況であっても女性に手を出そうとするエネルギーが凄まじく、存在自体がまるでギャグのようだ。

本作はサム・ペキンパーの監督作品としては極めて珍しく、
時にコメディ映画としての表情も覗かせており、今になって思えば、貴重な映画でもあると思う。
普段はバイオレンス映画の巨匠として崇められていたからこそ、サム・ペキンパー自身が本作のことを
特別な作品として考え、生前のインタビューで彼自身が考えるベストワークと答えていたのかもしれませんね。

どことなく心温まるタッチで綴られていますが、
その割りにラストが実に呆気なく終わってしまう。個人的には、このラストはイマイチだと思う。
「終わり良ければ、全て良し」ではないけど、このラストはもっとどうにかできなかったものかと思えてなりません。

せっかくジェーソン・ロバーズ演じるケーブル・ホーグを味わい深く、
観客が愛着を持てるように描けていたのに、あまりに唐突にしかも余韻を残さぬ終わり方をしてしまう。
ある意味で物悲しいラストを狙ったのかもしれないけど、あまりに唐突過ぎてインパクトを残せずじまい。
これは凄く勿体ないラストだと思います。サム・ペキンパー自身、一体どう思っていたのでしょうか?

この呆気ないラストにしても、観方によっては衝撃的な幕切れと言えます。
これも当時、隆盛していたアメリカン・ニューシネマの潮流を感じさせる、印象的なラストではあるんですよね。
そういう意味で、当時のサム・ペキンパーはニューシネマ・ムーブメントを意識していたのは間違いないと思います。

映画は実に小気味良く、時にハートウォーミングな西部劇だ。
それでいながら、映画の冒頭は色濃く残されるが、どんな砂嵐にも負けず、ハングリーに生き残ろうと必死な
ケーブル・ホーグの姿を実に克明に描けていて、サム・ペキンパーらしい男臭い映画にもなっている。
ある意味で、当時のサム・ペキンパーが得意だった部分だけを、良いとこ取りしたような内容なのですが、
不思議と今の日本では、本作の存在自体が忘れ去られてしまったかのようなのが、なんとも残念でなりません。

個人的には映画史に残る傑作とまでは言い難いものの、
サム・ペキンパーが残した愛すべき秀作ぐらいには、褒め称えられて然るべき仕上がりなのではないかと思う。

まぁ、サム・ペキンパーの映画なので主人公として描かれる男は
お世辞にもカッコ良い男には見えないし、年齢的にもオッサンに達した年齢なんだけれども、
不思議と映画の終盤になると、魅力的なキャラクターに見えてくるのが、ある意味でマジックだ(笑)。
でも、それでこそサム・ペキンパーが孤高の存在として評価される映像作家になった所以なんですよね。
だって、当時でもジェーソン・ロバーズやウォーレン・オーツを主役に据えようという発想自体が、かなり冒険ですよね。

そう思って観ると、ステラ・スティーブンス演じる娼婦にしたって、
映画の前半の彼女の描き方は、まるで旧時代的な描き方で現代であれば拒絶されるかもしれない。
メイクもどこかケバケバしく、時代性を考えても、いささかステレオタイプな描き方のようにも思える。

でも、彼女もまた、映画の終盤でセレブリティな容姿、
そして成功し地位と名誉を手に入れた、社会的に余裕のある雰囲気でスクリーンに再登場する。
これもサム・ペキンパーにしか描けない境地なのかもしれません。この時代の“高嶺の花”を体現しています。

本作はそんな妙味に満ちた、なんとも温かみのある内容になっている。
それでもサム・ペキンパーの監督作品であるがゆえ、どこか古い時代のニュアンスも内包しているが、
やはり何度観ても本作なんかは、最終的に人間味溢れ、不思議な魅力が詰まった映画に仕上がっている。
だからこそ、サム・ペキンパー自身、とても自信のある監督作品として本作を推していたのかもしれませんね。

得意のスローモーション撮影を駆使したバイオレンス描写は影を潜めていますが、
前述したようにルシアン・バラードのカメラがホントに美しく、サム・ペキンパーの映像に対するこだわりを感じます。
砂嵐の表現にしても、あまり莫大な予算が集められなかったなりに、工夫して描こうとする意図が見える。

ただ、そうであるからこそ、どこか作りの甘さ(隙)を感じさせるあたりがサム・ペキンパーらしい。
そこが逆に映画監督としての魅力の一つであり、完璧主義とまではいかないところが支持者の多さを象徴しています。
他の監督作品とは毛色が異なりますが、相変わらずのカッコ悪い中年オッサンの美学を描いてはいますし。

しかし、それにしても大事に撮ったことがよく分かる映画だ。
これまでに美しいフィルムでカッコ悪い中年オッサンの美学を描くというのは、最高の贅沢なのかもしれません。

(上映時間121分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 サム・ペキンパー
製作 フィル・フェルドマン
脚本 ジョン・クロフォード
   エドマンド・ペニー
撮影 ルシアン・バラード
編集 ルー・ロンバルド
   フランク・サンティロ
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
出演 ジェーソン・ロバーズ
   ステラ・スティーブンス
   デビッド・ワーナー
   ストローザー・マーチン
   スリム・ピケンズ
   L・Q・ジョーンズ