悪い奴ほどよく眠る(1960年日本)
シェイクスピア劇と接近していた黒澤 明が社会派映画を撮ろうと意気込んで製作した復讐劇。
本作は現代劇である。しかも、一種独特なピカレスク・ロマンという様相だ。
映画の冒頭から、汚職の疑いを多くかけられた開発公団副総裁の秘書の結婚式から始まるが、
マスコミが駆けつけ、嫌疑のオンパレードとも言える面々を、記者たちがまるで品定めするように眺めている。
この映画の冒頭、約20分にわたって、この結婚式のシーンだけで構成されており、
「さすがは黒澤 明。何か本作も違ったものを見せてくれるだろう!」とウキウキさせるような出だしである。
しかし! しかしだ...この映画はなかなか“走り出さない”。もっと疾走感があってもいいと思ったのだが、
どちらかと言えば、黒澤も重厚感を出したかったのだろう。それと、台詞で説明するシーンが凄く多い。
これでは全体的に冗長になる傾向が強く、三橋 達也演じる花嫁の兄など、時折、ギョッ!とするキャラクターも
いるにはいるのですが、いかんせんこれでは映画が“走り出さない”。悪い意味で、ずっと鈍重な雰囲気なのです。
この結婚式の冒頭は、僕にとっては最高のオープニング。何か普通ではない雰囲気に包まれている。
しかし、映画が進むにつれて、なんとなくテンションが落ちていってしまう。特に終盤のドラマは、僕は賛同できない。
主には加藤 武演じる協力者が表に出てきて見せ場を与えられるのですが、
何があったのかを全て、彼の台詞で吐き出すことで説明してしまうなんて、あまりに芸が無さ過ぎる。
こんなことまで舞台劇のようにして、全てを台詞だけで表現してしまうことでクリアしようなんて、チョット甘い気がする。
そのせいか、このラストはまったくもって盛り上がらない。それまでのことを台無しにするようなラストだったと思います。
表現に制約がある舞台劇ならまだしも、映画にするにあたって、この表現はあまりにイージー過ぎる。
良くも悪くも黒澤らしさとは決別したかったのかもしれませんが、この終盤は脚本の段階で考え直して欲しかった。
この映画は、前述したように開発公団副総裁の岩淵の秘書である西と、岩淵の娘との結婚式から始まる。
ホテルの大披露宴会場で行われ、立派なウェディングケーキが用意され、出席者も財界の有名人が多数いる。
この岩淵が勤務する開発公団は、とある建設会社の入札に関わる汚職疑惑がかけられていて、実際に警察に
マークされている幹部が何人もいて、マスコミの報道も過熱している中での結婚式であり、マスコミも集まっていた。
普通に考えれば、よくそんな最中で結婚式を挙げたなぁと感心させられましたが、
出席者の一人ひとりが、“心当たり”があり過ぎて落ち着かない。これは普通の結婚式ではないと気付かされる。
そこから徐々に全容が明らかになっていくのですが、映画の冒頭から誰が悪い奴なのかはハッキリしている。
それは映画の最後まで不変なのですが、岩淵を演じた森 雅之の好演が光りますね。家庭では優しい父親で
娘役を演じた香川 京子からしても、報道で取り沙汰されている内容がにわかに信じ難い。仕事は厳しいのだろうと
夫である西が秘書業に忙しいのも気がかりで、西は西で帰宅が異様に遅く、夜中に外出したりするのが気になる。
それでも、いつも優しい父なんですね。しかし、そういう奴こそ、悪い奴なんだ(笑)。
現代劇よりも時代劇の印象が強い黒澤ですが、本作の前半から中盤にかけては良い意味でダイナミック、
且つ重厚に演出できていて、十分に高い演出力を発揮できていると思います。クドいようですが、終盤が・・・ですが。
まぁ、黒澤がシェイクスピアにインスパイアされた作品を監督したのは本作が初めてというわけではない。
有名なのは57年の『蜘蛛巣城』で既に意識していますし、当時の黒澤の欧米志向の高さを象徴していると思います。
本作なんかも、普通ではない結婚式のシーンから始まったり、当時の他の日本映画とは一線を画すアプローチだ。
映画のポイントとなるのは、会場に運び込まれたウェディング・ケーキで再現された、
公団のビルディングの7階オフィスで、結婚式の5年前にこのオフィスから一人の社員が飛び降り自殺を遂げたこと。
この自殺に大きな秘密があって、映画が進みにつれて徐々に明らかになっていくのですが、これが復讐劇の契機だ。
このウェディング・ケーキもチョットしたイタズラなのですけど、いくらなんでも依頼主がすぐに発覚しそうで
大きなギャンブルだったような気がしますけど、実に金のかかったイタズラで当時の発想としては斬新だったのかも。
三船 敏郎演じる西の本心がイマイチ分かりづらいのは、本作のネックかと思いました。
彼は冒頭から岩淵の娘と結婚するわけですが、政略的な結婚にも映るし、一方で足の悪い花嫁との結婚で、
彼女の体をいたわるような行動もあって、彼女を本当に愛しているのかとも思える。不器用な性格なのかもしれない。
とは言え、西の本音は一体何であるのかが不透明で、この辺は黒澤ももっとハッキリと描いて欲しかったなぁ。
そして、前述したように映画の終盤に差し掛かると、色々とそれまでのエピソードを回収しにかかるのですが、
岩淵の側近の身柄を拘束して、全ての悪事を吐かせるという展開から、いろんなことを台詞で表現し始めて、
途端にそれまで巧妙に見せてきたドラマが、雑に見えてしまうという、悪い意味で大暴走をし始めてしまいます。
これはこれで黒澤は映画を収束させるためにやったことなのかもしれませんが、途端に映画が嘘くさくなってしまう。
それまでグイグイ引っ張りこんでいったのに、ここで途端に投げ出してしまったかのように台無し。
復讐の協力者を演じた加藤 武も良い役者さんなのに、このラストの芝居のおかげで良い印象で終われなかった。
なんだか、何もかもが勿体ない終盤になってしまっていて、まるで途中で監督が交代したのかと思えるほど。
しかし、そこからつながる本作のラストシーンは...実は結構、好きな終わり方だ(笑)。
だからこそ、勿体ない。一筋縄にはいかない終わり方をしていて、この世の不条理さを象徴する良いラストだ。
勧善懲悪なストーリーなのかと観客が期待するところを、「そうはいかねぇーぞ」と黒澤がニヤリとしているようだ。
このラストシーンもそうなんだけど、やっぱり本作の功労者は岩淵を演じた森
雅之だろう。
彼の如何にもという、悪役キャラクターの造形はホントに素晴らしい。日本の社会に蔓延る忖度という文化が
何故消えることはないのかというのを、本作の森 雅之の存在感自体が証明しているようなものとしか思えません。
最近でも、官僚と政治の世界で忖度という言葉がクローズアップされて、様々な不祥事疑惑が報道されましたが、
日本の組織形成文化からすると、やっぱり実力の前に肩書を重んじるせいか、忖度というのはどこにでもある。
それを黒澤は時代劇でも表現してきた面があって、その悪い部分が思いっきり出てしまったのが本作と言える。
結局、岩淵の暴走を止める者は一人もおらず、周囲はそれどころか忖度から加勢してしまい、次々と悲劇を生む。
日本企業の風土というのは、高度経済成長期に凄まじい威力を発揮して、数々の成果を挙げました。
その頑張りのおかげで、国際的にも高い評価を得て販路を確立し、海外に進出した企業も数多くあります。
しかし、一方では同調圧力が強い日本では、経営層や上司・同僚に対する忖度というものがなかなか消えません。
その忖度があったがゆえに、かつて犯罪として立件されるような不祥事も幾多、報道されています。
結局は自己責任ということになるのでしょうが、それは見方を変えれば“トカゲの尻尾切り”。実に複雑怪奇でもある。
何が言いたいかというと、本作で黒澤はそんな日本の企業文化に対する一つの警鐘を鳴らしたかったのだろう。
こんなことがありふれているからこそ、日本企業の内部では忖度というものが絶対に消えるわけがないですからね。
そして当時の日本経済を押し上げる原動力であった、企業の組織文化の危うさをも感じていたように思います。
そこで悪になり切れない悪人が復讐するというストーリーを仕立てて、ホントの悪党を退治しようとします。
ところがやっぱり、巨悪は巨悪。ホントの悪党を退治することは、決して簡単なことではなく、握り潰される怖さがある。
常に偉い人の顔色をうかがいながら仕事しなければならないなんて、僕にとっては息苦しくてたまらない環境ですが、
そんな僕でも会社組織の中で、全く上下関係を気にしないで仕事するなんてのは、現実的に無理ですからね。
このタイトルも意味深長で良いですねぇ。実際にそうだと思えるタイトルですものね(笑)。
普通、何か不安がことがあったり、自ら悪事をはたらいてヤバい状況になろうものなら、眠れるわけがないですよね。
でも、そんな状況でもよく眠れる奴こそ、ホントに悪い(笑)。現実を的確に言い得た、実に良いタイトルと思います。
黒澤の監督作品としてはどうしても、高い評価のできる作品とは言い難いのですが、
後半の描き方さえ何とかなっていれば、本作の印象は大きく変わっていただろうと思えるだけに勿体ない・・・。
(上映時間150分)
私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点
監督 黒澤 明
製作 黒澤 明
田中 友幸
脚本 小国 英雄
久板 栄二郎
黒澤 明
菊島 隆三
橋本 忍
撮影 逢沢 譲
美術 村木 与四郎
音楽 佐藤 勝
出演 三船 敏郎
森 雅之
香川 京子
三橋 達也
志村 喬
西村 晃
加藤 武
藤原 釜足
田中 邦衛
笠 智衆
宮口 精二