アパートの鍵貸します(1960年アメリカ)

The Apartment

これは実に見事なビリー・ワイルダーらしい名画だ。
少々長過ぎる傾向にはあるものの、用意周到かつ丁寧な描写で、見事な傑作に仕上がっている。

ハリウッドを代表する名コンビ、ビリー・ワイルダーにI・A・L・ダイアモンドが
綿密な構想を練り上げ、ニューヨークの大企業の保険会社で働くサラリーマンであるバクスターの悲哀を
エレベーター・ガールのフランとの恋愛を交えて、ユーモアとペーソスたっぷりに描きます。

やっぱりこの頃のジャック・レモンは良いですね。
抜群にチャーミングなシャーリー・マクレーンとの名コンビぶりも、息がピッタリ合っていて、
何度観てもしっかり楽しめる。よっぽど息が合ったのか、彼らは63年の『あなただけ今晩は』でも再共演しました。

映画の冒頭でバクスターが語っていますが、1959年11月当時、
世界を代表する大都市ニューヨークの人口は既に800万人を超えているということで、
今現在もニューヨーク市の人口は約840万人とのことですので、60年以上前から高層ビルが建ち並ぶ、
マンモスタウンであったことを考えると、これはスゴい街だなぁと思います。映画に映る空撮映像を見ても、
既に近代化が大きく進んでおり、現在のニューヨークと大差はないことに驚かされてしまいます。

勿論、日常生活は大きく変わっている。バクスターのオフィス勤務の様子を見ても、
無味乾燥な雰囲気で机が一方向的に並んでいて、タイプライターのみ机の上に置かれて、
ひたすら数字とにらめっこして、タイプライターをカチャカチャと打っていく。オフィス間を書類の移動だけを行う、
専属のメッセンジャーがいて、現代社会ではありえないくらいローテクなので、こういうところは大きく変わっている。

でも、こうして言葉は悪いが、まるでロボットのように馬車馬のように働かせられ、
バクスターは“時間潰しに”残業しているという不思議な感覚だが、これは当時であれば普通にあったことでしょう。

週給900ドルと言っているので、現代の相場感から言っても、
バクスターの給料はそんなに悪くないと思うのですが(笑)、出世のためにと小銭稼ぎをしながら
会社の上司に取り入る彼には、人には言えない“副業”があったというのが、本作の主旨になってきます。

ってか、現実にこんな会社があったら、それはそれでスゴいなぁと思いますが、
いくら浮気のためとは言え、顔見知りの人のアパートの部屋を逢瀬のために借りるという感覚も理解し難いし、
何より入れ替わり立ち替わり、会社の上司が次々と自分の部屋を逢瀬のために貸し出すというのも、僕なら嫌だ(笑)。

挙句の果てに、使う連中は夜中だろうが相手の都合お構いなしに自分の性欲が赴くままに
部屋を貸せと電話してくるし、使ったら使ったで、「酒がない」だの「つまみがない」だのと文句を言われる。
そして、捨て台詞に「ウォッカを用意しておけ」ですからね。そら、いくら会社の上司だって、我慢ならんでしょう(笑)。

これが現代で言う、ハラスメント的に行われていたかと聞かれると、
確かに立場の優越性を悪用している気はするけど、利害関係が一致しているように感じるし、
なんだか微妙なところではありますが、いずれにしてもこんなことで評価されて昇進というのも嫌だ(笑)。

まぁ、こういう部分も含めて、なんだか報われないバクスターの悲哀というのが、
ビリー・ワイルダーの手にかかれば、ジャック・レモンのキャラクターも上手く利用して、愛らしい主人公になり、
サラリーマンの性(さが)を描きながら、それでも・・・と映画の終盤では彼らなりの“反抗”をする姿が心地良い。

この辺の映画全体を見渡して、上手く配分できるあたりがビリー・ワイルダーの凄さだ。
正直言って、本作には目を見張るような演出があるわけではないが、構成する力がもの凄く高い作品だと思う。
これは勿論、シナリオの段階での良さもあるのだけれども、やはりビリー・ワイルダーの才能なのだろう。
目を見張るような演出がなくとも、映画全体を見渡して、なんだか愛らしい名画として何度も観てしまう。
それがビリー・ワイルダーの監督作品に共通して言えることだと思うけど、最近はこういうディレクターはいないなぁ。

ビリー・ワイルダーに心酔していたキャメロン・クロウも、
僕の好きな映画監督ではあるけど、さすがにこんな感覚に陥る作品は撮れてないものね。
だから僕は思うんです。ビリー・ワイルダーは唯一無二の存在で、こういう映画監督は強いなぁ・・・と。

まぁ、欲を言えば、フランの不倫相手であるフレッド・マクマレー演じる人事部のシェルドレイク部長を
もっとしっかりと描いて欲しいとか、難点がないわけでもないのですが、映画の価値を損なうほどのことではない。

この映画は総じて、屋外のシーンは夜のシーンが多く、昼のシーンはほぼ屋内である。
当時はカラー・フィルムで撮影することも出来たとは思いますが、敢えて白黒を選択したという気もします。
夜間の屋外の撮影は、やはり陰鬱というか、どこか重たいシーンになりますし、バクスターの居場所の無い
精神的なツラさを上手く表現できている感じで、このヴィジュアル・デザインの計算高さは特筆に値する。

それゆえ、単純なコメディ映画というわけではなく、バクスターが抱える寂しさや虚しさを表現しつつ、
それでもお気に入りのフランの前では、気丈に振る舞おうとする“精一杯感”が、なんとも切ない。
ユーモアの中に独身男性として、そして大企業に勤めるサラリーマンの悲哀を内包した映画になっているのです。
さすがにあれだけの社員が働いていて、同じ会社の人かどうかも分からない人ばかりという環境で、
普通に仕事しているだけで、自分の上司に顔を覚えてもらって、早く出世しようなんて無理ですよね。

そこでバクスターがとった手段は、会社の上司相手の“副業”だったというわけです。

かの有名なバクスターがテニスラケットでスパゲッティの麺の湯切りをするシーンにしても、
なんとかフランを元気づけようと必死な姿が、彼のなかなか届かぬ恋心を象徴しているようで、やっぱり切ない。
そういう意味で、本作はバクスターがなかなか報われることがないエピソードを根気良く重ねている。
まぁ・・・“副業”のおかげで出世はしますがね、バクスターも心の奥底は満たされないことを実感していたでしょう。

また、この時代の映画の邦題は洒落てるんだなぁ。これはこれで賛否はあるのだろうけど。
この映画の邦題なんて、よく思いついたぁと感心しますよ。よくよく本編を観ると、確かにピッタリな邦題なんですよね。

当時のビリー・ワイルダーはじめ、世界各国に素晴らしい才能を持った映画監督が数多くいて、
映画界は世界的にニューシネマ・ムーブメントを代表として、大きな潮流の変わり目を迎えつつありましたけど、
そんな映画に関わる翻訳を行う方々の語彙力というか、ネーミング・センスも群を抜いて素晴らしかったですね。

1960年度アカデミー賞で作品賞をはじめとする主要5部門を受賞しただけあって、
後世に大きな影響を与えた、映画史に残る名作と言っていいと思います。一度は観ておいた方がいい名画です。
この頃のシャーリー・マクレーンは当時の他の女優さんには無い、チャーミングさを炸裂させていて、こちらも必見です。

ビリー・ワイルダーは前年の『お熱いのがお好き』の撮影現場で、マリリン・モンローと衝突してしまい、
ジャック・レモンは続けて起用しましたが、脚本を書く段階で既にマリリン・モンローのようなタイプの女優を
配役することを全く想定していなかったと思います。それもシャーリー・マクレーンをキャスティングしたことで、
チャーミングな可愛らしさを描くことに変わったことで、ビリー・ワイルダーの描くロマンスの味わいも変化しましたね。

この映画のフラン役にはマリリン・モンローやオードリー・ヘップバーンが演じていたら、こうはいかなかったでしょう。

そういう意味でも、キャスティングの重要性を今一度実感させられる作品かと思います。
脚本は確かに良く書けていて素晴らしいですが、キャスティングでその価値を決定づけた作品かとも思います。

(上映時間125分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 ビリー・ワイルダー
製作 ビリー・ワイルダー
   I・A・L・ダイアモンド
脚本 ビリー・ワイルダー
   I・A・L・ダイアモンド
撮影 ジョセフ・ラシェル
音楽 アドルフ・ドイッチ
出演 ジャック・レモン
   シャーリー・マクレーン
   フレッド・マクマレー
   レイ・ウォルストン
   デビッド・ルイス
   ジャック・クラスチェン

1960年度アカデミー作品賞 受賞
1960年度アカデミー主演男優賞(ジャック・レモン) ノミネート
1960年度アカデミー主演女優賞(シャーリー・マクレーン) ノミネート
1960年度アカデミー助演男優賞(ジャック・クラスチェン) ノミネート
1960年度アカデミー監督賞(ビリー・ワイルダー) 受賞
1960年度アカデミーオリジナル脚本賞(ビリー・ワイルダー、I・A・L・ダイアモンド) 受賞
1960年度アカデミー撮影賞<白黒部門>(ジョセフ・ラシェル) ノミネート
1960年度アカデミー美術監督・装置賞<白黒部門> 受賞
1960年度アカデミー音響賞 ノミネート
1960年度アカデミー編集賞 受賞
1960年度イギリス・アカデミー賞作品賞 受賞
1960年度イギリス・アカデミー賞主演男優賞<国外部門>(ジャック・レモン) 受賞
1960年度イギリス・アカデミー賞主演女優賞<国外部門>(シャーリー・マクレーン) 受賞
1960年度ヴェネチア国際映画祭主演女優賞(シャーリー・マクレーン) 受賞
1960年度ニューヨーク映画批評家協会賞作品賞 受賞
1960年度ニューヨーク映画批評家協会賞監督賞(ビリー・ワイルダー) 受賞
1960年度ニューヨーク映画批評家協会賞脚本賞(ビリー・ワイルダー、I・A・L・ダイアモンド) 受賞
1960年度ゴールデン・グローブ賞作品賞<コメディ部門> 受賞
1960年度ゴールデン・グローブ賞主演男優賞<ミュージカル・コメディ部門>(ジャック・レモン) 受賞
1960年度ゴールデン・グローブ賞主演女優賞<ミュージカル・コメディ部門>(シャーリー・マクレーン) 受賞