15時17分、パリ行き(2018年アメリカ)

The 15:17 To Paris

2015年8月12日、オランダの首都アムステルダムからフランスの首都パリへと向かう、
高速列車“タリス”の車内で発生した、イスラム過激派によるテロ事件に立ち向かった、
3人のアメリカ人若者たちの生い立ちから、何故、当該列車に乗り込むことになったかを描いたドラマ。

この映画で大きな話題となったのは、かなり最近のノンフィクションを映画化したということと、
主人公的存在である3人の若者たちを、本人に演じさせるということを実現したことでした。

前評判も高く、本作は映画賞レースに絡んでくるのではないかと、
前哨戦直前には話題になっていたのですが、最近のイーストウッドの監督作品としては
異例なぐらいに評価が高まらず、結果として映画賞レースに絡んでくることはありませんでした。

結論から言いますと、確かに僕にもこの映画の良さは今一つ分かりませんでした。

如何にもイーストウッドらしい演出で、映画の質感は物凄く質が高い。
主人公3人の若者も、ハッキリ言って素人俳優とは思えないレヴェルの高さだと言っていい。
シナリオも原作に忠実に映画化したようで、決して悪いものではないと思います。

ただ、根本的にイーストウッドがこの物語のどこに惹かれて、
映画化することを決断したのか、本編を観てもサッパリよく分からなかった。
演出的にもイーストウッドとしては無難な出来という感じで、良い意味での冒険が映画には無い。
やはり何か一つでも、突き抜けたものがないと、このレヴェルの映画からすると、どこか物足りない。

単純に事件をドキュメントした、英雄として称された若者たちの生い立ちを
描きたかった、ただそれだけなのであれば、この映画で描かれた内容で十分なのかもしれません。

しかし、イーストウッドが表現したかったことは、きっとそんなことではないはずなんですよね。
そもそも映画化したいと思っていたはずですし、企画自体が持ち込まれたときに引き受けているはずで、
そのときに描きたいと思っていたヴィジョンが、確実にこの映画の中で表現できていたのか?と疑問に思えます。

ただ単に、僕には合わない映画だったというだけなのかもしれませんが、
どうしても僕にはイーストウッドが本作で描きたかったことが、よく分からなかったんですよねぇ。

幼い頃からの仲良し3人組だったけど、シングルマザーに育てられたという
偏見から学校の先生に冷たくあしらわれて、何度も問題行動で学校から親が呼び出し喰らいながらも、
それでも立派な大人に成長して、地元の英雄として表彰されたということを描きたかったのでしょうか?
でもそれって、この3人が若者たちが描きたかったことなのではないかと思うのですよね。

どうしても僕には、この企画をイーストウッドが自らメガホンを取った理由が分からないのです。

勇敢な英雄的行動も凄いんだけど、そもそも映画のウェイトは若者たち3人の生い立ちが最も大きい。
いつの間にか良識ある大人に成長した3人が、束の間のヨーロッパ旅行にことになるのですが、
ここまでで映画は既に約1時間経過していて、肝心かなめのテロ現場での描写は、おおむね10分間。
この時点で、この映画がテロリストに立ち向かう姿をメインに描きたかったわけではないということは明白である。

では、結局、何にイーストウッドが魅力を感じ、映画化していたのだろうか?

おそらく、映画の中でそれが明確になっていれば、もっと映画の印象は違ったはずで、
対外的にも高く評価されたのではないかと思う。まぁ、もうイーストウッドはそんなことに興味ないと思うけど。

そもそも僕はこの映画を勝手にテロ事件現場に居合わせた若者たちの
英雄的行動にフォーカスした映画だと思い込んで観たので、あまりに前置きの長さにビックリしました。
個人的にはそんなテロ事件現場での緊張感と、テロリストとの攻防を中心に描いた映画も観たかったですね。
その方がイーストウッドの本領発揮とできたと思うのですが、ドラマ描写もイーストウッドの得意分野ですしねぇ。

ただ、一つだけイーストウッドらしいなぁと思わせられたのは、
ローマの安宿でチェックインするときに声をかけられた、フロントの女性に部屋を案内されるシーンで、
階段を上がっていく女性を、階下から舐め回すようにカメラが見上げるショットの“いやらしさ”だ。

こういう描写が少ない映画ではありましたけど、やっぱりありましたね(笑)。

てっきり、アムステルダムでの乱れた宴の夜も、こういう方向へ走るのかと思ってましたが、
喧騒のアムテルダムでは、イーストウッドにしては珍しくクラブで踊り狂うという描写に終始しています。

しかし、ノンフィクションの映画化とは言え、イーストウッドって以前のインタビューで、
「ユビキタスは嫌い」と明言していただけに、電子機器やアプリは嫌いなのかと思ってましたが、
本作ではセルフィーやインスタグラムなど、イーストウッドとは縁遠そうなエピソードが数多く出てきます。

最近は新型コロナウイルスのパンデミックの影響もあって、
“自撮り棒”を持ってスマホで記念撮影する旅行者って、あまり見なくなりましたが、
本作ではローマやヴェニスを中心に、そんなシーンが幾度となく登場してきます。妙に懐かしいですねぇ。
思わず、こんなことが日常にある風景の世界に、いつ戻ることができるのだろうかと思いを巡らせてしまいます。

それにしても、このヴェニスでのシーンはやはり美しい。抜群のロケーションですね。
往年の名作『旅情』でも映像が物語ってますけど、ホントにヴェニスは映える街です。一度は行ってみたいなぁ。

しかし、80歳を過ぎても尚、こうして世界各国渡り歩きながら、映画を撮れるイーストウッドは凄いなぁ。
本作にしても、映画が若い。こう言っては失礼だが、老いても尚、創作意欲が旺盛で驚きだ。
素人俳優を起用した映画というのは、過去に数多くあるので別に驚くことではないとは言え、
これはこれでイーストウッドにとっては挑戦であったはずで、それを80歳過ぎてから取り組む意識がスゴい。

映画の狙い、出来自体は僕にはシックリきませんでしたが、その挑戦意識の高さには敬服する。
やはりイーストウッドがハリウッドはおろか、世界を探しても彼の右に出る者がいない理由を象徴してると思います。

実際、このタリス銃乱射事件は多量の銃器を列車内に持ち込まれており、
テロに対する脆弱性を指摘されただけでなく、乗務員が車内で銃声を聞き、一目散に乗務員室に逃げ込み、
周辺の乗客からノックされても、施錠して乗務員室の扉を開けずに、当時は批判が殺到したようだ。

そう考えると、たまたま乗り合わせたとは言え、この3人がタリス号に乗車していなかったら、
この事件はもっともっと被害が甚大なものになったでしょう。そう考えると、フランフ政府とアメリカ合衆国政府から
共に表彰されることになったというのは分かる気がします。その割りに、当時の日本での扱いが小さかったですね。

そういう意味では、本作に価値はあるのかもしれません。

(上映時間93分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 クリント・イーストウッド
製作 クリント・イーストウッド
   ティム・ムーア
   クリスティーナ・リヴェラ
   ジェシカ・マイアー
原作 アンソニー・サドラー
   アレク・スカラトス
   スペンサー・ストーン
   ジェフリー・E・スターン
脚本 ドロシー・ブリスカル
撮影 トム・スターン
編集 ブル・マーリー
音楽 クリスチャン・ジェイコブ
出演 アンソニー・サドラー
   アレク・スカラトス
   スペンサー・ストーン
   ジェナ・フィッシャー
   ジュディ・グリア
   レイ・コラサーニ
   P・J・バーン