サンキュー・スモーキング(2006年アメリカ)

Thank You For Smoking

全米でも有名なタバコ会社の主任PRマンを務めるニックが、
マスコミへ露出しながら、あれやこれやと手を回し、タバコ会社を代表して、
タバコに対するネガティヴ・キャンペーンを繰り広げる上院議員と対決する姿を描いたコメディ映画。

劇場公開されるやいなや、この奇抜な内容が全米では大きな話題となった、
アイバン・ライトマンの息子であるジェイソン・ライトマンが本作でメガホン・デビューを果たしました。

敢えて最初に前提しておきますが、
この映画はタバコを推奨する映画でも、嫌煙をメッセージにした作品でもありません。
ある意味では実にアメリカ的な映画という気もしますが、実に優れたお手本のように中立的な映画です。

特にアメリカでは、一時期、タバコを吸うというだけで出世の障害となったり、
気軽に吸える環境ではなくなったりしていたので、この流れは確実に日本にも入ってきています。

確かに低年齢層の喫煙は、あらゆる意味で悪影響を及ぼすとは思いますが、
合法的に喫煙できる年齢に達したなら、僕も吸うか吸わないかは本人の自由だと思うし、
喫煙者になったからと言って、差別的待遇を受けるものではないと考えています。
まぁ個人的にはこれだけの分煙の時代は進みましたから、ほとんどのオフィスでは吸えなくなっているし、
かと言って、就業時間中に喫煙室へ行っていたら、貴重な就業時間のロスにつながっているので、
もう既に多くの企業で規制を受けてはいますが、就業時間の喫煙は制限すべきだとは思いますがね。

但し、昨今の行き過ぎた嫌煙ムードにはどうかと思いますね。
どこへ行っても喫煙可能なスペースは無く、それどころか家でもタバコを吸えないという家庭も増えています。

そうでなくとも、タバコのテレビCMは規制された結果、日本からは無くなってしまい、
タバコのパッケージそのものに健康を害する旨の警告表示を付される始末で、ホントに肩身が狭そうだ。
これって、やっぱり非喫煙者にとっては、どうでもいいだろうけど、喫煙者にとっては地獄のような社会ですよね。

こういう社会になってしまうと、確かに高コレステロール食や不規則な生活を
強いるブラック企業なんかが、どうして社会的に強く非難されないのかと疑問に思えてならないですね。

要は何でもそうですが、“加減”が大切で体を蝕むぐらい依存してはいけないということ。
タバコはここが問題で、タバコに含まれるニコチンに中毒性があると言われているからこそ、
社会問題としてクローズアップされたのでしょうが、個人的にそれを問題視するのであれば、
いっそのこと法的に規制してしまえばいいのに・・・と思うんですよね。中途半端に注意喚起しないで。

法的に規制できないのであれば、僕は基本的には個人の選択に依存するしかないのでは?と思いますけどね。

こういう映画を観るたびに思うのですが、
100%正しくて、100%間違っていることなんて、この世の中にほとんど無いのではないかと思うんですよね。
どうしても人間は単純明快な構図を好む傾向があるので、物事の議論についても「白か黒か!」みたいな
展開になることが多くって、僕はこれが原因で物事の本質を見失っていることもあると思ってるんですよね。

例えば、本作にしても、「タバコの存在が善か悪か?」というテーマになって議論されますが、
合法的にその存在が認められ、ましてや長らく社会的に存在しているものを、「善か悪か?」という
ドラスティックな議論をしてしまうなんて、ひじょうに愚直な議論だと思うんですよね。

まぁ「善か悪か?」みたいな議論にすると、議論の中身も分かり易いし、
ショーアップ化し易く、議論を煽り易いので、ある特定の思惑がある人の常套手段なのかもしれませんが、
こういう輩が社会をダメにするとまで、僕は思っています。だから実を言いますと、僕は主人公のニックにしても、
フィニスター上院議員にしても、決して好感の持てるキャラクターではなかったというのが本音なんですよね。

でも、唯一、同意できたのは、ホントにニックが映画の最後で述べたようなことで、
僕はおそらく、あれこそがニックの本音なのだろうと思うし、一番、常識的な発言だろうと思いますね。
(勿論、現時点でその妥当性はともかく、タバコが違法だというなら、話しは別ですが・・・)

主人公のニックはプロのロビイストとして活躍しているだけに、
あらゆる議論にも耐える百戦錬磨なキレ者ではありますが、まぁ決して模範的な人間ではないだろう。
息子に対する接し方も一様に正しいとは言えず、別れた妻との関係性も良くはありません。
僕も身近にニックのような男がいたら、確かに仲良くできるかは正直言って、微妙なところだ(笑)。

だって、彼の基本スタンスって、「自分の主張の正当性よりも、相手の主張の不合理を突く」ということですからね。
まぁ議論はいいけど、こういう基本スタンスを持っている人って、たいてい行動力が無い人が多い気がする。
(まぁ・・・これも僕の勝手な偏見なのかもしれませんが、こういう人を好きな人っているの?)

確かに「相手の主張の不合理を突く」というのも、
ディベートの上では重要なことではあるとは思いますが、建設的な議論にならないですよね。
そこに改善へ向けた提案性も無いだろうし、結局、「白か黒か?」という議論を増長することになります。

でもね、前述したように映画の最後の最後で彼が述べたことは、健全かつ常識的な発言だったと思うし、
彼がそう思うようになるまでの過程を、この映画はひじょうに良く描けていたと思いますね。

ジェイソン・ライトマンは面白い観点から、創作活動を続けていて、ユニークな存在ですね。
個人的には彼が次に撮った『マイレージ、マイライフ』はそこまで楽しめなかったのですが、
やはりこれからのハリウッドを牽引していく映像作家の一人になってくるんでしょうね。
ひょっとしたら、映像作家としての能力は父親のアイバン・ライトマンよりも高いのかもしれませんね。
(まぁ・・・少し評論家ウケしそうな作風を感じるのは、なんとかした方がいいとは思いますが...)

まぁシリアスにも押し通すこともできた作品だとは思いますが、
ジェイソン・ライトマンはシニカルな視点から描くことに終始しており、チョット変わった映画ではあります。

上映時間も短く、比較的、アッサリ観れる内容ではありますが、個人的にはこういう映画を観て、
昨今の「白か黒か?」みたいな構図ばかりを好む、全ての事象を分かり易い単純化された構図にすり替えて、
問題の本質を見誤ってしまうことがある危険性について、我々はしっかりと考えるべきだと思う。

勿論、そういう風に単純化しても、問題の無いことも数多くありますがね。

(上映時間92分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ジェイソン・ライトマン
製作 デビッド・O・サックス
原作 クリストファー・バックリー
脚本 ジェイソン・ライトマン
撮影 ジェームズ・ウィテカー
美術 スティーブ・サクラド
衣装 ダニー・グリッカー
編集 デイナ・E・グローバーマン
音楽 ロルフ・ケント
出演 アーロン・エッカート
    マリア・ベロ
    デビッド・ケックナー
    キャメロン・ブライト
    ロブ・ロウ
    アダム・ブロディ
    サム・エリオット
    ウィリアム・H・メイシー
    ケイティ・ホームズ
    J・K・シモンズ
    ロバート・デュバル
    キム・ディケンズ

2006年度インディペンデント・スピリット賞脚本賞(ジェイソン・ライトマン) 受賞