ハドソン川の奇跡(2016年アメリカ)

Sully

2009年1月、ニューヨークのラガーディア空港を離陸したばかりのエアバス320機の旅客機が
猛烈なバードストライクに見舞われ、両側エンジンの喪失で機能不全に陥り、最寄りの空港へ引き返すことなく、
ニューヨークに流れる大規模河川であるハドソン川に不時着することを選択し、乗客・乗員は全員が助かりました。

この事故は、当時、不時着の映像なども監視カメラに映っていたりしたので、僕も見た記憶があります。
まさかこうも早く、しかもイーストウッドが映画化するとは思ってもいなかったので、少々意外な感じがしましたが、
思いのほか充実した作りにはなっており、安心しました。多少なりとも、自分の感覚と合わなかったところもあるけど、
それでも老いても尚、才気溢れる手腕を見せたと言っても過言ではなく、上手く事実を脚色して完成させている。

主人公のサリーは絶望的な状況から、見事に不時着を成功させ、
且つ迅速な判断と指示で、乗客・乗員の全員の命を救った英雄として報じられ、世界中で報じられながらも、
映画の中では事故調査委員会でまるでサリーの判断が間違っていることが前提であるような聴聞会が行われていた。

確かにサリーの判断は極めて難しい判断を迫られていたと思う。
マニュアル通りやるのであれば、離陸空港に戻ることを第一に考えるのだろうが、それは無理だと判断しました。
そこで咄嗟の判断でしたが、サリーは近くの大きな川であるハドソン川への不時着を選択するわけで、
副機長もすぐに同意するわけですが、いくら浅く穏やかな川とはいえ、季節は極寒の1月という時期。
川を泳いだり漂流して救助を待つなど出来るわけがなく、すぐに救助がなければ犠牲者が出ると予想できる状況。

しかし、大都市ニューヨークに大勢の人々を巻き添えにして、市街地に墜落する可能性もあるわけで、
いろんな可能性を瞬間的に考慮した上で、サリーの決断はハドソン川への不時着だったわけです。
そんなサリーの極めて難しい判断を一瞬でしなければならなかったことは、生還後にサリーが悩まされる、
当該機がニューヨークのビル群にアンコントロールな状態で墜落する幻想のフラッシュ・バックで物語られています。

これは事実とは異なるようですが、イーストウッドはサリー自身の著書をもとにイメージを膨らませて、
書き上げられた物語に魅力を感じ、映画化することに踏み切りました。実際にイーストウッドは本作の撮影で
使用するためにと、退役機であるエアバスの機体を購入したらしく、臨場感ある映像を作り上げることができたそうだ。

僕は仕事柄、トラブルやクレームを受けると、その調査を行うことがあります。

もう何年もそんなことを繰り返してきて思うことなのですが、発生原因や理由、背景としては多種多様なことがある。
その中でもヒューマン・エラーを伴うことが多く含まれているのですが、厳密に言えば、ヒューマン・エラーが介在しない、
ということは無いかもしれない。それくらい、人がやることですから、人的要素が多く含まれているし、影響しています。
全自動であったとしても同様。結局はそのプログラムは人が組んで、人が管理しているというのが現実なわけです。

よくSF映画でも、そのようなニュアンスで描かれますが、機械が人間を越えて稼働したら、大変なことになります。
ハッキリ言って、そうなれば機械に人間が支配されるわけです。ですので、人間が機械を管理するわけです。
それを越えるかもしれない脅威となるのが、人工知能であったりするわけですが、この先どうなるのか分かりません。

ただ、いずれにしても人的要素が原因に含まれることが多いわけです。
そこで登場するのが、日本人が大好きな「なぜなぜ分析」というわけですが、僕もいろいろなことのなぜ?を
追及することは否定しません。物事の真理を説明するために、なぜ?の答えはとても重要だからです。

しかし、本作で描かれる調査委員会による聴聞会では、ただの吊るし上げの場と化してしまい、
なぜ?を追及する切り口として、主人公のサリーらを叱責するために行うような会となってしまいました。
これは感心しません。「なぜそのような判断をくだしたのか?」ではなく、「なぜやらなかったのか?」という視点に
なってしまっていて、委員の質問や事前調査のアプローチもサリーの過失であることを前提としているかのよう。
これでは結論はほぼほぼ決まっているので、ハッキリ言って、調査委員会自体を取り持つ意味がないわけですね。

まぁ、聴取や調査している側からすると、そんなつもりはないと言うかもしれないけど、
自分もこういうタイプの会議と称するものに、立ち会わされたことが何度もある。何があったのかを明らかにする、
ということよりも、誰に過失責任があるかを決めることに目的があるような議論になっていて、イライラさせられる。
勿論、仕事である以上、責任を持つことは大事だし何事にも結果責任はある。しかし、これが入口となって、
出口までも、ずっと責任のなすりつけ合いが続くのであれば、まったく事態が好転することにはならないのです。

特に人命が懸かっているパイロットの判断は重要ではあるが、
すぐになぜ?ということにいく前に、もっと決断を下すに至るまでの状況、起こっていた事象をしっかりと整理して、
絞り込むということが必要なはずなのに、不思議なことに本作で描かれる事故調査委員会は全くテキトーなのです。

状況整理が行われていないテキトーな調査の中で、ヒューマン・エラーは解き明かせないし、
そこで無理矢理に「なぜなぜ分析」を行っても、当初から決めつけていた答えにしか辿り着けません。

サリーが聴聞会の場で主張していた通り、ヒューマン・エラーを論じるのであれば、
その時に当事者が置かれた状況と、判断を下すに至るまでの経緯や時間をしっかりと見るべきであり、
事故調査委員会の検証では、起こった結果だけを見て、勝手に事故の真相を機械的に想像していたにすぎない。
そのせいか、彼らの行った検証は事実に基づかないものであり、聴聞会に使う証拠としてあまりに杜撰なものでした。

そういう意味では、この検証の場にサリーを入れないで条件を作り上げてしまったことが失敗でした。
「三現主義」とはよく言ったもので、現場をよく見て検証することが必須であって、仮に現場が無理であったにしろ、
当事者からキチッと当時の状況を聞き取った上で検証の条件を作り上げるべきでしたが、そうではなかったというわけ。
まぁ、分かり易く言ってしまえば、会議室で勝手に進めてしまった検証とも呼べない、テキトーな調査だったわけですね。

それがサリーの主張を採り入れてシミュレーションし直したら、アッサリと調査委員会の主張が覆る。
この辺はあくまでフィクションなので、ここまで杜撰なことが現実に行われたわけではありませんが、
それでも、こういったことが現実に起こっているだろう。企業にいれば、真に中立な立場って無いと感じますからねぇ。

人間、不思議なもので何かしらのバイアスがかかりやすい思考ではあるし、
結論を急ぐあまり、どうしても自分たちにとって都合がいい、しかも自分に火の粉が降りかからない“落としどころ”を
見つけたくなってしまうものである。こういう姿を見ていると、ホントに中立性を持つというのは難しいことだと実感する。

正直言って、イーストウッドがこの事故のどういったところに魅力を感じて映画化したのか、
僕にはよく分からなかったけれども(苦笑)、それでも相変わらずクオリティの高い作品に仕上げてくるなぁと感じた。
御年86歳でこのクオリティで監督しちゃうんですもの。70歳を過ぎてからのイーストウッドはスゴ過ぎて絶句する。

まぁ、あまり過剰にドラマチックに演出しようとせずに、淡々とドキュメントのように追っていくスタンスを
貫き通したのがイーストウッドらしく、これは正解だった気がする。他のディレクターであれば、こうはしなかっただろう。

この映画では、事故調査委員会からサリーらが厳しい追及を受けて苦悩する姿を描いていますが、
敢えてマスコミや大衆からは、サリーの判断について厳しく追及されることを描いていません。あくまで彼はヒーロー。
ノンフィクションに基づくと、これだけなのですが、イーストウッドは敢えてヒーローとして称賛されたサリーについて、
その反面とも言える、彼の判断の是非を問われ、一転して乗員乗客を命の危険に晒した犯罪者になるかもしれない、
という対極する姿を描くことに興味があったのかもしれない。サリーが置かれた立場は、とても難しい立場ですから。

映画の主張の方向性としては、そこまで強く訴求するものはありませんが、
やはりこれだけの出来に仕上げられるのは、イーストウッドが監督したからこそではないかと思います。

ほぼチョイ役のような扱いにはなってしまいましたが、サリーの妻役のローラ・リニーも印象的な役どころで良い。
そして、副機長役のアーロン・エッカートも控え目な感じでしたが、見事な助演に徹していたと思う。
言葉は悪いですが、あくまで主人公はサリーであり、脇役を大切にしながらも余計なインパクトを持たないのが良い。
ディレクターとしてのバランス感覚、塩梅はイーストウッドは定評があるので、実に安心して観ていられますね。

しかし、個人的にはやっぱり飛行機には一抹の恐怖心が消えませんね(苦笑)。
事故発生の確率が低いのは頭では理解してますが、やっぱり地に足がついていない恐怖心と、
万が一の確率とは言え、墜落したら甚大な被害をもたらし、ほぼ助かる見込みがないというのが大きいのかな・・・。

(上映時間95分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 クリント・イーストウッド
製作 フランク・マーシャル
   アリン・スチュワート
   ティム・ムーア
   クリント・イーストウッド
原作 チェズレイ・“サリー”・サレンバーガー
   ジェフリー・ザスロウ
脚本 トッド・コマーニキ
撮影 トム・スターン
編集 ブル・マーリー
音楽 クリスチャン・ジェイコブ
   ザ・ティファニー・サットン・バンド
出演 トム・ハンクス
   アーロン・エッカート
   ローラ・リニー
   アンナ・ガン
   オータム・リーサー
   ホルト・マッキャラニー
   マイク・オマリー

2016年度アカデミー音響賞 ノミネート