ダーティハリー4(1983年アメリカ)

Sudden Impact

ここまでいくと、コメディですね(笑)。

ご存知、70年代の刑事映画を代表する『ダーティハリー』シリーズの第4弾で、
私生活では愛人関係にあったと言われるイーストウッドとソンドラ・ロックのコンビで、
10年前に北カリフォルニアの田舎町で発生したレイプ事件の被害女性が加害者連中に
復讐して連続殺人事件を起こし、それを捜査するハリーの姿をイーストウッド自身が監督兼任で描いた刑事映画。

さすがにシリーズを続けることにも無理があったのではなかと悟り始めた頃ではないかと思うのですが、
映画の見せ場の作り方としては、かなり背伸びしてアプローチしたかのような感じで、映画として破綻しかけている。

このシリーズも次の第5作で終了となるのですが、
88年の5作はイーストウッドも監督をしませんでしたね。おそらく、やりづらかったのでしょう。
第1作にあったカリスマ性を演出することは、既に不可能になっていたと思われ、
この第4作は映画の冒頭からストーリー展開としてはモタモタしているし、意味の無いシーンも多い。

そして何より、サンフランシスコでのエピソードにしても、
北カリフォルニアの田舎町に出張してからのエピソードにしても、まずはハリーの身近で次から次へと殺人が起こる。
こうも殺人が連続発生する姿には、大きな違和感しか感じられず、映画としてさすがに無理を感じずにはいられない。

意味の無いシーンが目立つのですが、ハリーがストーリーの本筋と関係あるものも無いものも含めて、
とにかく至るところでトラブルを起こす。と言うか、映画の中で描かれるほとんどがハリーのトラブルメーカーぶり。
そして、どこへ行っても都合良く犯人が近くにいて、ハリーがどこへ行っても次から次へと命を狙われる。

偶然入ったダイナーで強盗犯グループの事件現場に遭遇するなど、
現実世界なら“お祓い”が必要なレヴェルで、ハリーの行き先で必ずと言っていいほどトラブルが起こる。

そして出張先の田舎町の警察署長が、実は事件に関係しているという流れも、さすがに強引過ぎる。
ジャニングス署長を演じたパット・ヒングルは、イーストウッドとソンドラ・ロックが共演した『ガントレット』でも、
似たような位置関係で出演していたせいか、どこか既視感ある様相でもう少し工夫の余地があったと思う。

第1作はもっと繊細な部分はあった映画でしたからねぇ。
この手のシリーズ化の難しいところではありますが、シリーズが進むにつれて映画が大味になっていきます。

本作なんかはその典型例という感じになってしまっていて、
イーストウッドもどこで差別化を図るかというと、ソンドラ・ロック演じる女性の屈折したキャラクターで、
銃のメタリックな質感が闇夜に光るという、まるで「処刑人」であるかのようなニュアンスで描かれるのが印象的だ。

いわゆるロー・キーで撮影して、クライマックスの逆光の中で映る、
ハリーはまるでターミネーターのようではありますが、やはりこの映画は暗闇が主人公の映画だ。

イーストウッド自身のナルシズムが炸裂したかのような構図で、
ガタイの良いイーストウッドではありますが、やはり第1作の頃から年をとってしまったせいか、
取っ組み合いしたり走ったりせずに、イーストウッドの存在感だけで相手と闘うようで、動きが少ないのが寂しい。
撮影当時、既にイーストウッドは53歳という年齢であったので、さすがにハリーを演じるにはキビしかったのでしょう。

この映画、どこかイーストウッドが前のめりに演じられなかったのは、
ハリーの相手役となるソンドラ・ロックとの愛人関係が、終焉を迎えた頃の撮影だったらしく、
確かに本作以降、2人の共演作品がない。そう思うと、彼らのアイスな空気感が撮影に影響したのではないだろうか?

だからこそ、前述した逆光の中で映るハリーを、ターミネーターのような映すシーンが誕生したのですが、
本作で当時のイーストウッドがハリーを演じるには限界を迎えつつあったことを象徴しているように見えますね。

しかし、僕にはイーストウッドが演じるハリー・キャラハンというキャラクターには、
どこか非情になり切れない、理知的というか情に流される人間的な側面があると感じます。
それは第1作のラストシーンにしても同様で、警察のバッジを投げる姿に彼なりのメッセージを感じましたが、
本作にしても、映画のクライマックスの在り方には、ハリーが警察に徹しきれない葛藤を感じさせるのです。

この辺は、僕が生涯No.1と崇めている『フレンチ・コネクション』で
ジーン・ハックマンが演じた“ポパイ”とは大きく異なっていて、“ポパイ”は野良犬かの如く、
何かよく分からない何かに突き動かされるように、身体にムチ打って、ただひたすら犯人を追い、とっちめる。

そこに正義と悪など関係なく、ただ標的を本能的に執拗に追い続ける“ポパイ”とは対照的に、
ハリー・キャラハンは表情に出さずとも、自分の置かれた状況や、犯人像を考えながら行動している。

そういう意味では、イーストウッド自身がハリーのことをよく分かっていますね。
第4作に至っても、シリーズの軸がブレないというのは、スゴいことだと思うのですが、
唯一、本作で異色なところがあるのは、ハリーと犯人との真っ向からの対決とは言えない構図でしょうか。

おそらくイーストウッドはこのシリーズを自身の代名詞として自認していたでしょうし、
当時の映画ファンもハリー・キャラハンのシリーズの継続を期待する声は根強くあったのでしょう。
ストーリー的にもサンフランシスコという枠だけに留まらず、田舎町へ出張させるし、前述のようにイーストウッドも
年齢の影響を受けて、第1作の“サソリ座の男”との対決のように体を張るアクションも困難だし・・・ということで、
スタッフも色々と力技を繰り出して、この第4作をヒネリ出したという、ウガった見方をしてしまいます(笑)。

ただ観ていて、「正直、しんどい続編だなぁ・・・」と思わず本音を漏らしたくなる部分はあります。

正直、第1作とまともな比較ができる内容ではありませんが、
むしろ、本作のような陰のあって渋いキャラクターの方がイーストウッドらしいと、
こっちの方が好きだという人の気持ちも、僕は分からなくもないから、チョット感想を言いづらい作品ですね。

この映画で最も優れているのは、間違いなくブルース・サーティースのカメラです。
80年代半ばまでのイーストウッドの映画と言えば、彼のカメラですが、本作は最も良い仕事かもしれません。

(上映時間117分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 クリント・イーストウッド
製作 クリント・イーストウッド
原案 アール・E・スミス
   チャールズ・B・ピアース
脚本 ジョセフ・スティンソン
撮影 ブルース・サーティース
編集 ジョエル・コックス
音楽 ラロ・シフリン
出演 クリント・イーストウッド
   ソンドラ・ロック
   パット・ヒングル
   ブラッドフォード・ディルマン
   ポール・ドレイク
   ジャック・チポー
   アルバート・ポップウェル
   マイケル・V・ガッツォ