わらの犬(2011年アメリカ)

Straw Dogs

71年に名匠サム・ペキンパーがダスティン・ホフマン主演で撮った、
かの有名なバイオレンス映画のリメークで、何故か日本では劇場公開が見送られた作品。

監督は『ザ・コンテンダー』のロッド・ルーリーで、話題性だけを狙った映画ではなさそうだ。

何度もリメークの噂が上がっては消えていたので、
かなり懐疑的に見ていた企画だっただけに、いざ実際に完成しても観る前はかなり不安だったのですが、
僕が予想していたよりも、かなり真っ当な映画に仕上がってはいましたね。これで劇場未公開は勿体ない。

そりゃ、オリジナルには及ばぬ出来なことは明白ではありますが、
いくらなんでも酷評するほど酷い出来ではなく、むしろサスペンス映画が好きな人は、そこそこ楽しめるかな。

ただ、相変わらずこういう映画を観て思うのですが、
何故、唐突にこの時期になって、リメークしたのか、その真意や意味はよく分かりませんね。
オリジナルの時点で、製作当時としはかなり異例な映画として賛否が分かれており、
現代の映画にも通じる暴力描写や性描写を伴った作品だっただけに、あのオリジナルに台頭するのは容易くない。
そういう意味で、何故にロッド・ルーリー自身がリメークを手掛ける気になったのか、よく分からないですね。

いや、それが本編を観れば瞭然というのであれば納得できるのですが、
本編を観ても、リメークした目的や意味がキチッと表現されておらず、これではただ撮りましたってだけですね。

オリジナルでも大きな話題を呼んだ、クライマックスの凄惨なバイオレンス描写ですが、
本作でもそこそこ頑張りましたねぇ(笑)。正直、ここまでやってくれるとは思っていなかったです。
特に気が狂ったかのように、“コーチ”と悪党連中が鬼のように襲撃してくる異常性が秀逸で、
ロッド・ルーリーのカラーではないタイプだとは思うのですが、その“殻”を見事に破っていますね。

今回のリメークでは、アメリカの田舎町に物語の舞台を変え、
映画の前半ではオリジナルと比べると、田舎町の閉塞感を表現することに力を入れており、
特に映画の序盤から、ジェームズ・ウッズ演じる“コーチ”の存在感がとても上手く活きていますね。

但し、どうしてもオリジナルと単純比較するとツラい・・・。
それが宿命であることは作り手も理解しているはずなので仕方がない面はあるけど、
オリジナルと単純比較するよりは、田舎町の閉塞感がもたらす常軌を逸した惨劇を映画化した作品として、
独立したサスペンス映画として考えた方が、この映画を純粋な気持ちで楽しめるのではないでしょうか。

そういう意味で、オリジナルとの大きな違いは主人公の描き方だろう。
オリジナルでダスティン・ホフマンが演じた数学者は、元々は暴力反対のある意味で小市民であり、
それが一旦、理不尽なまでの暴力に晒されると豹変してしまうという、表裏一体な関係を描いていたのですが、
そういう感覚が本作には無くて、主人公はただただ一方的に暴力に見舞われるという側面だけを描いている。
主人公が反撃する姿を強調していないせいか、このストーリーが持っていた訴求力は弱まってしまいましたね。

ヒロインのケイト・ボスワースも、セクシーな魅力を活かして孤軍奮闘って感じですが、
彼女もどうしてもオリジナルとスーザン・ジョージと比べられると、負けてしまうかな・・・。

それを考えると、作り手の計算がどうだったのか・・・これが、本作の問題だとは思います。
ロッド・ルーリーがこの映画のどこを観て欲しくて、リメークしたのかが少し不明瞭なんですよね。
これさえ観ていて、観客が感じ取れる内容になっていれば、きっと映画の印象は大きく変わったのではないかな。

「郷に行っては、郷に従え」とは、よく言ったものですが、
主人公も幾度となく、このセリフを言っている割りに、その本人がなかなか田舎町の空気に馴染めず、
町の人々の生き方と訣別してしまったことが決定的になるというのが、なんとも妙ですね。

それを象徴するのが、何と言っても、映画の中盤にある教会でのシーンだろう。
アメフトを町あげてのイベントとして、地元の大学の応援に熱狂的になるにあたり、
恒例の牧師による説教を聞くために、教会に集まった町民の前で、主人公は説教の途中で退席し、
車に戻ってうたた寝してしまいます。この行動を町の荒くれに叱責されるのですが、これは主人公に落ち度がある。

オリジナルでは暴力にさらされると、突如、主人公が豹変してしまうことを描いていたのですが、
本作では少しずつ、主人公にも落ち度があったような描写があるのは、オリジナルとの大きな違いですね。

だからこそ思うのですが、この映画のラストにカタルシスが感じられないんですよね。
僕はこのストーリーを尊重するなら、主人公に落ち度があるような描写をしてはマッチしないと思います。
と言うのも、映画のクライマックスではただただ“仕事人”であるように主人公が暴力に走るのですが、
この映画を観る限り、「理不尽な暴力に対する抵抗は、暴力しかない」という構図に陥ってしまうんですね。
確かに現実はそうかもしれないが、主人公が何かに影響されて、暴力的な抵抗にでるという感じがしない。
これでは暴力によって人間性が豹変してしまうというよりも、一つの抵抗手段として肯定的に描いているように
観えて、どうもオリジナルで描かれた暴力に対するスタンスと、大きく矛盾してしまっているような気がしますね。

そういう意味では、もっと主人公の妻との葛藤もしっかり描いて欲しかったし、
ラストの後味の悪さというか、居心地の悪さもしっかりと残して欲しかったですね。
この映画のラストシーンで、何故か主人公が抱いていたであろう、妙な達成感を感じたのは僕だけだろうか?

しかしまぁ・・・最悪なリメークだとは思わない。
どうやら、全米ではそこそこヒットしたものの、評論家筋には酷評されたらしく、
その影響もあってか、日本では劇場未公開作扱いとなってしまったものの、そこまで悪い出来ではない。
むしろ、オリジナリティを出そうとした意図はあるので、その分だけ、このリメークには救いがあると思う。

ただ、やはり作り手がやろうとしたことは、あまりにハードルが高過ぎ、
加えて名匠サム・ペキンパーのカルト的名作のリメークということで、比較対象としてはあまりに相手が悪過ぎた。

これで主人公夫婦のどちらかを、トップスター級の俳優をキャストしていれば、
まだ映画に話題性も加わって面白かったような気がするのですが、そこまでの予算は無かったのかも。
そう考えれば、ある意味でこの結果は、この企画なりの大健闘だったのかもしれない。

しかし、主演のジェームズ・マースデンはもっと弱々しい雰囲気を出して欲しかったなぁ・・・(苦笑)。

(上映時間109分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 ロッド・ルーリー
製作 マーク・フライドマン
原作 ゴードン・ウィリアムズ
脚本 ロッド・ルーリー
撮影 アリク・サカロフ
編集 セーラ・ボイド
音楽 ラリー・グルーペ
出演 ジェームズ・マースデン
    ケイト・ボスワース
    アレクサンダー・スカルスゲールド
    ドミニク・パーセル
    ラズ・アロンソ
    ウィラ・ホランド
    ジェームズ・ウッズ