わらの犬(1971年アメリカ)

Straw Dogs

バイオレンス映画の巨匠サム・ペキンパーが描いた欲にまみれた男たちの蛮行と、
その蛮行に対抗するためにと、平凡な人間ではとることができないくらいの暴力で対抗する姿を描いた作品。

サム・ペキンパーはアメリカン・ニューシネマとは対極する立場にあったディレクターでしたが、
本作はニューシネマの潮流があってこその作品だった気がしますし、それまでのハリウッドでは描けなかった
過激な描写も交えた作品であり、おそらく当時のサム・ペキンパーのファンもビックリしたのではないかと思います。

暴力描写もそうですけど、主人公の数学者デビッドの妻エイミーを演じたスーザン・ジョージの描き方も
完全に家の大工たちの好奇の目に晒されるだけのキャラクターで、性欲のはけ口としか描かれていないというのが
当時の映像表現の限界に挑戦したというコンセプトだったと思う。でも、個人的にはそこまで訴求しない印象だなぁ。

まぁ、そこまで悪い出来でもないとは思うけど、どことなく全体的に雑な映画という印象が残ってしまう。
サム・ペキンパーの監督作品によくある、カタルシスを感じさせるラストという感じでもないし、人間描写も今一つ。

ある意味では、田舎町の閉塞感の恐ろしさというか、とても屈折していて歪で奇異な人間たちとして描く。
デビッドの妻エイミーを性の対象としてしか見ていない態度を隠さないし、勝手に部屋に忍び込んで猫を殺し、
“戦利品”としてエイミーのパンツを盗んでくるなど、とにかくやりたい放題。もめ事を避けたいデビッドにとっては、
彼らと争うことを避けたいという一心から、狩りに誘う彼らに乗ったことで、結果的には狂った方向へ暴走する。

エイミーと旧知の仲であるかのように描かれる男がデビッドがいない家に乗り込んできて、
有無を言わさずエイミーに襲い掛かるわけですが、拒まれるといきなりエイミーを殴ったりして、態度が豹変する。
逆らったら命の危険を感じたのかもしれませんが、そんな扱いをする男に対してエイミーも「抱いて」と言ったりして、
少し意味が分からない言動があるのですが、それほど不条理で理屈では語れない状況だったというわけだろう。
このカオスな感覚こそがサム・ペキンパーの表現したかったことなのかもしれないが、ここからは極めて暴力的な
クロス・カッティングでシーンをつないでいき、サム・ペキンパーの得意技を炸裂させる映像表現になっています。

まぁ、当時としては衝撃的なシーン演出ではありますが、後年の映画を思うとそこまで過激というわけではない。
ただ、本作でサム・ペキンパーがとった表現として、性犯罪被害者が苛まれるフラッシュ・バックを選択しており、
これは真に迫った映像になった。特に終盤の描かれるパーティーで、このフラッシュ・バックが断続的に挿入され、
エイミーがより精神的不安定になっていく様子を表現するのに、実に的確な演出になっていると思いました。
このような表現は当時としては斬新なもので、サム・ペキンパーがパイオニアだったのではないかと思いますね。

事なかれ主義のように生きる数学者デビッドを演じたダスティン・ホフマンも良いですね。
本人にそんなつもりはないのでしょうが、次第に暴力には暴力で対抗しようと変貌する姿を自然に演じています。

そう、デビッドは暴力とは無縁な男であり、妻を性の対象としてしか見ないような態度の大工たちに
嫌悪感を抱きながらも、それでも彼らに強く言うことができない気の弱さ。トラブルを起こしたと決めつけられる、
知的障害を抱える若者を保護しているという理由一つで、その若者を追ってきた大工たちの行動がエスカレートして、
デビッドの家に対して直接的な攻撃を行うようになってきたら、最初はなんとかやり過ごそうとしていてデビッドも、
次第に怒りを持った反撃を行うようになり、思わぬ反撃にあった大工たちの行動はより暴力的にエスカレートする。

こうなると、サム・ペキンパーお得意のバイオレンス描写という感じになって、カット割りやスローモーションなど
如何にもサム・ペキンパーらしい映像表現を駆使してきます。確かにデビッドのまるで「目には目を。歯には歯を」と
言わんばかりの猛烈な反撃も鮮烈ではありますが、それでも大工たちのエスカレーションがやはり異常であって、
娘を誘拐したと決めつけて、知的障害を抱える若者を捕らえるためには、手段を選ばないというスタンスが恐ろしい。

事故的であるとは言え、それまで田舎町の歯止め役として機能していたスコット少佐をライフルで射殺した途端に
大工たちも更に暴走を加速させ、窓ガラスを割り、火をつけることも躊躇しないとは、まるで正気の沙汰とは思えない。
挙句、一度エイミーを強姦した男なんて、そんな狂乱の最中にもう一度彼女に襲い掛かるなんて、狂気そのものだ。

この大工たちは無駄に精力が有り余っているから、エイミーを性欲のはけ口として見る、酒を飲むくらい。
仕事もロクに進めずに依頼主が見ていなければ、すぐに手を抜く、サボりを連発。正真正銘のロクデナシたちだ。
デビッドがなんで我慢できたのかも分からないが、この大工たちに理性的なものはなく、ただの獣にしか見えない。

こんな蛮行が繰り返されて、孤立無援になったデビッドなのだから、過剰に抵抗しないと抜け出せるわけがない。
サム・ペキンパーの描き方として正当防衛的なニュアンスで描いておりますが、正直言って、一連のバイオレンスを
否定的に描いているわけではないと感じました。本作に暴力を否定するとか、そんなメッセージは無いでしょうね。

このデビッドの反撃も次第に残虐な暴力に傾倒していくのですが、これで怒りに震えたデビッドが発狂して、
感情的になってわめき散らしながら反撃して、一連の騒ぎが終わった後にハッとするなんて映画なら、
よくあるタイプの映画かなという気がするのですが、本作のデビッドは寡黙に淡々と反撃するので、余計に怖い(笑)。

まるで“必殺仕事人”のような様相になってくるのですが、計算高く行動しているように見えるのがスゴい。

結局は法や秩序を無視して、欲に忠実にやりたい放題やっていた人間には、相応の報いがあるということですね。
そうであるがゆえに、本作ではサム・ペキンパーも徹底的に描いているわけで、これはヘイズコードが撤廃されないと
描くことができなかった映画でしょうし、良い意味でニューシネマ・ムーブメントを利用した作品だったと思います。
だからこそ、主演がアメリカン・ニューシネマの代表俳優であるダスティン・ホフマンを起用した理由なのかもしれない。

閉鎖的な田舎町の異様な空気感を表現した作品として観るべきところはある作品ですが、
それでも僕は本作がそこまで優れた作品だとは思わなかった。やはり、何かを訴求するラストにして欲しかった。

本作で描いたことは、実に欧米的というか...当時の世相もよく反映していると思う。
自衛しなければ、このような暴力の被害者になるだけだということ。そして、「言うことは言うべきだ」ということ。
そうでもしなければ、ただただ“事なかれ主義”でやり過ごすことでは、人々の争いに巻き込まれるだけで、
ましてや非暴力を信条にしている人間でも、このような暴力の渦に巻き込まれてしまえば、いつしか中心になって
暴力を振るう人間に変貌してしまうということだ。これはある意味では、混迷の時代に突入した表れだったと思う。

これはこれで今となっては真理を突いているとは思うけど、バランスがとれた主張とも言い難い気がする。

それからデビッドの生きざまを表現して欲しい。これもやはりラストになるのですが、
いろいろとそれまでのデビッドとは訣別するかのように豹変したデビッドを象徴するなりして、暴力に支配され、
制圧して生き残った者として何か物語るようなラストにして欲しいのですが、描かれた以上の感覚は湧かなかった。
これでは映画としての物足りない。それから、散々な目に遭ったエイミーもラストにもっとしっかり描いて欲しい。

そもそもエイミーの描き方がなんとも一貫性が無い感じで、何を考えているのかがよく分からないのも残念。
奔放な性格であるという前提だけは分かりますが、前述したように旧知の仲とは旦那でも田舎町のオッサンに
強引に迫られて殴られたにも関わらず、自ら「抱いて」と言ったり、その状況から逃れるために発言しただけでは
説明がつかないし、それ以前にもやたらと露出の多いファッションでどうしてもよそ者の目を惹きつけている印象。
そんな若く肉感的な女性エイミーと、事なかれ主義の代表者である数学者デビッドが結婚した理由も納得性が無い。

サム・ペキンパーにあまり細かいことを求めること自体、酷な話しではありますけど、それにしても雑な印象だ。
いろいろと狂乱を描いた映画という観点では見どころはありますけど、それ以外の部分はそこまでの出来ではない。

やっぱりサム・ペキンパーの監督作品として考えると、
ウォーレン・オーツのような中年のオッサンが男臭さを炸裂させないと映画に磨きがかからないですね(笑)。
悪くはないけど、どうしてもダスティン・ホフマンだとそこまでムサ苦しくないというか、スッキリし過ぎな気がします。

ただ一つだけ...この映画でサム・ペキンパーが一貫してやり通したことで良いなぁと思ったのは、
観ていてイライラさせられるくらいの居心地の悪さを観客に感じさせることだ。いろんな意見はあるだろうが、
妻エイミーにしても田舎町でどう見ても他の男たちの好奇の目を惹きつけるイケイケぶりが理解し難い部分はあるし、
大工たちの蛮行は勿論だけど、無駄に響き渡る笑い声など、いちいち癇に障る描写があって居心地が悪い。

こういうことを一貫して出来るあたりは、さすがの手腕だとは思いましたが...それ以外は少々、雑な作りと感じる。

(上映時間118分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 サム・ペキンパー
製作 ダニエル・メルニック
原作 ゴードン・M・ウィリアムズ
脚本 サム・ペキンパー
   デビッド・Z・グッドマン
撮影 ジョン・コキロン
編集 ポール・デービス
   トニー・ローソン
   ロジャー・スポティスウッド
音楽 ジェリー・フィールディング
出演 ダスティン・ホフマン
   スーザン・ジョージ
   ピーター・ヴォーン
   T・P・マッケンナ
   デル・ヘニー
   ジム・ノートン
   デビッド・ワーナー

1971年度アカデミー作曲賞(ジェリー・フィールディング) ノミネート