見知らぬ乗客(1951年アメリカ)

Strangers On A Train

この映画、初めて観たのですが、これは素晴らしい傑作ですね。
50年代初頭にこれを真正面から堂々と描いたヒッチコックは、やはりスゴいですね。

パトリシア・ハイスミスの原作を、本職はミステリー小説家だったレイモンド・チャンドラーが
映画脚本として書き下ろしたそうなのですが、これは現代で言うストーカーの“はしり”となった作品にも思えます。

映画は実力あるプロのテニス・プレーヤーが、たまたま居合わせた列車の中で、
偶然知り合ったブルーノという男から、突如として交換殺人をもちかけられることから映画が始まります。
確かに何度も不倫を繰り返す妻ミリアムとは早々に離婚し、新たな恋人アンとの恋愛を進展させたい主人公が
ブルーノの言う通りに、妻ミリアムを邪魔者に感じていたのは事実でしたが、誰も本当に殺したいとは思っていません。

ところが、ブルーノが勝手に暴走して、本当に交換殺人を実行することから、
主人公はブルーノの常軌を逸した執拗な接近にあい、代わりにとブルーノの父の殺人を迫られます。

そもそも交換殺人を題材にした映画が、当時は多くはなかったでしょうし、
これはこれでヒッチコックにとっては大きなチャレンジであったことでしょう。かなりセンセーショナルな内容です。
そして何より、常軌を逸した行動にでるブルーノを演じたロバート・ウォーカーの狂気があまりに強烈だ。

実際にロバート・ウォーカーは撮影当時、精神的にかなり不安定であったらしく、
アルコール依存症の症状も酷く、本作撮影終了直後、残念ながら薬を服用して酒を飲み、急死してしまいます。

これはパトリシア・ハイスミスの原作にもそういうニュアンスがあったとのことですが、
本作でもブルーノの異常なまでに執拗な接触の原動力となったものが同性愛的なものであったことを
匂わせる部分があって、ブルーノはまるで主人公に交換殺人を脅迫する以上の感情があるように描いている。
この異様さも含めて、本作はかなり斬新な内容であったと思いますし、クライマックスの攻防もなかなかの緊張感だ。

さり気ないのですが、劇中にある主人公のテニスの試合シーンにしても、
なかなか上手く撮っているなぁと感心するし、そんな主人公に付きまとうブルーノの存在感もスゴい。

今更ながら、思わず「そうか、この映画こそ、ヒッチコックの50年代の快進撃の始まりなのか!」となりました。
それくらい、本作の出来は素晴らしいと思いますし、単なる交換殺人を描いた映画というだけに留まらない魅力がある。
そういう意味で本作はミステリーを基調とした作品というよりも、どちらかと言えば、スリラー映画ですね。

クライマックスのメリーゴーランドの暴走を描いたシーンにしても、当時の技術力を考えると、
本作のスタッフはよく頑張りましたよ。そんな暴走シーンですら、恐怖のあまりなのか(?)、子供も狂喜しているような
表情を映しながら、凄い回転スピードで回り続けるので、ここまでいけば完全にホラー映画の様相だと思う。
ヒッチコックはどこまで意識していたのか知りませんが、明らかに本作は異質なサスペンスという印象です。

ヒッチコックのフィルモグラフィーとして見ても、あまり評価が高いわけではないようですが、
僕は本作、50年代のヒッチコックの代表作と言っていいと思います。このアプローチは語り継がれるべきです。

クライマックスの緊張感だけではなく、本作でよく出来ているのは、
映画の序盤にあるブルーノがミリアムに手をかけるシーンで、これはこれで出色の出来だ。
夜の遊園地、ボートに乗って“愛のトンネル”をくづった先にある中島では、いろいろな情愛が錯綜する男女が
流れ着くという大人の時間が流れている中、勝手な理由で不倫を繰り返すミリアムは若い男たちと共に
中島へ流れ着く。そこで大きなポイントとなるのは、彼女自身が気付いていた不気味な男、ブルーノもついてくる。

不審に思いながらも、見知らぬブルーノの目的が分からないことに様子をうかがい、
それでいながら一緒に行動していた男とのアバンチュールに逃げ込みたい気持ちと葛藤する。
しかし、それでも近づく不気味な薄っすら笑顔のブルーノの影。ヒッチコック得意の演出で、攻め込んでくる感じです。

こういった恐怖をキャストの目で表現する一貫性も素晴らしく、
ブルーノがミリアムに似た女性だと認識したときの、何とも言えない囚われた表情も強烈だ。

それゆえに実は何度もブルーノは人々の前で、失態をおかして不審に感じさせているので、
主人公が何度も周囲にヘルプを求める機会があったような気がするのは玉に瑕(きず)ですが、
それでもヒッチコックの一貫したスタイルの強さが、本作を支えていて、これは素晴らしいと思いますね。

主演のファーリー・グレンジャーは、ヒッチコックも48年の『ロープ』で起用した、
当時のハリウッドでも期待されていた若手俳優ですが、彼もまた、どことなく中性的な魅力がある。
ブルーノから突然、交換殺人の計画を持ち掛けられ、困惑しながらも話しを聞いてしまう人の好さが運の尽き。
結局、それが仇となって悪夢のようなトンデモない事件に巻き込まれるわけで、とてもショッキングな出来事だ。

そういう意味で、ブルーノの魂胆がよく分からないまま映画が進んでいく恐怖を
ヒッチコックは実に上手く利用していて、このつきまといは現代のストーキングに通じるものがある。
もっとも、ブルーノは相手の意思をキチッと確認せずに行動を起こすわけですから、余計に怖いわけで、
ブルーノの勝手な理論からすると、“見返り”があって当然で、主人公は殺人を犯さなければならなくなるわけですね。

この妙な構図の脅迫が、当時の時代性を考えると先進的なものであったと思います。

恥ずかしながら、僕はずっとこの映画を観ておらず、
ヒッチコックの50年代の監督作品はどれも素晴らしいのですが、『泥棒成金』あたりが最高の出来かと
勝手に思っていたけれども、ひょっとすると本作の方が映画の完成度という点では、優れているかもしれません。

それくらい、僕にとって本作は衝撃的な内容、そして価値のある映画に映りました。
やはりこういう作品をいとも簡単に発表していたのだから、ヒッチコックは偉大なディレクターですねぇ。

本作は“巻き込まれ型サスペンス”と言っていい内容でしょう。
これはヒッチコックお得意の展開ですので、さすがに描き方は上手いですが、盛り上げどころも的確だ。
映画の後半にある、主人公がブルーノの屋敷に侵入するシーンの緊張感なども、特筆に値する。

それからブルーノの複雑な家庭環境も影響しているのは明らかで、
どこかマザコンというか、母親との関係性が異常に思えるというのは、60年の『サイコ』に通じるものがある。
父親との関係は悪いが、何故か母親には頭が上がらないブルーノ。彼の憎悪は、父親に向けられたもののみ。
これは冷静に考えると、チョット変だ。納得がいく説明とすれば、ブルーノは母親へ異常な愛情を持っていた。

そして、それを知ってか知らずか、母親もブルーノの異常性に気付きながらも、
見て見ぬフリをして、ブルーノを甘やかす。父親はそれを見透かしていたから、冷淡に接したのかもしれない。
でも、この親子愛が行き着く宛は、決して家族に幸せをもたらすわけではなく、どこか歪んだものになってしまいます。

そんなブルーノの狂気が暴走し、結果として主人公が交換殺人を強要され、
殺人をしないとならなくなる恐怖を描くという、一風変わったサスペンスに仕上がっていて、着想点が面白い。

ここまで執拗にストーキングを描いた映画というのも、当時は本作くらいでしょう。
そう思えるくらい、かなり先を行った作品だったと思いますし、やはりヒッチコックはパイオニアですね。

(上映時間100分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 アルフレッド・ヒッチコック
原作 パトリシア・ハイスミス
脚本 レイモンド・チャンドラー
   チェンツイ・オルモンド
撮影 ロバート・バークス
音楽 ディミトリ・ティオムキン
出演 ファーリー・グレンジャー
   ロバート・ウォーカー
   レオ・G・キャロル
   パトリシア・ヒッチコック

1951年度アカデミー撮影賞<白黒部門>(ロバート・バークス) ノミネート