白い恐怖(1945年アメリカ)

Spellbound

まだまだ当時、精神医学の世界も発展途上だったのだろうと思うけど、
かなり早い段階でヒッチコックがサイコ・サスペンスというジャンルを確立していたことの証明だ。

とある町の郊外にある精神病院に勤務する女医コンスタンスは常に冷静で恋をしないことを宣言している。
そんな中、勤務する院長が健康問題のために退任することになり、新たな院長が赴任することになる。
そこで新たな院長であるエドワードを目の当たりにして、コンスタンスは彼に強烈に惹かれていく・・・。

しかし、このエドワードという男には“いわく”があって、
すぐに夕食の席の場でテーブルクロスにフォークの痕がついたことに敏感に反応したり、
手術室で突然混乱してパニック状態になり倒れ、他の医師たちから疑惑の目を向けられる。

精神医学の分野では、精神科医が自ら疾患を抱えてしまうケースは数多くありますが、
本作で描かれるのは、実はエドワードに誰かが成り済ましているのではないかと疑われるわけです。

本作が製作された1945年と言えば、第二次世界大戦が終戦になった年なわけで、
当時のハリウッド映画の水準を考えても、本作のように心理的恐怖に訴える映画を撮っていたのは、
おそらくヒッチコックぐらいだったわけで、今観るとパイオニアみたいな映画だったなぁと実感しますね。

この映画のオープニング・クレジットを観ていて気付いたのですが、
映画の美術デザイン担当として、かの有名なサルバドール・ダリが担当していたんですね。
正直、映画の仕事をやっていたなんて知らなかったので、最初に観た時はビックリしましたね。
当時既に世界的に著名な画家として知られていたダリですが、こういう仕事をしたのは珍しいですね。

劇中、グレゴリー・ペック演じる院長として赴任する男の夢をデザインしたのがダリなのですが、
簡素なデザインでありながらも、シュールな表現がダリが見る夢のデザインそのものなのかもしれません。

ヒロインを演じたイングリット・バーグマンは本作から連続して3作品、
ヒッチコックの監督作品にヒロインとして出演しており、本作でオスカー・ノミネーションに至りましたが、
日本ではどちらかと言えば、46年の『汚名』の方が彼女の出演作としては有名かもしれません。

映画はグレゴリー・ペック演じる院長を愛してしまったヒロインが、
精神の闇を探りながら、彼の過去の謎を解いていくというスタンスで進んでいくのですが、
物語の焦点は、彼が殺人を犯したのか否かが焦点に変わっていき、ミステリー映画に変わっていきます。
別にコロコロと体裁が変わる節操の無い映画というわけではないのですが、物語の焦点の動かし方が上手いです。

映画の終盤で物語が急転直下して、ヒロインは更に混乱していきますが、
クライマックスではヒロインの推理がズバズバ当たり、現代風に言うとドンデン返しが待ち受けています。
このオチは映画を観てのお楽しみということだと思いますが、このドンデン返しは少々力技過ぎたかな(苦笑)。

とある台詞がヒロインの推理を働かせる、一つのキーワードになっているのですが、
あれだけでズバズバと推理を進められるというのも、にわかに信じ難いと言うか、無理矢理に感じる。

シナリオの段階では、ヒロインの師匠、精神病院の同僚など怪しい存在を次々と登場させ、
観客の疑惑の目線をかく乱させるように工夫はしているのですが、ミステリーという意味では今一つかと。
それでもヒッチコックのレヴェルの高さを象徴するように、ヒロインを精神的に追い込むプロセスが実に上手い。
このヒロインの混沌とした精神状態を観客と共有するアプローチは見事で、この辺はヒッチコックらしい。

ヒッチコックらしく、ヒロインが猜疑心に苛まれながらも、恋に落ちる姿を描いています。
ヒロインの相手役となるのは名優グレゴリー・ペックですが、この頃はデビュー間もない頃だ。
彼は47年の『紳士協定』あたりから人気を博したので、本作の注目はほぼイングリット・バーグマンに集まりました。
(個人的には、この映画のヒロインの相手役を演じるには当時のグレゴリー・ペックは若過ぎた気がします・・・)

脇役としては、ヒッチコック映画の常連であるレオ・G・キャロル、
ヒロインの師として、演出家であり演劇の名指導者であったマイケル・チェーホフが出演しています。
私はこの映画で、動くマイケル・チェーホフを初めて観ましたが、イングリット・バーグマンもグレゴリー・ペックも、
実際にマイケル・チェーホフに指導を受けた俳優であり、これは貴重な経験となったことでしょうね。

邦題にもある通り、白と線形のデザインに極端な拒絶反応を呈するのですから、
例えば41年にヒッチコックが撮った『断崖』のようなライティングを工夫して、白黒撮影でも色の特徴を
フィルムに収めてショッキングな感覚を表現するなど、もう少し視覚的な工夫はあっても良かったかなぁ。

唯一、この映画の演出で印象に残ったのは、幾つもの扉を連続して開いていくシーンですが、
あれも単独で終わってしまったせいか、部分的に実験的な表現をしても少々、“浮いて”いるように感じます。

撮影技法としては極めてシンプルでトリッキーな映像表現はありませんが、
前述したサルバドール・ダリの夢のデザインなど、独創性あるシーン演出があっただけに、
映像表現上の工夫はあっても良かったのではないかと思います。映像よりも音で盛り上げる選択肢をとったようだ。

やはりグレゴリー・ペックよりも、イングリット・バーグマンの美しさの方が
ヒッチコックの脳裏に焼き付いたのでしょう。グレゴリー・ペックは以降のヒッチコックの監督作品には
一度も呼ばれることはありませんでした。そんなイングリット・バーグマンに恋を捨て仕事に生きる精神科医を
演じさせるというのですから、にわかに彼女の設定が信じられないのですが、これも含めてヒッチコックの世界だ。

この映画がカラー作品ではないので、キチッと確認はできないのですが、
やはりヒッチコックの目に留まるような、素晴らしいブロンド・ヘアーだったのでしょうねぇ。

どうでもいいことではありますが、恋を知らない女医であるヒロインも、
初対面でビビッときたグレゴリー・ペック演じる院長のことが気になって、部屋を一人で訪ねて、
口では遠慮がちに心配しているフリをしながらも、半ば求愛を匂わす発言をするなど、随分と大胆なキャラクターだ。
この辺が支離滅裂に感じる部分もあるのですが、行動的な女性として描くあたりは、次世代的な描写ですね。
そう、この映画のヒロインは凄く精神的に自立した女性像だと感じられ、この時代の女性像とは異なる印象ですね。

これもヒッチコックがイングリット・バーグマンのシルエットにピッタリだと思ったのでしょうねぇ〜。

やはり本作を観ても、当時のヒッチコックが如何に野心的な映画監督であったかが伝わってきますね。
精神医学にクローズアップした、物語の題材自体が当時としては新しいですが、ダリのデザインをはじめとして、
シンプルな映画の中にも、所々に実験的なエッセンスを加えて、精神的にカオスな状態にある表現を際立たせます。

この、どこかニューロティック(神経過敏)な映画にイングリット・バーグマンという、
映画史的に考えても、何とも不思議な取り合わせをも、見事にヒッチコックの映画にフィクスさせてしまうという、
半ば力技ではありますが、実に要領良く体裁を整えられるヒッチコックは、とても優秀なコンポーザーだ。

しっかし、どうでもいい話しですが...いちいち白地に線が入っているのに、
過剰な反応を示していたら、生活していけませんねぇ。レースカーテンなんて、全く見ることができないでしょう。。。

(上映時間111分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 デビッド・O・セルズニック
原作 フランシス・ビーティング
脚本 ベン・ヘクト
   アンガス・マクファイル
撮影 ジョージ・バーンズ
音楽 ミクロス・ローザ
出演 イングリット・バーグマン
   グレゴリー・ペック
   レオ・G・キャロル
   ジョン・エメリー
   ウォーレス・フォード
   マイケル・チェーホフ

1945年度アカデミー作品賞 ノミネート
1945年度アカデミー助演男優賞(マイケル・チェーホフ) ノミネート
1945年度アカデミー監督賞(アルフレッド・ヒッチコック) ノミネート
1945年度アカデミー撮影賞<白黒部門>(ジョージ・バーンズ) ノミネート
1945年度アカデミー劇・喜劇映画音楽賞(ミクロス・ローザ) 受賞
1945年度アカデミー特殊効果賞 ノミネート
1945年度ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞(イングリット・バーグマン) 受賞