スルース(2007年アメリカ)

Sleuth

72年の『探偵<スルース>』の再映画化で、
オリジナルでは老いた富豪を名優ローレンス・オリビエを、若き挑戦者をマイケル・ケインが演じていましたが、
今回は老いた富豪をマイケル・ケインが、若き挑戦者をジュード・ロウが演じるという企画になっている。

監督は舞台を中心に、俳優としても活躍するケネス・ブラナーで
僕は久しぶりに彼の監督作品を観たような気がしましたが、地道に活動は続けているようですね。

映画は小説家であり大富豪のアンドリューの屋敷に、
彼の妻の浮気相手である美容師のマイロが、とある夜に訪問するところから始まります。
実は妻との離婚を望んでいるというアンドリューは、マイロに屋敷にある妻の宝飾品を強奪し、
転売するよう依頼するも、当然のようにあまりにウマすぎる話しには裏があって、マイロは窮地に陥る。

その後、ロンドンから一人の刑事がやってきて、今度はアンドリューが追い詰められるという話しで、
マイケル・ケインとジュード・ロウの2人がお互いに芝居の応酬に徹し、2人の攻防が見どころになっています。

実はまだ『探偵<スルース>』は観ていないので、前情報無しで鑑賞したのですが、
正直言って、今回のリメークは企画倒れな感が否めないですね。あまり僕はノレなかったかな。
上映時間も88分という、ひじょうに経済的な尺の長さにはなっているのですが、逆にこれは短すぎるかも。
かなりエピソードを含め、全体的にスリム化を目指したのか、割愛したせいで、今回のリメークするという企画で
作り手が一体何を描きたくて、何がしたかったのか、サッパリよく分からない結果になってしまっています。

確かにマイケル・ケインとジュード・ロウの演技合戦は見応えがあり、
多少、贔屓目に観れば、彼らの演技合戦を観るだけでも、この映画はそれなりに価値はある。

しかし、おそらくケネス・ブラナーがこの映画でやりたかったことって、そんなことではないと思うんですよね。
彼らの演技合戦だけを見せたかったのであれば、ハッキリ言って、この企画でなくとも良かったわけですから。
映画は半分、「演出の不在」です。ケネス・ブラナーは主演2人の芝居に依存し過ぎているような気がします。
少々、辛らつな意見になってしまいましたが、その根底にあるのは、ラストの物足りなさでしょう。

オリジナルの評判を読んでもそうなのですが、
どうせ二転三転するストーリーであることが前提な映画なわけですから、
もっと映画のクライマックスで、映画を劇的に動かしても良かったと思うんですよねぇ。
前情報無しに観たとは言え、僕も思わずこの映画のラストを観たときに、「これで終わり?」って思いましたもん。

そういう意味で本作は若き挑戦者である美容師マイロが
大富豪アンドリューの屋敷で挑戦する展開になったときなんかは、面白くなりそうだったんだけどなぁ・・・。

一見すると、どちらかが主導権を握っているんだけれども、
一方も何か内側にそれを上回る企みを隠している感じで、お互いに腹の探り合いをしながら、
お互いに腹の内を絶対に見せることはないという、一種のスリルをそこそこ上手く利用できていたと思う。

だけど、それらの“不確かな”面白さを完全に放棄して、
この映画のラストは突如として、作り手が投げやりになってしまったかのような感じで、
それまでは主演2人の演技合戦を丁寧に撮れていたのに、最後になって雑になってしまったような印象ですね。

さすがにこれでは、最初から最後まで舞台劇の如く頑張った、
マイケル・ケインとジュード・ロウの熱演も報われず、実に勿体ないことをしていると思いますけどね。

まぁ映画としては、賛否両論になるだろうが、
この映画にはマイケル・ケインとジュード・ロウしか出ておらず、ほぼこの2人の芝居だけで見せてしまいます。
口八丁手八丁の応酬だけで1時間30分近い上映時間が構成されるのですが、息の合ったところを見せ、
見事に映画として成立させている点は立派ですね。これは役者冥利に尽きる作品という感じですね。
特に大富豪アンドリューを演じたマイケル・ケインの上手さは素晴らしく、緊張感溢れる良い芝居だと思う。

マイケル・ケインはかつて、66年に『アルフィー』でプレイボーイを演じ、
この作品のリメークが2004年に製作され、このときはジュード・ロウが演じておりました。
おそらくジュード・ロウとしては、マイケル・ケインが彼が目標とする役者の一人なんでしょうね。
別に他作品で彼が手を抜いているわけではないけれども、本作では一際、気合の入った印象が残ります。

この映画で一つのポイントとなるのは、“屈辱”ですね。
アンドリューにしても、マイロにしてもお互いに面会する目的がどこにあるのかが問題で、
この映画の焦点は、結局、そこに集中します。お互いに面会の目的を隠し通すわけです。

一見すると、会話劇が主体の知的な映画であるかのように宣伝されてはいるのですが、
この映画の難点となってしまったのは、知的な映画に徹し切れなかった点で、映画の終盤ではゲイについて触れ、
最終的には愚かな男2人の痴話ゲンカに成り下がってしまうんですね。これは発想の枯渇を象徴してますね。

思えば、映画の序盤にあるアンドリューからの提案にしても、
既に論理的ではなかったのですが、映画が終盤に近づいても、論理性が高まらないんですね。
おそらくオリジナルは、もっと理詰めで観客に対しても向かってくる映画だったのではないかと思うのですが、
本作はそういう強気な姿勢がほとんど感じられず、結果として、映画の緊張感もほとんど高まらない。
この辺はハロルド・ピンターの脚本の問題もあるでしょうが、ケネス・ブラナーが何とかできた問題だと思う。

僕はこの映画の大きな使命として、ただの痴話ゲンカを理詰めで描くということがあったと思うんですよね。

これがオリジナルの基本コンセプトであったはずで、
さすがに大胆なアレンジでリメークしたとしても、この基本コンセプトだけは変えてはならなかったと思うんですね。

まぁ上映時間が短く、密室劇が好きな人なら一見の価値はあると思うが、
オリジナルを観て興味が湧き、本作を観るという人には、正直言って、あまり強くオススメできない。
映画単体で考えても、サスペンス映画としては手落ちな出来と言わざるをえず、全体的に不発な内容。
企画段階からの甘さがあったことも否めず、本作のコンセプトを見直すべきだったと思いますね。

ケネス・ブラナーの演出力って、こんなもんじゃなかったはずなんだけどなぁ・・・。

(上映時間88分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

日本公開時[PG-12]

監督 ケネス・ブラナー
製作 ジュード・ロウ
    サイモン・ハーフォン
    トム・スターンバーグ
    マリオン・ピロウスキー
    ケネス・ブラナー
    サイモン・モーズリー
原作 アンソニー・シェイファー
脚本 ハロルド・ピンター
撮影 ハリス・ザンバーラウコス
編集 ニール・ファレル
音楽 パトリック・ドイル
出演 マイケル・ケイン
    ジュード・ロウ