シルクウッド(1983年アメリカ)

Silkwood

1974年11月13日、カレン・シルクウッドは事故死した。享年28歳。

彼女はオクラホマ州のカー・マギー社が経営するプルトニウム工場で金属溶接などを担当する技師だったが、
工場の作業員がプルトニウム被爆を起こしていることを知り、次第に会社の隠蔽体質の核心に迫ろうとします。
彼女はカー・マギー社では初めて女性の労働組合交渉委員に任命され、組合活動に熱心になっていきます。

ワシントンの原子力安全委員とも直接コンタクトをとるようになった彼女のことを、
当然、会社は良く思っていないことは明白で、次第に彼女の私生活にわたっても嫌がらせが及んできます。
実際に彼女は作業中に2度、被爆しており、多量の放射能を浴びていると会社から警告されていました。

大資本を有するカー・マギー社は原子力安全委員会にも内通しており、
彼女の内偵活動については、おおよそ筒抜け状態だったわけで、彼女に身の危険が迫っていました。
ニューヨーク・ポストの記者と接触する直前、彼女は重要な内部資料を抱えたまま、
自らハンドルを握って愛車でハイウェイを走ります。そんな彼女の車に近づく一台の車・・・。

実際の事故現場には何故かカー・マギー社の社員も駆けつけていたそうで、
カレンが持っていたはずの内部資料がカレンの遺体が乗った事故車からは、見つからなかったらしい。

そんなシルクウッドが強烈なプレッシャーを感じながらも、
次第に会社の偽装工作、違反行為、そして隠蔽体質に一人、迫っていく姿を描いた社会派サスペンスです。

監督はニューシネマ上がりのマイク・ニコルズ。
彼の監督作は出来・不出来がハッキリしている印象があるのですが、本作はチョット異質な作品という気がする。
と言うのも、彼の他の監督作とは全く毛色が異なり、ステレオタイプな演出も影を潜めている。
結果、それが映画全体のバランスを整えているような印象があり、強引にサスペンスで押し切ったり、
お涙頂戴的な感傷的な展開にも陥らず、良い意味で抽象的な作品に仕上がったと思います。

社会派な映画とは言え、別に啓蒙的な内容になっているわけではなく、
サスペンス映画としての側面より、伝記ドラマ系統の作品としての色合いの方が強いかもしれません。
この辺は女性映画としての側面を出したいという、ノーラ・エフロンら脚本家の主張のせいかもしれません。

かつて企業の不正を内部告発しようとする姿を描いた映画というのは数多くありましたが、
本作ほど悪の存在を曖昧に描いた作品というのは皆無でしょう(←勿論、曖昧にしか描けなかったのだが)。

しかし、それでも映画は力強く訴求します。
それは「限りなくクロに近いシロ」という限りなきミステリーと、カレンの複雑な感情が観客を引っ張るからです。
僕もそうですが、分かりそうで分からない謎って、必要以上に魅力的に感じたりしますからね。
この映画は正にそこを上手く利用していると思うのです。もっとも、ノンフィクションの映画化ですから、
これ以上、大胆に描くことを、作り手たちもひじょうに大きなリスクであると感じていたのだろうけど。。。

主演のメリル・ストリープもこの頃が一番、勢いに乗っていましたね。
前年に『ソフィーの選択』で2度目のオスカーを受賞しておりましたが、本作でもその価値が十分にある熱演。
彼女と共同生活をするシェール演じる友人との不思議な友情関係にしても巧みに演じられており、
映画はこのキャスティングを実現させた時点で、成功が約束されていたと言っても過言ではありません。

残念ながら、本作は公開から25年が経った今、やや忘れ去られた存在です。
しかしながら、こういう映画こそ本来的には風化させてはならないと思います。
それはカレンの死を無駄にしないためにも、映画そのものを風化させないためにも。

映画の出来自体も悪いとは思わないし、むしろ良く出来ている。
個性的な映像感覚を有するマイク・ニコルズですから、彼の映画に対して否定的な見解も多いのですが、
そういった方々も本作は観て頂きたいと思う。おそらく本作は彼の監督作の中で、最も毛色の異なる作品だろう。
ニューシネマ期に監督デビューしてはいますが、元々は舞台劇出身のディレクターですので、
本作を撮るまでは約8年間ものブランクがあったのですが、全く申し分のない出来と言えます。
舞台劇出身のディレクター特有の嫌味さも本作は皆無であり、ひじょうにナチュラルである。

カレンは必死に賛同者を求めますが、工場で働く労働者は誰一人たりとも協力してくれません。
それも「アンタが余計なことをすると、会社がつぶれて失業しちゃうじゃないのよ!」と語気を強め、拒否します。
欧米はかなり早い段階から個人主義の風潮がありましたから、目の先の利益が最優先だったかもしれません。

今でこそ、企業活動における社会貢献が注目され、コーポレート・ブランドなんて言葉も普及しましたが、
数十年前までは企業が社会に対する責任をも差し置いて、利益を優先する時代があったのでしょう。
(勿論、残念なことにこういった風潮を持つ企業が撲滅されたわけではないが・・・)

この映画で描かれたカレンは決して完璧な人間ではないし、模範的とも言えない。
大企業を相手にするわけですから、抵抗するなら身の周辺を固めてから行動しないと危険なのに、
無防備なまま抵抗しようとします(←ひょっとしたら、彼女はその危険性を理解していなかったかも...)。

それ故、彼女の活動を全面的にサポートする存在は誰一人として現れません。
原子力安全委員の人間も、全面的にバックアップし、カレンをプロテクトしたとは言い難いものがあります。

そういう意味では生前、カレンが受けたプレッシャーや孤独感は想像に得難い。
チョット感傷的な部分があったりするのが玉に瑕(きず)だが、基本的には良質な映画である。
00年の『エリン・ブロコビッチ』のシリアス・ヴァージョンといった趣の映画かな。

(上映時間131分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 マイク・ニコルズ
製作 マイク・ニコルズ
    マイケル・ハウスマン
脚本 ノーラ・エフロン
    アリス・アーレン
撮影 ミロスラフ・オンドリチェク
音楽 ジョルジュ・ドルリュー
出演 メリル・ストリープ
    カート・ラッセル
    シェール
    クレイグ・T・ネルソン
    ダイアナ・スカーウッド
    ロン・シルバー
    フレッド・ウォード
    M・エメット・ウォルシュ
    ブルース・マッギル
    チャールズ・ハラハン
    ジョセフ・ソマー
    デビッド・ストラザーン
    ウィル・パットン
    ジェームズ・レブホーン

1983年度アカデミー主演女優賞(メリル・ストリープ) ノミネート
1983年度アカデミー助演女優賞(シェール) ノミネート
1983年度アカデミー監督賞(マイク・ニコルズ) ノミネート
1983年度アカデミーオリジナル脚本賞(ノーラ・エフロン、アリス・アーレン) ノミネート
1983年度アカデミー編集賞 ノミネート
1983年度ゴールデン・グローブ賞助演女優賞(シェール) 受賞