サイン(2002年アメリカ)

Signs

製作当時はM・ナイト・シャマランが執筆したシナリオが、
史上最高金額で映画会社に落札されたことで大きな話題となったミステリー・サスペンス。

当時、『シックス・センス』、『アンブレイカブル』と次々と話題作を製作していた、
M・ナイト・シャマランでしたが、正直、僕は『アンブレイカブル』を観て、「あぁ、またこれか・・・」と失望していたので、
本作を観る時も不安でいっぱいではあったのですが、本作も似たような題材の作品で、さすがに食傷気味(苦笑)。

やはり彼が撮った、04年の『ヴィレッジ』はそこそこ楽しめたのですが、
本作あたりから、M・ナイト・シャマランの監督作品の楽しみ方が明確になってきた感じはありますね。

ただ、映画の出来としては正直、落第点。

これは大きな冗談として考えられるなら寛容的に観たくなるが、
これを作り手が大真面目に撮ったSF映画だと主張するなら、まったく高くは評価されるべきではないと思います。

映画は世界中に宇宙からの侵略者がやって来たということだけを描いており、
世界各国で同じ“サイン”が描かれ、2人の子供と元野球選手の弟と同居する元牧師のシングルファザーの
広大な畑にもやはり“サイン”が描かれ、4人は宇宙からのメッセージに敏感になり、
世界中で宇宙人の発見報告があがる中、ついに家への侵入を覚悟した4人は宇宙人との闘いにでる姿を描きます。

ところどころコメディ・タッチで描かれているように見えるので、
おそらくM・ナイト・シャマランもそれまでのイメージを利用して、シュールな面白さを演出しているような気もするけど、
正直言って、何度観ても、M・ナイト・シャマランがどこまで本気でこの映画を描いたのか、よく分からない。

長男役でマコーレー・カルキンの弟であるロリー・カルキンが出演していることに加えて、
幼い頃のアビゲイル・ブレスリンも娘役で出演しており、キャスティングは冴えていたのでしょうね。
ロリー・カルキンは勿論のこと、やっぱり、アビゲイル・ブレスリンはとっても上手いですね。

M・ナイト・シャマラン自身も、コストを抑えるためなのか、なんなのかよく分かりませんが、
いつもの彼の監督作品と同様に出演しており、主人公の妻を事故死させる原因となった人物を演じている。

主演のメル・ギブソンは言うまでもありませんが、彼の弟役を演じたホアキン・フェニックスも
ハリウッドでスターダムを駆け上がっている最中の仕事で、どこか陰のある役柄を巧みに表現していますね。
本作のようなチョットした不思議感が漂うキャラクターこそ、彼が輝く持ち場なのかもしれませんね。

まるで冗談のような映画なのですが、さすがに映画の中盤でホアキン・フェニックスが
メキシコでの子供の誕生日パーティの最中に、襲来した宇宙人がホームビデオに映った瞬間、
驚愕の表情を浮かべるシーンなんて、笑えてくるタイミングで、これもホアキン・フェニックスの芝居もスゴく上手い。
(こう言っちゃ悪いけど、このシーンは「笑うな」という方が無理な話しにすら思える・・・)

公開当時から大きな話題となっていたのですが、
どうもM・ナイト・シャマランの映画って、『シックス・センス』のイメージのおかげで、
ほとんどの観客は「どうせラストにドンデン返しがあるんだろ?」と、半ばそれを楽しみに映画を観ている人が
大半だったせいか、結末の予想合戦が繰り広げられていたのですが、それをまるで嘲笑っているかのようで、
M・ナイト・シャマラン自身もファンがそうして予想に悪戦苦闘する姿が、面白くて仕方がなかったのかもしれない。

そう思って観ると、やっぱりM・ナイト・シャマランって、スゴく意地悪いディレクターだと思う(笑)。

こういう予想合戦を繰り返させて、映画を観る前から余計なことを考えさせて、
話題を巻き起こすことに注力するあまり、映画の中身が疎かになってしまうのは良くないことで、
正直言って、僕の中でのM・ナイト・シャマランって、そういった落とし穴にハマってしまった感が強いんですよね。

なまじ、大きなヒット作を生んでしまうことの弊害と言えば、それは当たっているかもしれません。
実は彼は過去の仕事を考えれば、もっと広いジャンルで活躍できる素質は持っていると思うのですが、
どうしても『シックス・センス』のイメージを越えられず、以降の仕事ではそれを利用してやっていたものの伸び悩み、
次にそれを払拭しようと躍起になって映画を撮り続けたものの、やっぱり上手くいっていないですね。

なんか、敢えて似たジャンルの映画を手掛けて、違うイメージを付けようとしているみたいで、
どうしても固定観念がつき易く、むしろ挑戦性に乏しい映画に思えてしまう面があるのは、否定できませんね。

そうしたM・ナイト・シャマランの結論としては、
「地球に侵略してくる宇宙人は、意外に弱い」ということだったというのは、驚きでこれは彼なりの冗談なのかも。
そう思って観ると、本作はコメディとして製作していたのかもしれないし、本作の価値が上がらなかったのは、
そういった彼の意図と、彼に対する固定化したイメージがマッチしなかったことに原因があるのかもしれません。

ただ、これはM・ナイト・シャマラン自身が招いている気もするので、彼が打破しなければならない矛盾だと思います。

この映画で大きなテーマとしては、もう一つあって、
主人公が妻を事故で失ってしまったことをキッカケに神父の職を退いたことで、
彼自身、大切な妻を失って、怒りに震えながらも神父という職に就いているがゆえ自分を抑えなければならず、
迷った結果、職を退くという決断をしたということで、それでも信仰を捨てられず、その狭間で揺れ動くということ。

実際のメル・ギブソンのスキャンダラスな部分とは正反対なキャラクターですが(苦笑)、
まだハリウッドのタフガイとしてのイメージが残っていた時代だったせいか、ギリギリのところだったのかな。

多少、情状酌量の余地がある作品ではありますが(笑)、
映画の出来としては擁護できないほどに良くないと言わざるをえません。
M・ナイト・シャマランの作風に理解がある人にしかオススメできないというところが、なんとも残念。

(上映時間106分)

私の採点★★★☆☆☆☆☆☆☆〜3点

監督 M・ナイト・シャマラン
製作 フランク・マーシャル
    サム・マーサー
    M・ナイト・シャマラン
脚本 M・ナイト・シャマラン
撮影 タク・フジモト
編集 バーバラ・タリヴァー
音楽 ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演 メル・ギブソン
    ホアキン・フェニックス
    ロリー・カルキン
    アビゲイル・ブレスリン
    M・ナイト・シャマラン
    チェリー・ジョーンズ
    パトリシア・カレンバー