シャイン(1996年オーストラリア)

Shine

オーストラリアでは有名なクラシック・ピアニスト、デビッド・ヘルフゴッドの半生を描いた伝記ドラマ。

これはとても良く出来た映画で、丁寧に作り込まれた印象を受けます。
監督のスコット・ヒックスはハリウッドに渡って何本か映画を撮りましたが、大成しませんでした。
ただ、後に撮った作品群と比べると、本作の仕上がりは格段に良く感じられる。

西オーストラリアの小都市パースで、裕福ではない厳格な父親に育てられ、
6歳の頃から父親からレッスンを受けたデビッドは、次第に近所でピアノの腕前が評判になり、
アメリカへの留学資金が近所の募金によって集まったものの、家庭という形を壊されることを嫌った父が
デビッドのアメリカ留学を拒否。それでも成長したデビッドは外の世界での勉強を望み、反対する父を押さえて、
単身でロンドン留学する決意をします。怒った父はデビッドを勘当したものとして扱い、以降は無視を決め込みます。

ロンドンのアカデミーでも、デビッドの腕前は認められますが、
入れ込んで参加した演奏会で演奏し終わった途端、それまでの極度の緊張と父親との隔絶によって、
張り詰めていた精神が崩壊したかのように、ステージ上で倒れ込み、精神治療を受けることになります。

強制的にオーストラリアに帰国し、故郷パースの施設に入所していたデビッドでしたが、
いろいろな人々との出会いがあり、パースのパブでピアノ弾きとして雇われたところ、
新聞記事などで注目の人となり、父親はじめ家族の目に触れるところとなります。

オーストラリアでは有名な実在の人物のようですが、個人的にはデビッド・ヘルフゴッドのことは知らず、
本作自体、僕の中では実に興味深く観ていました。映画自体も上質で品があって、評価された理由がよく分かる。

強いて言えば、この物語にとって地理的要素は重要だと思えるのですが、
それぞれのエピソードが何処でのことなのか、ハッキリと表示されないのは少し不親切だと感じましたね。
ホントはデビッドがどれだけ“旅”をしてきて、パブのピアノ弾きに流れ着いたのかが映画の見どころであって、
如何にデビッドが苦悩して病に悩み、いろいろなことをキッカケにチャンスを作り、輝いたのかがポイントなはずです。

だからこそ、ここに至るまでの過程はもっと丁寧に表現して欲しかったとは思いますねぇ。

とは言え、これは致命的なミスというほどでもなく、作り手もテロップに頼ることはしたくなかったのかもしれません。
映画のクライマックスにしても、デビッドが実在の人物であるからこそ、演奏家としてデビューを果たし、
本作撮影当時は、単発的に世界数ヵ国で演奏会を行っている事実などを、伝えるのがセオリーなのですが、
本作の作り手は撮影協力をしたデビッドと、彼の家族への感謝の意を示すことに、敢えて留めている。

特に監督のスコット・ヒックス自身が気にしていたのかもしれませんが、
映画が全体的に説明的になり過ぎて、悪い意味でクドくなってしまうことを避けたったのかもしれません。

実質的には本作で初めて世界的に名が知られるようになった、
ジェフリー・ラッシュは本作での熱演のおかげで、初のオスカー・ノミネーションにして、
見事、主演男優賞をゲットしましたが、映画の前半部分はほぼ彼は登場しないので、
映画の後半のインパクトだけで主演男優賞を獲得したようなもので、冷静に考えると、これはスゴいことですね。

映画の前半のインパクトを占めているのは、デビッドの厳格な父親を演じた、
アーミン・ミュラー=スタールの大熱演で、実は本作のキャストとして最初にクレジットされているのは彼でした。
本作まではマイナーなバイプレイヤーでしたが、本作での熱演で一気にハリウッドでも知名度を上げました。

デビッドの父親は厳格と言えば、聞こえはいいが、
自らが独裁的で征服するように家族を支配する振る舞いで、偏屈なまでにデビッドは縛り付けます。
家から出て他人に教えを乞うということは、外からの介入を許すことと一緒と考えていたようで、
デビッドが他人にピアノを習うことにも否定的でなかなか受け入れなかったし、留学も許すことはありません。

それでも留学を希望するデビッドを勘当して音信不通となってしまうのだから、
この父親はデビッドのため、家族のためにやっているというより、結局は自分のためにやっていたのですね。

結局、外の世界を見ることになったデビッドは、いろいろなことを吸収していきますが、
それまで偏屈な父親に育てられた環境が災いしたのか、周囲の空気に馴染めず、上手くいきません。
結果として精神が壊れ、施設に収容されることになるのですが、父親に振り回された結果に見えます。

そういう意味でも、やはり本作はアーミン・ミュラー=スタール演じる父親が中心となる映画なのですよね。

どうやら、デビッド・ヘルフゴッド自身が映画の内容を監修していたようですので、
かなり彼なりに遠慮していたのかもしれませんが、個人的にはデビッドの半生を描いた映画ですから、
もう少し映画全体のバランスとして、父親の存在との配分は見直しても良かったのではないかと思いますね。

伝記映画として観れば、デビッド自身を描いた映画にした方が魅力的になるのは明白で、
デビッドなりの配慮というか、家族愛だったのかもしれませんが、父親を中心に描いたというのは、
未だにデビッドが父親の存在に縛られているのか、それとも父親への愛情・配慮であったのかもしれませんね。

こういう構図を見ると、やはり幼い頃からの家庭環境って大きな影響を与えることを実感させられますね。

実在のデビッドは本作が劇場公開され高い評価を得てからは、
世界的なピアニストとして注目を集めるようになり、なんと97年にはワールト・ツアーを行ったようです。
統合失調と上手く付き合いながら、周囲のヘルプを借りて頑張るデビッドの一つの転機となりました。

おそらく、デビッドに「外の世界を見たい」という野心的な部分がなければ、
父親の束縛から離れることはなかっただろうし、対外的にも評価される舞台には上がれなかったと思います。
そういう意味では、色々な苦難はあったのだろうけど、彼自身が“輝き”を放てるチャンスは得られなかったのでしょう。

ドキュメンタリーを手掛けてきたスコット・ヒックスらしい生真面目な映画と映りますが、
彼だからこそ質の高い作品に仕上げられたでしょうし、高く評価される作品になったのでしょう。

これだけの監督デビュー作となってしまうと、この後の活動が難しかったのか、
ハリウッド資本で数本の映画を撮ってからは、結局はオーストラリアでドキュメンタリー・フィルムを手掛ける
活動に戻っており、本人もそういったフィールドが好きなようで、オーストラリアに戻ったようですね。

(上映時間105分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 スコット・ヒックス
製作 ジェーン・スコット
脚本 ジャン・サーディ
撮影 ジェフリー・シンプソン
音楽 デビッド・ハーシュフェルダー
出演 ジェフリー・ラッシュ
   ノア・テイラー
   アレックス・ラファロウィッツ
   アーミン・ミューラー=スタール
   リン・レッドグレーブ
   ジョン・ギールグッド
   グーギー・ウィザース

1996年度アカデミー作品賞 ノミネート
1996年度アカデミー主演男優賞(ジェフリー・ラッシュ) 受賞
1996年度アカデミー助演男優賞(アーミン・ミューラー=スタール) ノミネート
1996年度アカデミー監督賞(スコット・ヒックス) ノミネート
1996年度アカデミーオリジナル脚本賞(ジャン・サーディ) ノミネート
1996年度アカデミー作曲賞(デビッド・ハーシュフェルダー) ノミネート
1996年度アカデミー編集賞 ノミネート
1996年度イギリス・アカデミー賞主演男優賞(ジェフリー・ラッシュ) 受賞
1996年度イギリス・アカデミー賞音響賞 受賞
1996年度ゴールデン・グローブ賞主演男優賞<ドラマ部門>(ジェフリー・ラッシュ) 受賞