シャーキーズ・マシーン(1982年アメリカ)

Sharky's Machine

70年代からハリウッドを代表する、ダンディ・スターだったバート・レイノルズが
自身で監督も兼務して撮影した、ストイックな刑事の闘いを描いた情緒豊かな刑事映画。

相変わらずバート・レイノルズの男臭い匂いプンプン漂う映画なのですが、
決して彼のナルシズム全開映画という感じではなく、アメリカ南部の都市アトランタを舞台に、
80年代前半というバブリーな時代を迎えつつある、この時代にしか作れない空気をスクリーンに吹き込み、
実に色気のあるメリハリの利いた情緒豊かな刑事映画に仕上がっており、見どころの多い映画だ。

映画の出来自体は、スゲー良いわけではないのですが、
バート・レイノルズも意外に切れ味の良い演出ができており、予想外なほどに良い雰囲気になっている。

また、暗がりのシーンが多いにも関わらず、カメラの具合もとても良く、
ウィリアム・A・フレイカーのカメラも見事に映画の仕上がりに良い意味でアシストできており、
思えば、77年の『ミスター・グッドバーを探して』でも暗いシーン多いながらも、見事なカメラでしたね。

劇場公開当時から大きな話題であった、
当時のスーパーモデルだった、レイチェル・ウォードがヒロインのドミノ役に抜擢されており、
バート・レイノルズがメロメロになってしまうという展開も納得で、確かに彼女はとっても魅力的な存在だ。

映画は麻薬密輸に伴って、アトランタで殺された高級コールガールの殺人事件を契機に、
麻薬課から風紀課に格下げされた刑事シャーキーが、この殺人事件の捜査を担当することになり、
実は高級コールガールの顧客として、次期知事候補者がいて、その担当となるドミノに一目惚れした
シャーキーが追う巨悪が、人身売買や殺人なども行う、危険な存在であることが明らかになる過程を描きます。

バート・レイノルズは76年の『ゲイター』で初めて監督したわけなのですが、
本作は3回目の監督作品で、あまりディレクターとしての彼は評価されていないのが実情ですが、
本作を観る限り、この手の映画の演出に関しては、実はかなり高い手腕があるのではないかと思います。

それぐらい本作は良く出来ていると思うのですが、
どうやら本作はクリント・イーストウッドへの対抗心から製作した作品のようですね。

バート・レイノルズはおそらく、映画人として監督業へ進出する野心があって、
当時、監督業を本格化させ、高い評価を得つつあったイーストウッドに対する対抗心はかなりあったようです。
なので、本作はバート・レイノルズなりには『ダーティハリー』シリーズのような感覚でいたらしく、
当然ではありますが、至極真っ当な刑事映画を撮るつもりでいたはずで、奇をてらうつもりは無かったはずです。

おりしも、80年代前半はハリウッドも次第に大作志向に傾いており、
アメリカン・ニューシネマの旋風巻き起こった、70年代と比較すると、刑事映画の潮流は弱体化しつつあり、
例えば『L.A.大捜査線/狼たちの街』のような雰囲気を持つ刑事映画が主流になっていたので、
刑事映画のスタンダードというのが、変わりつつある時代であったことは否定できないはずだ。

本作を観ていて強く思ったのですが、
そんな80年代の刑事映画の雰囲気を先取りした感があり、バート・レイノルズの感覚って、
意外なほどに敏感で時代の先端を行っていたのかもしれませんね。それぐらい、しっかりした映画です。

前述した、ウィリアム・A・フレイカーのカメラのおかげもあるが、
とてもソリッドな感じで、それでいながら演出にキレがあって、とっても良い感じではあると思う。

あまり監督作品が多いわけではないし、
バート・レイノルズの監督業に関する評価は決して高くはないけれども、
本作を観る限り、僕は意外にバート・レイノルズの映画監督としての能力は高かったのではないかと思いますね。

但し、『ダーティハリー』の対抗馬として作ったとすれば、それは及ばぬ出来と言わざるをえない。
ヒロインを演じたレイチェル・ウォードを輝かせたという意味では、女性キャラクターの描き方に課題があった、
『ダーティハリー』シリーズと比較すると優位ではありますが、本作はどことなく訴求力に欠けるんですよね。
例えば、賛否はあれど、『ダーティハリー』の1作目のラストでは、ある種のカタルシスを感じさせるでしたが、
本作にはそういったラストは無く、ただただ予定調和のようなラストで映画が終わってしまいます。

しかし、いきなりバート・レイノルズにここまで求めるのは酷かなぁ(苦笑)。

とりあえず、本作の時点ではアクションと主人公のロマンスを上手く描けたあたりに、
バート・レイノルズにとっては大きな収穫であったとは思いますね。そう思わせるほどに、そこそこ良く出来ています。

それにしても、この映画はヘンリー・シルヴァ演じる麻薬中毒の殺し屋の存在が秀逸だ。
凄まじいほど狂気に満ちた殺し屋という位置づけですが、日常的にドラッグを常用しているせいで、
ホントに何をしでかすか分からない恐ろしさがあり、ここまで不気味な悪役はそう多くはないですね。
オマケに映画の終盤では、見事に銃撃されているのに、血を流しても逃げ続ける不死身さが怖い(苦笑)。

バート・レイノルズの描き方には、こういう悪役にあっても一貫性があって、
やはりこういう映画が本来どうあるべきか、とっても的確に理解できているようですね。
こういう個性的な悪役キャラクターは、映画を支える存在になり得ることを理解できているようだ。

映画の中では、悪の親玉をヴィットリオ・ガスマンが貫禄の演技で演じていますが、
おそらく多くの方々には、むしろヘンリー・シルヴァの方が印象が残るでしょうね。

ある意味で“覗き見精神”を炸裂させるバート・レイノルズの願望が炸裂した映画って感じですが、
情緒万点だったのに、映画としては決定打に欠けたせいか、最後のひと押しが無かったのが残念かなぁ。
この辺はバート・レイノルズの映画監督としての経験値の低さがあるのかもしれませんが、
そういう意味でプロデューサーとして、経験値の高い人選があっても良かったような気がしますねぇ。

それにしても、冒頭に流れるランディ・クロフォードが歌う、
Street Life(ストリート・ライフ)が異様にカッコ良い。ひたすら寒そうな冬のアトランタに
妙にマッチする映像で、この辺はバート・レイノルズのセンスの良さが垣間見れますね。

(上映時間121分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 バート・レイノルズ
製作 バート・レイノルズ
    ハンク・ムーンジーン
原作 ウィリアム・ディール
脚本 ジェラルド・ディペゴ
撮影 ウィリアム・A・フレイカー
音楽 スナッフ・ギャレット
出演 バート・レイノルズ
    レイチェル・ウォード
    ヴィットリオ・ガスマン
    ブライアン・キース
    チャールズ・ダーニング
    アール・ホリマン
    バーニー・ケイシー
    リチャード・リバティーニ
    ヘンリー・シルヴァ