スケアクロウ(1973年アメリカ)

Scarecrow

これは何とも言えない、実に味わい深い映画だ。

僕の中でも、これはアメリカン・ニューシネマを代表する象徴的作品であり、
1970年代のハリウッドのトレンドだったと言っても過言ではない、虚無感に苛まれる作品だ。

監督はジェリー・シャッツバーグ、71年の『哀しみの街かど』でアル・パチーノを主演に抜擢し、
アメリカン・ニューシネマ期を代表する大スターになるキッカケを作った、僕の中では“隠れた名匠”だ。

当時、『真夜中のカーボーイ』に始まって、『ファイブ・イージー・ピーセス』とか、
『さらば冬のかもめ』とか、ロード・ムービー調の作りをしてドンチャン騒ぎのように賑やかな道中を描くも、
どこか空虚な空気感を漂わせ、映画の最後の最後で一気に観客を突き放したようなラストを迎える。
そんな手法が数多く取られていて、「映画の王道はハッピー・エンド」というそれまでの既成概念を吹き飛ばし、
敢えて中途半端なラストに帰結して、映像で多くのことを物語り、強く訴求するという作品が数多く登場しました。

そういった作品群の映画としては、本作がその決定打みたいなイメージがあります。
特に映画のラストシーン、デトロイトの市街地の噴水で、アル・パチーノ演じる“ライオン”が表現する
混沌とした心理状態は、それまで固い友情で結ばれつつあったところで、観客をグッと惹き付けていたのに、
まるで作り手が態度を豹変したかのように、突如として現実を突きつけるようにして唐突に映画が終わる。

そして、この映画は何より刑務所上がりのマックスが丘から下りてきて、
その様子を木陰で“ライオン”がジッと見つめ、お互いにヒッチハイクするのに良い場所を探し、
我先にと乗せてくれる車を見つけるために、マックスが“ライオン”を無視するところから始まる、
このオープニング・シーンがたまらなく好きだ。何も音楽を流さず、ただひたすら2人の行動をカメラは捉える。

このジェリー・シャッツバーグはどこかユニークなアングルから撮る人で、
この映画の冒頭にしても、ただひたすら寒さに耐えながら、ヒッチハイクする放浪者2人を撮り続けるなんて、
並大抵のディレクターだったら考えないオープニングだと思う。そして、またヴィルモス・ジグモンドのカメラも素晴らしい。

少し遠巻きにマックスと“ライオン”のヒッチハイクを映し、
どこかカメラは傍観者のような雰囲気をだして、最初っから観客を力強く物語に引き込む感じではない。

雪は無いが、風も強く、周囲に建物も無い田舎だから、余計に寒く感じるというのは、
映画として観ていて感じるのだから、まったく目処の立たないヒッチハイクであることを強調している。

それと、映画の中盤でマックスと“ライオン”がお世話になる、
矯正施設で、豚舎を掃除していたマックスが、暴行された“ライオン”の復讐を遂げるシーンにしても、
すぐにカメラは遠いアングルから映し、更にズームアウトするような撮り方をしていて、
気性の荒いマックスの暴力的な部分を、どこか冷めたような目線で映すのが、凄く印象に残る。

そういう意味では、カメラは勿論のこと、
ジェリー・シャッツバーグはトータル考えての、本作の編集が凄く上手くいったということなのでしょうね。

やはりこの映画は多様な解釈ができるラストの在り方が強みでしょう。
若気の至りもあって、事実上、見捨ててしまった自分の子を身籠った恋人に会うために、
“ライオン”はデトロイトを目指していたのですが、いざ会える場所に来ると直接会う勇気が出ず、
結局、公衆電話から恋人に電話をかけるわけですが、恋人から告げられる“話し”にダメ押しされてしまいます。

でも、過去の過ちは、必ず巡り巡って自分に返ってくると言わんばかりの結末なわけですが、
一見すると不条理に映る部分もあり、現実の残酷さを象徴しているかのようで、何とも言えないラストだ。

そんな中でも、マックスと“ライオン”の友情が強調されるのは、分かっていても心揺さぶる力がある。
刑務所上がりの荒くれマックスも、最初は“ライオン”のことを煙たがってはいたが、
最後のマッチをくれたことで友情が芽生え、まるで年下の相棒のような気持ちで“ライオン”に接し、
一緒にピッツバーグで洗車業をやろうと誓い、最後には「お前がいなきゃビジネスはできん!」と本音を叫ぶ。

演じるジーン・ハックマンとアル・パチーノという最高のコンビのおかげでもあるけど、
この映画のクライマックスの訴求力、そして観客の心を揺さぶる力は凄く強いと感じます。
おそらく本作はジェリー・シャッツバーグが撮った作品の中で、最高の出来であり代表作でしょう。

『真夜中のカーボーイ』と似たテーマではあるのですが、
本作は微妙に異なるテーマで描いており、映画のラストもニュアンス的には本作は前向きではあります。
『真夜中のカーボーイ』のラストは、どちらかと言えば、何とも言えない絶望感が漂っていましたからね。
両作とも、立派にアメリカン・ニューシネマの代表作ですが、冷静に見比べてみると似て非なるものですね。

この映画はどちらかと言えば、ジーン・ハックマン演じるマックスに
焦点を当てた内容にも見えますが、やはり本作は“ライオン”を演じたアル・パチーノの眼が良い。
純真そうな笑顔を見せたり、道化のような表情をしてみたりと、とにかく表情も豊かだ。
そして何より、彼の眼差しをさり気なく撮っている。最も印象に残るのは、呆然とした表情を見せるバーのシーンだろう。

ジェリー・シャッツバーグは写真家として活動していただけあって、
どこか写実的な風格があって、当時のジェリー・シャッツバーグの映画にアル・パチーノがよく似合います。

本作なんかはジェリー・シャッツバーグ、アル・パチーノ共に持ち味を生かしたロード・ムービーですが、
映画の冒頭のマックスと“ライオン”の出会いにしても、クライマックスの噴水でのシーンにしても、
ピッツバーグ行きの往復チケットを買うマックスが必死に紙幣を探す姿にしても、全てが“絵”になる映画だ。

やはりヴィルモス・ジグモンドのカメラも素晴らしく、画面から伝わる空気が匂いを感じるくらいにエモーショナルだ。

英語で Scarecrowとは、日本語に訳すと「案山子」になりますが、
「案山子」は映画では痩せた人とか、放浪者などといった意味を持っているようです。
たまに“ライオン”は道化のように何かを演じ、マックスが微動だにせず、ジッとしている様子がありますが、
あれを観るとマックスが案山子だとでも比喩しているのでしょうか。“ライオン”も立派な放浪者なんですがねぇ・・・。

まぁ・・・ニューシネマ期のハリウッドの特徴ですが、
60年代以前のハリウッドは男の肉体的・精神的な強さを描く作品が多かったのですが、
本作のように若い男性のナイーブさ、社会の荒波に呑まれてドロップアウトしてしまう現実の残酷さを
描いているわけで、本作も中年にさしかかったマックスは昔気質なところがあるものの、“ライオン”は年齢が若く、
やはり精神的に不安定さがあり、気持ちが優しい青年でした。そうであるがゆえ、バランスを崩すわけなのですが、
ジェリー・シャッツバーグはそんな若者に理解を示しながら、昔気質なマックスとの熱い友情を描いています。

おそらく、60年代初頭までのハリウッドであれば、“ライオン”のような若者に
スポットライトを当てて中心人物として映画を製作するということ自体、そう多くはないことだったでしょう。

久しぶりに本作を観ましたが、あらためて本作からは映画界が変わりつつあった息吹きを感じますね。

(上映時間113分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ジェリー・シャッツバーグ
製作 ロバート・M・シャーマン
脚本 ギャリー・マイケル・ホワイト
撮影 ヴィルモス・ジグモンド
音楽 フレッド・マイロー
出演 ジーン・ハックマン
   アル・パチーノ
   ドロシー・トリスタン
   アイリーン・ブレナン
   リチャード・リンチ
   アン・ウェッジワース

1973年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール 受賞