愛しのロクサーヌ(1987年アメリカ)

Roxanne

これは『シラノ・ド・ベルジュラック』を現代に置き換えて解釈し直したラブ・コメディ。

とある田舎町の消防署で署長を務めるチャーリーは、自身の鼻が大きいことがコンプレックスとなり、
なかなか意中の女性に積極的になれない中年男で、町にひと夏のショートステイで訪れた、
美人天文学者のロクサーヌに一目惚れするものの、ロクサーヌは新任の消防士クリスに一目惚れ。
インテリジェンスを感じさせないクリスを見かねたチャーリーが、クリスとロクサーヌの恋を仲介することになります。

80年代は絶好調だったスティーブ・マーティンの安定のブランド力というのもありますが、
ヒロインに当時、人気絶頂だったダリル・ハンナをキャスティングできただけことが大きかったのでしょう。
日本含めて、本作は興行的に大ヒットし、80年代を代表するロマンチック・コメディの一本となりました。

監督はオーストラリア出身のフレッド・スケピシで、正直言って、本作以外は良い仕事が
あまり出来ていない印象が強いのですが、本作は実に丁寧に作られており、ひじょうに良い出来だと思います。
音楽の使い方から、80年代の雰囲気丸出しですけど、僕はこういう映画が大好きなんで大切にしたいですね。

あまり有名ではないのですが、ブルース・スミートンのスコアが素晴らしく良い。
まるでデビッド・フォスターが書いたような楽曲で、ロマンチックな雰囲気が高揚する素晴らしい音楽だ。
個人的には、本作のサントラを探したくなっちゃいました。どこかで売ってないかなぁ〜。

確かに鼻は大きく本人がコンプレックスとして抱える理由はよく分かる。
特殊メイクでスティーブ・マーティンが奮闘していて、何度もアップで鼻が映りますが、ごく自然な鼻ですね。
映画の冒頭にあるような、グラスで飲み物を飲もうとしても鼻が邪魔して上手く飲めず、鼻の穴からワインを
飲んでしまうという荒業はギャグとしてスゴいですけど、確かにあの鼻の大きさでは色々と支障がでるでしょう。

このコミカルさはスティーブ・マーティンにとって、チャーリー役は適役だったと思います。

そういう意味でも、フレッド・スケピシにとっても良い土台が揃った作品だったのでしょう。
『シラノ・ド・ベルジュラック』のオリジナルを知らなくとも、本作は十分に楽しめる内容になっていますし、
スティーブ・マーティンが書いた脚本からして、全てのパートが良い仕事をしている実に機能的な作品だ。

スティーブ・マーティン演じる主人公のチャーリーは消防署の署長という立場でありながら、
売られたケンカは片っ端から買ってしまう気の短さがあって、映画の冒頭からテニスクラブを使って2人の男たちを
路上で相手にして倒してしまったり、バーで馬鹿にしてきた酔っ払い相手にケンカしたり、腕っぷしが強い男という
キャラクター設定も印象的で、それでいて笑えるぐらいの間の悪いお人好しというアンバランスさが絶妙だ。

とっても大好きな映画だし、個人的には満足度が高い上質な作品だとは思ってるんだけど、
この映画、所々にコメディの要素が盛り込まれていて、前述したような鼻でワイン飲むみたいなのもあるのだけど、
例えば、チャーリーが勤める消防署は火災が起きたことがないために、ほぼ出動機会がないせいか
ボランティアの素人たちが署員であるということから、訓練のシーンでは色々とドタバタとギャグっぽく描いている。

僕はこういった一連のギャグのようなシーンって、この映画にどうしても必要なものかと聞かれると、
一概にそうとも言えない感じに映りましたね。コテコテの恋愛映画にはしたくなかったのかもしれないし、
オリジナルの戯曲のコメディ性を尊重したのかもしれませんが、スティーブ・マーティン自身がコミカルに演じることは
得手な俳優なので、無理して他のキャストまで一緒になってドタバタを演じる必要はなかったのではないかと思う。

スラップスティックなところがスティーブ・マーティンらしいと言えば、それまでなのですが、
本作はシナリオがあまりに良過ぎて、もっとロマンスに注力して描いた方が映画は引き締まったと思うんですよね。

と言うのも、何度観ても、この映画はチャーリーが如何にロクサーヌに近づきながら、
それでいて自分の気持ちを悟られないようにロクサーヌとの“文通”に必死になる姿がなんとも健気(笑)。
結果的にイケメンの若い男とロサクーヌの恋の成就に、チャーリーが恋の仲介をしてしまうほどのお人好しだ。
少し勿体ないのは、何故かチャーリーが恋の仲介役に回ってしまったのに、イケメン消防士のクリスが軽い男で
アッサリと映画から退場してしまうので、恋敵としてはあまり弱い。ここはもっと強敵にして欲しかったなぁ。

シナリオ自体は凄く良かったのに、ロマンス部分でもっと磨き上げれば良くなったところがあったと思う。
そこがコメディ・パートに時間を費やされてしまっているので、もっとロマンスを描くことに注力して欲しかったなぁと思う。

まぁ・・・人は見かけだけで判断できないとは言え、やっぱり外見は気になるもの。
色々な考えの人がいるとは思いますが、自分の外見をコンプレックスとすること自体は否定されるものではない。
僕は誰しも一つは外見のコンプレックスがあるのでは?と思っていて、それは自分にしか理解できないものかも。

欧米の人は鼻が高いと言われていますが、本作のチャーリーの鼻は確かに極端だ。
アジア系の人はどちらかと言えば鼻が低いですから、鼻が高いことに越したことはないと思ってしまいますが、
このチャーリーの鼻はコンプレックスになるかも。行き過ぎたルッキズムとの関係もあるのかもしれませんが、
やはり人って、他から良く思われたい、良く見られたいとする気持ちって、多かれ少なかれ持っているものですからね。

ロクサーヌからすれば、恋の“入口”は外見から入っていますが、最後はやっぱり人間性のようだ。
イケメンのクリスは典型的なお●カさんのように描かれていますので、ロクサーヌの気持ちをこじ開ける人間性が
クリスには備わっていなかったのか、天文学者であるロクサーヌと渡り合うインテリジェンスを持っていませんでした。

そこで活躍するのがチャーリーの文才だったというわけで、まるで純愛を貫くようなポエムを送り続ける。

チョット面白いのは、クリスは確かにチャーリーに協力を依頼していましたが、
ほとばしるロクサーヌへの想いが止まらないチャーリーは、依頼を超える3通/日というハイペースで、
一時帰宅したロクサーヌへラブレターを送り続けるマメさを見せ、結果的にこれがロクサーヌの心をこじ開けるカギ。

こういうドタバタ・コメディの中でも、自分はインテリジェンスあるキャラクターを演じるあたりが
スティーブ・マーティンらしいですけど、まぁ・・・これは自分で脚本を書いた特権なのかもしれませんね。

それにしても、内側からロックかけられてしまった家の扉を開けることが得意なチャーリーは、
その手段として、次々と棒という棒を利用してアクロバティックに2階に登って、窓から部屋に侵入して、
内側から玄関を開けるという荒業を繰り出すのですが、このシーンでのスタントマンは良い仕事してますね(笑)。

まるで新体操の選手のように素晴らしいフットワークで、身軽に簡単に登っていくのですが、
消防署の所長のオッサンとは思えぬ身軽さで、おそらくこれはスティーブ・マーティン本人の動きではないでしょう。
実際にこれがいとも簡単に出来るのであれば、なんだか悪用できてしまいそうな“特技”ですね。
思わず、町で空き巣犯罪とかが発生したら、チャーリーが疑われたりしないのかと、心配になってしまうくらいです。

しっかし、映画の冒頭でダリル・ハンナ演じるロクサーヌが猫を家に入れようと失敗して、
玄関のカギを家の中に入れたまま、玄関が施錠されてしまい、全裸で消防署へ駆け込むというシーンがありますが、
当時のダリル・ハンナはその美貌で人気女優でしたから、ウブな男なら思わずドキッとしちゃうシーンですね。

そういう意味でも、ロクサーヌ役にダリル・ハンナとは絶妙なキャスティングだったのかもしれません。
彼女と比べてしまうと、スティーブ・マーティンは随分と年上に見えてしまいますが、撮影当時、実はまだ43歳。
かなり年上に見えますが、彼は若白髪でしたので。この2人のアンバランスな感じも、また恋愛映画の妙味だ。

『シラノ・ド・ベルジュラック』が好きな人は勿論のこと、知らない人でも楽しめる良作です。

(上映時間106分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 フレッド・スケピシ
製作 マイケル・ラックミル
   ダニエル・メルニック
原作 エドモン・ロスタン
脚本 スティーブ・マーティン
撮影 イアン・ベイカー
音楽 ブルース・スミートン
出演 スティーブ・マーティン
   ダリル・ハンナ
   リック・ロソヴィッチ
   マイケル・J・ポラード
   シェリー・デュバル
   フレッド・ウィラード
   マックス・アレクサンダー
   デイモン・ウェイアンズ

1987年度全米映画批評家協会賞主演男優賞(スティーブ・マーティン) 受賞
1987年度ロサンゼルス映画批評家協会賞主演男優賞(スティーブ・マーティン) 受賞