ロープ(1948年アメリカ)

Rope

僕はこれがヒッチコックの監督作品で、最も好きな作品です。
この作品の実験性の高さ、それが見事に結実して表現できたことは、後年への影響力がとてつもなくデカい。

映画は、少年誘拐事件の“レオポルドとローブ事件”をモデルにしているそうで、
同性愛カップルであったレオポルドとローブというシカゴ大学の学生2人が、少年を誘拐して殺害。
この事件は2人が何かを要求していたわけではなく、単に自分たちの優秀さを証明する手段として、
完全犯罪を目論んだものの、警察が次々と物的証拠を掴み、2人のアリバイが崩れて自供したという事件。

確かに本作は、大筋でこの事件をモデルにしているとは思うが、
かなり大胆な脚色が加わっていて、まず、被害者は少年ではなく、犯人たちの学友がターゲットになっている。
しかも、自分たちの優秀さを証明するためと、加えて、自分たちの余興を楽しむために自宅のアパートで
パーティーを開くという、大胆不敵な行動に出る姿を描いており、事件の推理をするのは彼らの恩師という設定だ。

犯人のリーダー格であるジョン・デール演じるブランドンは、所々、異常性を垣間見れる瞬間があって、
「さぁ、楽しみの始まりだ」とパーティーの始まりを告げるときの表情は、常人では理解できない感覚だ。

対照的なのはブランドンに共犯になるように引き込まれたファーリー・グレンジャー演じるフィリップは、
映画の序盤から常に動揺しまくりで、誰がどう見ても挙動不審かつ、何か裏があると思わせる態度だ。
そんなフィリップの姿を見て、ブランドンも苛立ちを隠せませんが、綱渡りの“余興”が続いていきます。

そして本作は、ヒッチコック初めてカラー撮影を導入した作品であり、やはりテクニカラーの美しさが際立つ。

実際には、5カット強くらいには割っているのではないかと思うのですが、
まるで1シーン1カットのように編集している。それでも当時としては異例な長回しがあって、
まるで舞台劇のような様相を呈しているが、このヒッチコックの実験にどんな目的があったのかは知りませんが、
1948年当時、こんなことを映画の中で実行していた人は、ヒッチコックくらいしかいなかったでしょうね。

ギャラが当時としては高額であったと聞きますが、ブランドンとフィリップの挙動不審さや言動に
不信感を抱き、失踪した教え子の謎に疑惑の目をかけ推理する恩師役としてジェームズ・スチュワートが
キャスティングされていますが、本作のジェームズ・スチュワートはどこか顔色が悪そうなメイクをしていて、
ブランドンとフィリップにも負けず劣らず、この恩師も裏に何かあるのではないかと思える雰囲気がある。

生前のヒューム・クローニンやアーサー・ローレンツも語っていましたが、
本作は先駆的にホモセクシャルをテーマの一つとして扱った映画であり、かなり検閲の対象になったようだ。

当時のハリウッドはホモセクシャルを真正面から扱うことはタブー視されていて、
大っぴらに描けるようになるのは、本作の更に30年近く後になってからの話しですから、
脚本もかなり修正指示が入ったようだ。ただ、それでも抵抗(?)とも解釈できるように、さり気なく描いてはいる。
(例えば、映画の序盤でフィリップに「それがキミ(ブランドン)の魅力でもあるのだが」と語らせているなど)

そんな雰囲気にジェームズ・スチュワートも“染まる”ように演技することで、
映画のカラーを統一することに目的があったのかもしれません。いずれにしても本作はヒッチコックの実験性、
そしてタブーに迫るという挑戦性の両面がダイレクトに反映された映画であり、とっても価値が高いと思います。

そもそも、アパートの一室からホントに一歩も外へ出ない密室劇というのも当時としては珍しいが、
この映画で感心させられるのは、実に変わった部屋のレイアウトであり、横に部屋やキッチンが広がるという
映画撮影にとっては都合のいいレイアウトを、巧みに利用した点だ(笑)。上手い具合に、横への移動を利用している。

密室劇であっても、映画だからこそ出来る表現をしっかり行っていることに感心させられる。

ブランドンの自己顕示欲の強さが際立つが、自分が優秀な人間であると
周囲の人間たちを徹底して見下したように考えているあたりが、ものスゴい嫌な奴っぷりが突き抜けている。
この勘違いはジェームズ・スチュワート演じる恩師のかなり極端な持論の影響であることは明らかですが、
それを拡大解釈して、実際に行動に移せてしまう倫理観が致命的なほどに、醜悪なものに見えてくる。

まぁ、「優秀な人間は法律を超越した存在であっていい」と声高らかに教育者が主張するものだから、
それを真に受けて暴走する人間がでてくるのは不思議ではないが、それでもブランドンの異常さは際立っている。
映画のラストシーンで持論の全てをブチまけたブランドンが、全てを出し切ったように酒を飲む姿が印象的だ。

こういうラストの雰囲気を観ていると感じるのですが、
人気TVシリーズの『刑事コロンボ』なんかは、実は本作のことをかなり参考にしたのかもしれませんね。
さしずめ、ジェームズ・スチュワートもズバズバと鋭く推理するというよりも、のらりくらりと推理するタイプなので
ピーター・フォークが演じたコロンボ刑事に似ていると言われれば、それは間違っていないかもしれません。
(この映画のジェームズ・スチュワートは、ブランドンの異常性に気づき、動揺していたということもありますが・・・)

そう思って観ると、本作の映画史に於ける価値というのは、凄く高いものだと思いますね。
日本でもヒッチコックが黄金期を迎えた50年代を過ぎた、1962年に劇場公開されたくらいなので、
1948年当時は、ほぼ注目されておらず、過小評価だったという、悲しい現実があるのですがね。。。

ヒッチコックの映画としては恒例化していたブロンドのヒロインが大活躍という映画ではないし、
“マクガフィン”のようなトリッキーなアイテムを登場させて、映画をかく乱するようなことはしていない。
分かり易くスリルを煽る演出よりも、ただ淡々と描くことでジワジワと押し寄せるようなスリラー演出に徹している。
ヒッチコックの映画としては、異端な存在ではあります。それは実験的手法以外の部分でも当てはまります。

としても、その先駆性や一つ一つ弁証していくスタイルを確立したという意味では、とても価値がある作品だ。

この映画はストーリーを追っていくだけでは、しっかりと楽しめないと思います。
駆け引きのスリル、どう相手の追及から逃げ切るかという緊張感、これらを凝縮させた映画ですから、
映画を撮影するにあたっては綿密に計画を立ててリハーサルしたのでしょうが、このブランドンとフィリップの犯行は
そこまで計画的な完全犯罪を企てたというほどではなく、意外なほどに行き当たりばったりな感じで修正を重ねます。

だからこそ、綻びが表面化するのも速い。しかも、その行き当たりばったりの中には
致命的なほどに自己顕示欲を満たすための思いつきも含まれるので、自分のことを天才だと思っている割りには、
後先のことをあまり深く考えずに行動しているところは確かにあります。ここは敢えて言えば、本作最大の難点かも。

ただ、僕が感じたのは、その行き当たりばったり修正を重ねていくのも、
ある種、ブランドンのような男にとっては常套手段とも言うべき、彼の得意技なのでしょうね。
スラスラと彼が書き換えていく完全犯罪のマッピングは、何とかして全ての人間を上回るものにしようと必死になります。
こうして、自分は他の誰よりも優れている。それを誇示したいという願望こそが、ブランドン最大の欲求なのでしょう。
それを真正面から堂々と描いたのが本作ということでして、僕はそのブランドンの野望こそ、本作の見どころと思います。

ヒッチコックは本作でカラー・フィルムの“お試し”をしていた感があり、
彼の全盛期とも言うべき、絶好調の50年代へと突入していき、多くの映画史に残る傑作を生み出します。
時に、『ダイヤルMを廻せ!』のような3D映画にもチャレンジしたことはありますが、本作はそういったチャレンジも
含めて、50年代へ向けた大きな布石であったと言っても過言ではありません。それくらい、とても大きな一作です。

今一度、ヒッチコックのファンであれば、是非とも再評価して欲しい逸品だと思う。

(上映時間80分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 シドニー・バーンスタイン
   アルフレッド・ヒッチコック
原作 パトリック・ハミルトン
脚本 アーサー・ローレンツ
潤色 ヒューム・クローニン
撮影 ジョセフ・バレンタイン
   ウィリアム・V・スコール
音楽 レオ・F・フォーブスティン
出演 ジェームズ・スチュワート
   ジョン・ドール
   ファーリー・グレンジャー
   セドリック・ハードウィック
   ジョアン・チャンドラー