ジェット・ローラー・コースター(1977年アメリカ)

Rollercoaster

あまり有名な映画というわけでもないのですが、
遊園地という多くの人が集う遊戯施設を標的にしたテロ事件という、それまでの映画には無かった発想で
スリリングに描いたサスペンス映画で、ニューシネマとは対極的な作品ですが、これはなかなかの秀作だ。

僕は元来、怖がりなんで、間違ってもジェットコースターには乗らないのですが(笑)、
やはり遊園地が好きな人から見れば、遊園地の“花形”と言えばジェットコースターが上位にくるでしょう。

これは遊園地の経営者の立場から言っても同様で、
来場者のニーズとして強いがために、ジェットコースターのスリルを競っている向きは強いでしょう。
ましてや、この時代は木造のジェットコースターなので、余計に怖かったでしょうねぇ(笑)。

日本でも、遊園地の遊具での事故が複数回発生しているだけに他人事ではありませんが、
遊具の安全性については、古くからかなり厳密に吟味されていたはずで、実際に映画の中でも
主人公のハリーが規格安全省の職員という設定で、遊園地の遊具を点検する職業という設定だ。

映画の中盤でテロ犯人の指示に従って遊園地のジェットコースターにハリーが乗るというシーンがありますが、
やはり職業柄、幾つものジェットコースターに乗っているせいか、終始真顔で楽しくなさそうに乗っている。
ハリーを演じたジョージ・シーガルもスタントではないと思うので、あの真顔で乗っていられる心臓が羨ましい(笑)。

映画のスタッフは当時の人気TVシリーズ『刑事コロンボ』のスタッフが中心となって、
本作の製作に携わっているらしく、確かに映画の中盤は推理というか、起伏が少なくハリーと犯人の攻防を
静かに描いているようで、目立ってスリリングなシーンが続くとか、そういうタイプの映画ではない。
おそらく、ここが本作の評価を分けているところかと思うのですが、僕は意外にも映画的な演出で良かったと思います。

何故か悪役が多い、リチャード・ウィドマークにFBI捜査官を演じさせたり、
主人公ハリーの上司役としてヘンリー・フォンダをチョイ役扱いで登場させたり、テロを目論む犯人役として、
『ジョニーは戦場へ行った』、『ペーパー・チェイス』などのティモシー・ボトムズを起用したり、地味に豪華なキャスト。

明確に脅迫されていて、爆弾も実際に見つかったのに、
それでも遊園地の営業を続けようとするというのは、現代の安全論からするとかなり違和感があるとは思うけど、
多くの人々を集めた環境で、どう最悪の結末を防ぐかという観点で、制約がある中でのサスペンスが面白い。

映画のテンポも前半はそこそこ良く、映画の冒頭から夜の遊園地で、
失踪するジェットコースターのレールが部分的に爆破されて破損し、爆走するコースターが脱線し、
次々と施設内に転落していくというショッキングな演出が印象的で、一気に映画の緊張感を増す出だしで良い。
逆さまになって、ベルトのせいで乗客は放り出されず、頭から施設内のアスファルト地面に強打するのは衝撃的だ。

そこから映画は、ややテンポを落として、ハリーとテロ犯の駆け引きを描くわけですが、
さすがにただ事ではないと察知し、ハリーは犯人のことを侮るべきではないと一貫して主張し続けます。

それを盗聴した犯人は、自分のことを評価する敵であるとして、ハリーを利用することを考えるわけです。
次なるターゲットで経営者たちを脅迫する犯人は、現金の引き渡し役にハリーを指名します。
そうなると、この手の映画の定番のような展開ですが、高圧的なFBI捜査官ホイトのスタンスが
ハリーにとってはストレスでしかなくって、捜査の過程のコトある毎に2人は衝突してしまいます。

ティモシー・ボトムズ演じるテロを目論む若い犯人も、どこかナイーブで当時の“現代的”な犯人像だ。
何か明確な野望や目的があって、用意周到に凶行に及んでいるという感じではない不透明さが、逆に怖い。
この辺はさすがに、『刑事コロンボ』シリーズの原作者が本作のシナリオを書いているだけあって、面白い構成だ。

そこから、クライマックスのオープニング・イベントでの犯人と捜査側の攻防になるわけですが、
最後の最後はチョット呆気ない終わり方で、これはこれである意味でリアルだけど、もう少し盛り上げても良かったかな。

遊園地を標的にしたテロというのは、面白い着装点だったと思います。
この映画の劇場公開から約45年経った今では、遊園地の経営が日本全国でピンチとなっていて、
どことなく遊園地というコンテンツが現代社会のライフスタイルの中で、魅力的なものではなくなってきたのかも。
かつては全天候型の室内遊園地というのも、何箇所かありましたけど、メッキリ少なくなりました。

勿論、今も昔も好きな人は好きなのだろうけど、自分が子供の頃のような人気はないような気がして、
たまに道端から見かける遊園地の遊具は、多くが老朽化しているように見えて、なんだか怖いです(笑)。
しかも、よくよく園内を見ると、あんまり人がいないんですよねぇ。そういう意味で、本作の姿が古びているかも。
ただ、人が集まる時代性を考えると、発想としては面白く、映画全体のコンパクトな見せ方は古びていない。

莫大な予算をかけずとも、十分にアトラクティヴな映画に仕上げることができるという証明だと思います。

そういう意味で本作は、70年代に流行したパニック映画のブームとも、少しだけ一線を画す内容かとも思います。
莫大な予算をかけ、派手なシーン演出があるわけでもなく、群衆がパニックになるわけでもありません。
本作は当時とは3作目となる、“センサラウンド方式”という音響システムで上映された作品だったのですが、
正直、その恩恵があった映画であったかと言われると、それは正直...微妙な内容だったかもしれませんね(苦笑)。

何故、FBIが主体的に捜査していて、地元の警察は全く捜査で表に出てこないのか!とか、
あまり細かなツッコミを入れていると、正直、この映画を純粋な気持ちでは楽しめないでしょう。

しかし、ティモシー・ボトムズ演じる爆弾仕掛け犯の存在が妙に興味深い。
何がホントの狙いかもよく分からないものの、精度の高い爆弾を製造できて、それを仕掛ける行動力があるから厄介だ。
彼が何故このようなテロという手段にでたのか、映画の中ではほぼ描かれないところが逆に奇妙でもある。
ある意味では現代的なテロ犯という感じでもあり、当時の若者の空気感をよく反映させていたと思う。

しかも規格安全省のハリーを、自分の犯罪に見合う男であることを確かめるために、
次第にハリーに対して、精神的に“上から目線”で話しをするようになるようになるあたりが、なんだか憎い(笑)。

でも、こういう悪役を観ていると、例えば『ダーティハリー』の”サソリ座の男”のようなサイコパス的な
側面は見えないものの、若者が何かをキッカケに犯罪に手を染める社会のダーク・サイドを感じますね。
おそらくこの時代に、徐々にこの手の題材を映画化した作品が増えていったように感じます。

劇中、何故かスパークス≠フライヴ・シーンがあるのですが、
自由奔放そのものなパフォーマンスがチラッとだけ映ります。でも、これで本人たちは満足したのだろうか?(笑)
集中して彼らのパフォーマンスを映すわけでもなく、彼らを観たいがために本作を観るのはやめた方がいいですね。

彼らは、後に映画製作に興味を持って活動していたようですが、
ひょっとしたら本作への出演も、キッス≠ェ断わったという幸運もあったようですが、
この時点で映画に対する興味があったからこそ、このようなチョイ役でも引き受けたのかもしれませんね。

何はともあれ、これはこれで70年代だったから、成立しえた作品という雰囲気全開だ。

(上映時間118分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ジェームズ・ゴールドストーン
製作 ジェニングス・ラング
原案 サンフォード・シェルドン
   リチャード・レビンソン
   ウィリアム・リンク
脚本 リチャード・レビンソン
   ウィリアム・リンク
撮影 デビッド・M・ウォルシュ
編集 エドワード・A・ビエリー
   リチャード・スプラーグ
音楽 ラロ・シフリン
出演 ジョージ・シーガル
   リチャード・ウィドマーク
   ヘンリー・フォンダ
   ティモシー・ボトムズ
   ハリー・ガーディノ
   スーザン・ストラスバーグ
   ヘレン・ハント
   ドロシー・トリスタン