運命の逆転(1990年アメリカ)

Reversal Of Fortune

これはもう...実に上質なミステリーですね。

大富豪クラウス・フォン・ビューローが昏睡状態に陥った妻の殺人未遂の容疑で告発され、
マスコミから“疑惑の人”として散々報道され、圧倒的不利に立ったクラウスから弁護を依頼され、
引き受けることになった大学教授である弁護士アラン・ダーショウィッツの苦悩を描いたサスペンス・ドラマ。

監督は92年の『ルームメイト』を撮ったバーベット・シュローダーですが、
彼はキャリアが長いディレクターなのに、日本ではほとんど知名度が上がらないけど、たまに良い映画を撮っている。

クラウスもダーショウィッツも実在の人物で、本作が製作された当時はクラウスも妻サニーは存命でしたが、
2023年現在、2人とも他界している。これが実話をモデルにした映画化であること自体、僕は驚きでしたが、
本作は実に賢い映画で、白黒ハッキリとつけたがる欧米の気質とは正反対に、徹底してグレー・ゾーンを攻めてくる。
日本人的なところもあるのですが、“やっている”のか“やっていない”のか、表裏一体の面白さを追求している。

どちらかハッキリしない、半ば業を煮やしがちなところを逆手にとったように
それを映画の醍醐味に変えてしまったバーベット・シュローダーのミステリーの手法はお見事ですが、
本作の場合は何と言っても、神業のような芝居でオスカーを獲得した主演のジェレミー・アイアンズでしょう。

脚色していることが前提の映画であるとは言え、実在の人物であるクラウス・フォン・ビューローを
演じる上で、彼にかけられた嫌疑を表現することは容易いことではなかったはずで、実に難しい仕事だったでしょう。

火花がバチバチ散る演技合戦というわけでもないのですが、
この限りなく怪しいクラウスの絶妙なまでの存在感、その表情一つ一つが映画のアクセントとなっていて、
どこからどう見ても妻サニーに、何らかの意図を持って大量のインスリンを投与したようにしか思えないが、
それでも巧妙にその嫌疑をかわして行って、次第に真相は別にあるのではないかと観客に考えさせる。

本作のジェレミー・アイアンズは決してオーヴァー・アクトだとは僕は思わないが、
それでも彼の芝居が実質的な主導役となって映画が進み、彼の白黒ハッキリさせない態度と振る舞いが、
観客に色々なことを考えさせる。こんなに神業みたいな頭の良い演技というのは、そうそう出来るものではない。

どこか投げやりな印象を受ける瞬間もあるのですが、それは決して“ボロ”を出すということではなく、
ダーショウィッツとの交流の中では、時折、人間的なリアクションを見せる瞬間があり、これが観る者を惑わせる。
「疑わしきは罰せず」ということをストレートに表現したような映画であり、映画は徹底してこの路線でアプローチする。

終始、寝たきりで意識も朦朧としているような状態を演じた、妻サニー役のグレン・クローズも素晴らしく、
彼女の淡々として無感情的なナレーションが、この映画をどこか寒々とした空気が支配するのをアシストしている。

まるでミステリー小説を読んでいるような気にさせられる作品ですが、
決してストーリーの魅力というだけではなく、作り手が一貫して固執する“曖昧な美学”とでも言うべき、
真実に近づきつつも、ハッキリと描かないことを映画の魅力に転換してしまい、映画の輪郭をしっかり作り込んでいる。
この辺を観る限り、本作のバーベット・シュローダーの仕事ぶりはホントに素晴らしく、もっと評価されるべきでしたね。

一方で、“やっている”のか“やっていない”のかがよく分からないクラウスを弁護することになる
アラン・ダーショウィッツを演じたロン・シルバーは、残念ながら2009年に62歳の若さで他界してしまいましたが、
悪役での映画出演が多いとは言え、本作では難しい仕事に対して作戦を練りながら取り組む、熱い弁護士を好演。

映画で描かれる限りでは、クラウスからの依頼を引き受けた理由って、
自身の好奇心を満たすために近くって、誰も引き受けないような圧倒的不利な状況に置かれた、
殺人未遂犯の弁護という難易度の高い仕事だったからこそ引き受けた、みたいな感じで描かれているので、
正直、クラウスの無実を確信して引き受けた仕事ではなかったと思うのですが、調査の過程で少しずつ心変わりする。

ダーショウィッツはハーバード大学のロースクールの有名教授という立場であるがゆえ、
自分の教え子たちを弁護の調査チームとして、自分の家に住み込みさせて、クラウスの事件を調べさせます。

この大胆な仕事の仕方自体、今観ると衝撃的ですらあるのですが、
要するにこれくらいの意気込みで取り組まなければダメなくらい圧倒的不利な状況にあることは否定できず、
実は当初、教え子の調査チームのメンバーの中にはクラウスに疑いの目を向けていた教え子もいました。

そういう意味では、映画の前半にクラウスとダーショウィッツ含む調査チームで
中華料理のレストランでテーブルを囲むシーンが印象的で、次々とクラウスに質問が飛び交っている。
このシーンから既にクラウスと、調査チームのメンバーとの駆け引きは始まっていて、普通に考えれ自分に不利に
なることはインタビューで答えないことはセオリーではあるので、クラウスがどこまで真実を語っているのか不透明だ。

でも、クドいようですが...本作はこの不透明さを楽しむような映画であって、
この塩梅がとっても上手いのです。下手をすると、映画を破綻させてしまいかねないギリギリのところを突くのも良い。

妻サニーが2回の昏睡に陥るまでのプロセスは、フラッシュ・バック形式で何度も描かれる。
このフラッシュ・バックも巧妙に描かれており、サニーのナレーションで第三者的な視点で描かれるシーンでは、
ジェレミー・アイアンズ演じるクラウスは、例によって“やっている”のか“やっていない”のか釈然としない雰囲気で
所々、「やっぱコイツはアヤしいわ...」と観客に思わせるだけ、チョットした隙を見せる芝居をしている。

ところが、クラウスの証言を中心に構成するシーンでは、全くそういった隙を見せない。
半ば『羅生門』のようなアプローチですが、本作はどちらが真実かという点に焦点を当てているというよりも、
如何に一つ一つ弁証を解きほぐしながら、真実に迫りながらも、クラウスがはぐらかすという絶妙な関係性を
メインに描いているようで、やっぱり本作はグレー・ゾーンをひたすら楽しむべき映画なのだと、僕は思っています。

ちなみに脚本を書いたニコラス・カザンは、名匠エリア・カザンの息子で長く脚本家として活動している。
一時期は売れっ子脚本家として何本も書いていましたが、最近はすっかり名前を聞かなくなりましたねぇ。

アラン・ダーショウィッツの原作を、関係者も存命の状態で映画化したわけですから、
脚本の執筆も難儀だったでしょう。そこからイメージを膨らませて、ジェレミー・アイアンズが具現化させたわけです。
そういう意味で、この脚本も評価されるべきものだったのでしょう。題材のセンセーショナルさだけではなかったはず。

この映画、法廷でのシーンがほとんどないという変わった映画だ。
作り手が敢えてそうしなかったのか、原作に忠実に描いた結果なのか定かではありませんが、
アラン・ダーショウィッツの視点から描いたストーリーとしては、これで正解だったのかもしれませんね。
映画の後半は急速に物語が進んでいき、裁判の詳細に触れることなく、評決がアッサリと下ってしまいます。
これは事実に基づいた映画化ですので、裁判の経過や結果はあまり重要ではないのかもしれませんが、
僕が率直に感じたのは、アラン・ダーショウィッツはクラウスのことを曇りなき無実とは思っていないのだろうということだ。

右往左往している映画に感じるかもしれませんが、やはりクラウスは“やっている”のか“やっていない”のか、
真相は藪の中というわけです。言葉は悪いが、アランはあくまで「疑わしきは罰せず」の原則を守っただけ。
そのせいか、アランが無実を確信した若者の死刑を止める熱量と、クラウスの弁護に向ける熱量は違いますよね。
アランは熱い弁護士だとは思いますが、クラウスの弁護に向ける熱量は最強のものだったとは言えないでしょう。

映画のラストシーンは何とも印象的な素晴らしい終わり方をしている。
“疑惑の人”として脚光を浴びた(?)クラウスだからこそ出来る強烈なジョークで、相手(店員)の顔が忘れられない。

(上映時間112分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 バーベット・シュローダー
製作 エドワード・R・プレスマン
   オリバー・ストーン
原作 アラン・ダーショウィッツ
脚本 ニコラス・カザン
撮影 ルチアーノ・トヴォリ
音楽 マーク・アイシャム
出演 グレン・クローズ
   ジェレミー・アイアンズ
   ロン・シルバー
   アナベラ・シオラ
   ユタ・ヘーゲン
   フィッシャー・スティーブンス
   ジャック・ギルピン

1990年度アカデミー主演男優賞(ジェレミー・アイアンズ) 受賞
1990年度アカデミー監督賞(バーベット・シュローダー) ノミネート
1990年度アカデミー脚色賞(ニコラス・カザン) ノミネート
1990年度全米映画批評家協会賞主演男優賞(ジェレミー・アイアンズ) 受賞
1990年度ロサンゼルス映画批評家協会賞主演男優賞(ジェレミー・アイアンズ) 受賞
1990年度ロサンゼルス映画批評家協会賞脚本賞(ニコラス・カザン) 受賞
1990年度ゴールデン・グローブ賞主演男優賞<ドラマ部門>(ジェレミー・アイアンズ) 受賞