ピンク・パンサー4(1978年アメリカ)

Revenge Of The Pink Panther

ピーター・セラーズが誇る人気シリーズとなったクルーゾー警部の迷走を描いたコメディの実質的な第5作。

ピーター・セラーズは残念ながら1980年に他界してしまったので、本作が生前のピーター・セラーズが
クルーゾー警部を演じたシリーズの最終章となってしまいましたが、実はシリーズは少しだけ続けられました。
前作でクルーゾー警部によって、病院送りとなってしまったクルーゾーの上司であるドレフュスによる復讐劇が
映画の大半を占めるようになり、泥棒を追って行くクルーゾーの珍道中というコンセプトが変わってしまいました。

それゆえ、第3作からはかなりドタバタしたコメディにエスカレーションした作品になりましたが、
映画の方向性としては本作も同様。しかも開き直って、泥棒は出てこないし、ドレフュスの暴走がメインになり
クルーゾーの得意芸でもある変装ネタで引っ張りまくる。この辺はシリーズの限界の裏返しでもあったのかもしれません。

その変装も香港に行ってからが、よりエスカレートするのですが、いくらクルーゾーが生きていることを
悟られないようにするとは言え、クルーゾー自身が大道芸人のような変装するのは意味が分からないし、
一緒に香港まで付いて行くケイトーも変装するのも意味不明。牛乳ビンのようなメガネのギャグも、悪目立ちするし。

第1作の『ピンクの豹』が気に入ってシリーズのファンになった人からすれば、賛否は分かれるかもしれません。
と言うのも、かなり映画のコンセプトが変わっていて、『ピンクの豹』とは全くの別物の映画になっているからです。

個人的にはさすがにドレフュスの復讐を引っ張り続けるのは、無理があったと思うんですよねぇ。
そもそも前作の時点でドレフュスは完全に暴走しまくって、世界を敵に回すキャラクターになっていただけに
ドレフュスが再び完治したからと言って退院してくるという前提なのは、さすがにシリーズとしてはムチャクチャ過ぎる。
しかも、全くと言っていいほど第3作と同じような出だしになっているので、悪い意味で既視感のある設定なんですね。

そうなると、クルーゾーも荒唐無稽な設定を貫かざるを得なくなり、使用人のケイトーとの謎の格闘やら
目の前で起こった爆発に巻き込まれても、不気味なほどに必ず生き残っているなど、ほぼほぼコントと化してる。
ある意味でノリとしてはモンティ・パイソン≠フスケッチと同じようなノリであって、オリジナリティは希薄な気がする。

まぁ、ピーター・セラーズのドタバタ・ギャグを実に根気よく見せ続けるので、こっちも根負けして笑ってしまう部分も
あるにはあるのだけれども、この手口もブレーク・エドワーズが『ピンクの豹』からずっと使い続けていますからね。
さすがに4作も続くシリーズなわけですから、どこかで新鮮味は欲しいところ。ピーター・セラーズの死で同じスタイルで
シリーズを続行させることは困難になったのですが、僕には少なくとも本作はかなりシリーズの限界を示していたと思う。

それから、ダイアン・キャノン演じる女性秘書があまりに目立たないのが残念ですね。
前作のレスリー=アン・ダウン演じる刺客のように登場時間が短くとも、強いインパクトを残したような存在感なく、
ダイアン・キャノン演じる女性秘書は出番はそれなりにあったのですが、作り手も彼女を磨く気がないように見える。

映画は麻薬の密売を行っている、表向きは健全な大企業であるドゥービエの社長が
ニューヨークのマフィアから取引中止を宣告され、その決断を撤回させるために何かフランスで大きなことをやろうと、
自身の影響力を誇示するため、フランスでは有名人である大統領から叙勲されるクルーゾーを殺害しようとする。

自分の部下たちにクルーゾー殺害を命じるドゥービエでしたが、クルーゾーが出入りする変装ショップを
急襲してもクルーゾーは生き残り、そう簡単に上手くいかないものの、夜の公園で罠を仕掛け、まんまと罠にハマった
クルーゾーは死んだように思えました。ところが実はクルーゾーは生きていて、自分の命を狙うドゥビーエらを調べ、
ドゥービエの愛人である女性秘書を味方につけて、香港へ乗り込み、地元の警察をも巻き込んだ大騒動に発展します。

映画のクライマックスの香港の港湾地区でのアクションは、カー・チェイスも交えて第1作を思い出させる。
完全に“007シリーズ”に触発されてコピーしていた第3作と比べれば良かったが、それでも盛り上がらないのが残念。

これはブレーク・エドワーズのメリハリの利かない演出のせいではあるのですが、
悪党であるはずのドゥービエもあまり絡んでこないし、心臓の悪かったピーター・セラーズも激しいアクションはできず、
制約も大きかったとは思うのですが、そもそもが見せ方や描く内容をもっと工夫しなければならなかったと思います。
(この辺はあくまで本作のストーリー原案はブレーク・エドワーズの責任は小さくないですね・・・)

そこにドレフュスが前作と同じような展開で絡んできちゃうものだから、悪い流れに輪をかけてしまった気がする。

まぁ、おそらくブレーク・エドワーズに言わせたら前作までの作品とは関連性のない続編なのだろうと思う。
あくまで純然たる『ピンクの豹』の続編は64年の『暗闇でドッキリ』でしかなく、それ以降の『ピンク・パンサー2』からは
あくまでクルーゾーとドレフュスという2人の刑事のキャラクターのアイデアを流用した、単発的な作品なのかもしれない。
それゆえ、同じようなギャグの連続でどこか既視感のある作品を、立て続けに作ったということなのかもしれません。
そういう意味では、ブレーク・エドワーズのしつこいくらいギャグを繰り出す手口を、理解できなきゃ楽しめませんね。

本作はどうやら『ゴッドファーザー』などのパロディらしいのですが、マフィアの内幕をモチーフにしたわけではなく、
あくまでマフィアが絡む犯罪の輪郭をなぞっただけという感じなので、なんとも中途半端なパロディに映ってしまう。

そもそもマフィアが麻薬犯罪に加担するというのは、『ゴッドファーザー』ではマフィアの古株連中には
嫌われていた犯罪だったし、仮にドゥービエが弱体化したのをマフィアに見限られてしまったことを挽回するにしても、
やっぱりいきなり見ず知らずのクルーゾーを、有名人であるからという理由一つで殺害してしまおうという前提が、
どうにも唐突過ぎて変なのですが、これもいい加減なシリーズということに免じて許容しなきゃならないのかも。

ですので、やっぱりこのシリーズ自体がそうだったのですが・・・
この時代だったからこそ成立し得たコメディ・シリーズだったのかもしれません。作り手も必死に観客の笑いを
取ろうとしている意図はよく分かるし、ピーター・セラーズもそれに協力しているのですが、どうにも映画としてはツラい。

やっぱり、同じドタバタ・ギャグの連続であったとしても、何か観客を凌駕するインパクトが欲しいのです。
それを映画としての新鮮味に求めるでもいいと思うのですが、完全にシリーズ自体がマンネリ化していると感じる。
それはブレーク・エドワーズが懲りずに、ずっと同じアプローチでやり続けたことで、さすがに消費してしまったのだ。

これはこれでブレーク・エドワーズの良さでもあったのだろうけど、シリーズとして継続するには
何か新たな魅力を掘り起こす動きはあっても良かったかな。皮肉にもピーター・セラーズの急死がシリーズを
止めるキッカケとなったわけですが、それでもピーター・セラーズの死後に続編を撮影するがめつさがあったので、
ブレーク・エドワーズもこのクルーゾー警部のシリーズにとても愛着があって、ライフワークにしたかったのでしょうね。

強いて言えば、クルーゾーの葬儀でドレフュスが何故か弔辞を読むことになり、
クルーゾーの棺を埋めようとする現場で弔辞を読んでいたところ、目の前にクルーゾーが現れて手を振ったために
あまりの混乱のためドレフュスが卒倒して、自分が棺を入れるスペースに落ちてしまうというギャグは面白かった。

本作のような惰性で作られたように感じられる続編があるというのは、
それだけピーター・セラーズの人徳であったり、キャラクターの濃さが大きかった証拠でもあると思います。

やはり当時のスタッフの間にも『ピンクの豹』で作り上げたクルーゾーというキャラクターと、
冒頭のヘンリー・マンシーニのオーケストラが奏でるテーマ曲に載せて、ゴキゲンに展開するアニメーションなど
通常の映画では得難いものがあるという手応えは強かったのではないかと思います。それがモチベーションです。

決して胡坐をかいていたわけではないのでしょうが、この自信が必要な工夫を阻害した要因でもあるのかもしれない。
「スタイルが変わらない良さ」ということもあるとは思うが、そうなのであれば、やっぱりクルーゾーと“ピンク・パンサー”の
駆け引きを中心に映画を撮ることに固執して欲しかったし、暴走するドレフュスも面白いキャラクターではあったものの、
“ピンク・パンサー”の代わりとなる存在ではなかったと思うのです。この前提が変わったことで、シリーズも変わった。

そういう意味でも、やはり本作はこのシリーズの限界を象徴した作品であり、
カー・チェイスを伴う香港ロケで華々しく手仕舞いになったというのは、仕方ないことだったと僕は思います。

ところで、ケイトーって最初は日本人の設定だったと勝手に思っていたのですが、
どうやら本作を観ると、中国人という設定だったようですね。これは『ピンク・パンサー2』から変わったようです。

(上映時間98分)

私の採点★★★★☆☆☆☆☆☆〜4点

監督 ブレーク・エドワーズ
製作 ブレーク・エドワーズ
原案 ブレーク・エドワーズ
脚本 フランク・ウォルドマン
   ロン・クラーク
   ブレーク・エドワーズ
撮影 アーニー・デイ
音楽 ヘンリー・マンシーニ
出演 ピーター・セラーズ
   ハーバート・ロム
   バート・クウォーク
   ダイアン・キャノン
   ロバート・ウェッバー
   トニー・ベックリー
   ロバート・ロジア