心の旅(1991年アメリカ)

Regarding Henry

ニューヨークで敏腕弁護士と知られるヘンリーは、冷徹な側面があり仕事ぶりは鮮やかだが、
クライアントを勝たせるためであれば非道な振る舞いに徹する男で、家庭も顧みない男だった。

とある日、タバコを買いに行った雑貨店でたまたま強盗と鉢合わせしたヘンリーが、
銃撃事件の被害者となり、瀕死の重傷を負うものの奇跡的に一命を取りとめるところから、映画が始まります。

監督は名匠マイク・ニコルズですが、たぶん88年の『ワーキング・ガール』が縁で
本作の主演にもハリソン・フォードをキャスティングできたのでしょうが、本作の出来には感心しませんでした。
嫌な奴だった男が強盗に襲われ、それまで見向きもしていなかった弱者の立場になって始めて、
それまでの自分を見つめ直すという、極めて単純ながらも不変的なテーマは良いのだけれども、
弁護士資格を失うことを覚悟でクライアントを裏切るような行為にでたり、少々、偽善的に映ってしまうのは残念。

そもそもヘンリーのことを快く思っていなかった裁判で訴えを起こした人々が、
突然訪れたヘンリーと一言・二言かわした程度で、「アンタは変わったみたいだねぇ」と納得してしまうなんて、
どこかウソっぽいというか、映画が安っぽく見えてしまう。ここはもっと入念に描いて、重厚さを演出して欲しい。

が、このマイク・ニコルズ、映画にそういう重厚さを演出することは出来ないタイプなので、
こういうどこか軽い仕上がりになってしまうのは仕方ないのかもしれませんが、こういうドラマ系の映画を撮るには
あまり向いていないというか、悪い意味で映画が軽々しく見えてしまい、最終的に訴求しない映画になってしまいますね。

ハリソン・フォードはこういうシリアスな映画も上手い役者さんですが、
ずっとオドオドしているだけで、いつもアクション映画の調子とは全く違っていて、これはこれで賛否両論でしょう。

自分の娘にもどこか冷淡な態度をとっていた父親ですから、家庭でも決して上手くはいっていません。
夫婦生活も破綻しかけていて、ニューヨークの高級マンションに暮らし、次から次へと家具を新しくして、
挙句の果てに弁護士事務所で女性弁護士と不倫していてと、ヘンルーはとにかくどうしようもない男でした。

そこから強盗事件の被害者になることで、なんとか命をつないでもらって、
長くツラいリハビリ生活を経て、自宅に戻ってくるわけですから、そこから彼の人間性を取り戻す道のりが始まります。
どことなく常識的ではないなぁと感じるのは、ヘンリーが勤めていた弁護士事務所が正しくそうで、
事務所の代表の後継者と目されるぐらい有能と評価されていたわけですから、事件の被害者となったことは
事務所にとっても大きな痛手であったことは事実だったでしょうが、瀕死の重傷を負って記憶を失ったヘンリーに
以前と同じような働きぶりを期待しようとして、それが出来ないと分かったらガッカリとか、それはありえないでしょう。

その非常識さというのを、この映画は敢えて描いたのかもしれませんが、
別に弁護士事務所の異常な点をあぶり出すことがテーマの映画ではなく、あくまでヘンリーの再生なのでしょうから、
ここまでヘンリーが所属する弁護士事務所をステレオタイプに、悪く描く必要があったのかは疑問が残ります。

もう一つ言うなら、この映画はラストのあり方もどこか違和感がある。
家族の時間を取り戻すための選択肢として、否定されるものではないでしょうが、
とは言え、彼らの行動はあまりに突拍子も無く、もっと違うやり方があるだろうとツッコミを入れたくあるほどの違和感。
アドリブなのかもしれませんが、せっかく犬が良い演技をしているというのに、この違和感は全てをブチ壊してくれる。

まぁ・・・別に娘を寄宿学校に預けること自体が悪なわけではないでしょうし、
演出のためとは言え、学校の行事の最中に乗り込んで行って、まるで“救助”するかの如く演出して、
家族揃ってめでたし、めでたしみたいな構図には強烈な違和感があった。これって、スゴく大切なシーンですからね。

所々で、良いシーンがないわけでもない。だからこそ、この映画は言葉は悪いけど、
主題から外れた細かなところでアプローチを間違えてしまうことがあって、つまらないことで損をしている印象だ。

マイク・ニコルズの監督作品はどこか仰々しい部分を抱えていたりするのですが、
その辺はごく自然に上手く構成できている。舞台劇っぽさも無く、良い意味でこの時代のトレンディーな雰囲気。
ニューヨークの空気感もとてもよく活写されており、自宅に帰ってきたヘンリーが本能的に街をブラつき、
ホットドックを食べたりと、久しぶりの街の空気を吸って、何かを取り戻そうともがく姿を実に克明に描けている。
こういうことをサクッと出来てしまうあたりは、マイク・ニコルズの監督作がヒットする理由なのかもしれませんね。

前述したように、ハリソン・フォードの従来のイメージを覆す芝居は賛否あるでしょうが、
ヘンリーの妻を演じたアネット・ベニングは悪くないですし、リハビリ病院の黒人看護師を演じたビル・ナンも印象的だ。
勝手に料理に大量のタバスコをかけて給仕するのはアレですが、ああいう看護師がいると感情を取り戻せるでしょう。

ヘンリーが負った傷は、具体的に映画の中で深く語られてはいませんし、
映画の主題とも異なりますのでクローズアップはしませんが、大変な重傷で社会復帰が難しいことは明らかだろう。

こういった事件の被害者の方々が、社会復帰することの難しさというのは、もっと注目されるべきでしょう。
日本ではこういった凶悪犯罪自体が少ないとはされていますが、一たび被害者となると肉体的・精神的苦痛に
悩まされ、障害が残ると通常の社会生活が困難に陥る事例も少なくありません。社会が全ての受け皿を用意することは
難しいでしょうが、そういったことの困難さを理解し、出来る限りのバックアップ体制を作ることは大切なことでしょう。

実際、この映画のヘンリーは身体的な障害は残らなかったようですが、
記憶障害に悩まされ、それがキッカケで家族を再生させることにはなるのですが、弁護士稼業は捨てるわけです。
「過去の自分を知れば知るほど、自分のことが嫌になる」という台詞が印象的ですが、まるで別人になったわけです。
おそらくは記憶・学習面での障害が残ることで、弁護士で約束されていた収入ではなくなるのでしょう。

映画で描かれるヘンリーの妻はそれで良いという選択をするとは思いますが、
社会全体で俯瞰して考えたときに、ホントにそれで良いのか・・・と悩ましい部分も、僕の中にはありますね。
だって、いつ自分がヘンリーの立場になるかは分からないわけで、そのために保険があるのかもしれませんがね。。。

僕はこの映画、もっと掘り下げようと思えば、社会性の高いテーマを内包しているように思います。
マイク・ニコルズはあくまでヒューマン・ドラマに徹してはいるので、僕の感じたことは本作の主題ではないのだけども。

ヘンリーの過去の清算など、もっと深く掘り下げようと思えば出来たエピソードが多くあったと思います。
担当していた事件の弁護士事務所ぐるみの不正行為やら、同僚女性との不倫やら、過去の過ちや黙認していたことが
こうも簡単に清算できるというのは、現実的にありえないことでしょうから、もっとしっかり描いた方が良かったですね。
おそらく家族の再生に注力したいがために、作り手は面倒なエピソードを掘り下げることを避けたのでしょうね。

ちなみに脚本のジェフリー・エイブラムスは、今や売れっ子映画監督となったJ・J・エイブラムスで、
まだデビュー仕立ての頃で、20代のときに本作の脚本を執筆したのですね。こういうドラマを題材にしていたとは・・・。

シンプルな構成でヒネリも、サプライズも無いストーリーではありますが、
脚本の出来自体はそう悪いものではないのでしょう。ただもう少し、面倒だなぁというエピソードにも肉薄して、
ヘンリーが過去の代償を払いながらも、前向きに人生を向き直す姿をより力強く描いて欲しかったですね。
これは脚本の問題というより、マイク・ニコルズの描き方の問題も大きかったのかなぁと思いますね。

それから、映画の冒頭でヘンリーを撃つ強盗を演じたのが下積み時代のジョン・レグイザモ。
既に『カジュアリティーズ』などでそれなりの役を任されていましたが、本作はまだチョイ役扱いでした。

(上映時間107分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 マイク・ニコルズ
製作 スコット・ルーディン
   マイク・ニコルズ
脚本 ジェフリー・エイブラムス
撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽 ハンス・ジマー
出演 ハリソン・フォード
   アネット・ベニング
   ビル・ナン
   ミッキー・アレン
   ドナルド・モファット
   ナンシー・マーチャンド
   レベッカ・ミラー
   ジェームズ・レブホーン
   ジョン・レグイザモ