レッズ(1981年アメリカ)

Reds

何故、熱烈な民主党支持者であるウォーレン・ビーティが、
ロシア革命をルポした、ジョン・リードという生粋の共産党員の伝記映画を撮ったのか・・・?

おそらく政治的な理念はまったく異なるとは思うのですが、
自分の政治信念を貫き通すために主義主張を展開する姿にウォーテン・ビーティは、
ある種のロマンをジョン・リードという人物に感じていたのかもしれませんが、
それにしてもリベラルなセレブリティとして知られるウォーレン・ビーティが何故に
ここまで本作を意欲的かつ情熱的に、映画を仕上げるに至ったのか、その理由はよく分からなかった。

映画の出来としては、こういう言い方は申し訳ないけど...まぁ、及第点レヴェルかなぁ。
3時間に及ぶ長編で、これは大変な力作だから、評価をされたということ自体は理解できるんだけど、
思ったほど内容的には訴求しないというか、どこか映画としてのパンチが足りない部分があるのも事実。

この辺がウォーレン・ビーティが真に力の入ったわけではないことの証明の裏返しなのかもしれません。

ウォーレン・ビーティの人脈が為せるワザだったのかもしれませんが、
ジャック・ニコルソンにジーン・ハックマンをこれだけの脇役として使って、自分はアッサリと主人公を
ヒロイックに演じ切ってしまうのだから、やっぱりウォーレン・ビーティの“割り切り”は凄いとしか言いようがない。

ヒロインを演じたダイアン・キートンは勿論のこと、
主人公の友人の劇作家ユージンを演じたジャック・ニコルソンにしても、記者仲間を演じたジーン・ハックマンにしても、
当時のウォーレン・ビーティの人脈がなせるワザで、同じ映画で彼らが集結するなんてことは本作ぐらいでしょう。

それだけ、当時のウォーレン・ビーテイの熱意に皆が賛同していたことの表れだと思いますが、
やはり個人的には政治的信条の異なるウォーレン・ビーティが何故、ジョン・リードを描いたのかに興味がありますね。

映画を観る限りでは、政治に身を投じる姿を描きたいという気持ちが強いのかとも思うのですが、
必ずしもジョン・リードを過剰に賛美するインタビューばかりで構成したわけではないあたりを見るに、
ウォーレン・ビーティのリベラルな性格が、微妙に見え隠れするところもプロパガンダ性を感じてしまう。
やっぱり...映画に政治的思想を反映させて、プロパガンダの道具のように使うのは好きになれないなぁ。

で、僕はこの映画を観て、一つ感じたことがあるのですが、
まず映画の冒頭で語られるジョン・リードという人物像が、生前の彼を知る人々のインタビューによって、
形作られ、実際にウォーレン・ビーティ自身が演じるドラマで実像があぶり出されていくのですが、
一人一人の証言が必ずしも一致した内容ではないという点で、ここにある種のシニカルさを感じます。

一人の女性の証言で、ダイアン・キートン演じるヒロインが熱狂的な共産主義者で、
彼女に触発されるようにジョンが共産主義に傾倒していったかのような証言があるのですが、
映画の中では、これはまるで見当外れな証言であるかのように、むしろヒロインがジョンの熱意に巻き込まれ、
身を滅ぼしてでも、政治活動に身を投じていくジョンを止められずにいる姿を描いているように見えます。

それでも、彼女はそんな情熱的に生きるジョンの姿にむしろ惹かれていたのでしょうね。

優秀な政治記者であり、論客であったはずのジョンはやがて政治活動に身を投じるようになり、
ロシア革命を目の当たりにして、アメリカ社会でも革命を起こそうと、当時、支持していた社会党に
変革を求めますが、党運営が混迷を極め、結果としてジョンの意とは異なる方向へ進むことを悟るや否や、
すぐに主流派として革命を先導する論客として台頭しますが、政府からは煽動行為としてマークされてしまいます。

ここで思うのは、ここまでいくとジョンは市民生活を良くするために、
あくまで手段として革命を求めていたはずが、もはや革命を起こすこと自体が目的化していたかのようだということ。

ダイアン・キートン演じる妻も言っていましたが、
本来、優秀な記者であったはずのジョンが政治活動に身を投じ、元々、自身の興味として取材していた、
共産主義を掲げる社会党の活動に身を投じ、政治的信条を果たすかの如く、命がけの行動をとりますが、
「あなたは優秀な記者なはず!」と目を覚ませと言わんばかりの忠告をしますが、全く耳を貸しません。
こういった姿に強烈なまでに、世の中を動かすことへの執念を感じますが、完全に革命が目的化しています。

これはウォーレン・ビーティも強く意識していたかのようで、
ジョンのそういった、やや方向を見失いかけた活動、そして妻の待ち続ける愛情を対照的に描いています。
これは実に壮大なラブストーリーと言っても過言ではない内容ですが、この動乱下で描かれる物語としては、
正直言って、あまりにキレイ過ぎるというか、悪い意味でどこか現実離れし過ぎた部分も多いように感じます。

僕には確かにジョン・リードという歴史上の人物の実像は分かりません。
ただ同時に、僕にはこの映画を撮るにあたってウォーレン・ビーティがどこまでジョン・リードという
人物像に肉薄できたのかという観点からすると、そもそもまともに肉薄する気があったのか疑問に思えるところがある。

もし、正攻法で描かれた映画とすれば、
もっとジョンの生きざまにクローズアップしただろうし、妻との恋愛も中途半端に燃え上がって、
なんとなく結婚して、なんだかよく分からないけど、ケンカしながらも最後は妻が彼を待ち、
そして彼の窮地を知るや否や、単身で危険なロシアまで入国するなんてドラマを、一つ一つの動機が
曖昧なままサラッと描いていくなんてことは、感覚的にも「チョットありえないなぁ〜」と思えてなりません。

さすがに3時間を越える大長編の作品です。ウォーレン・ビーティも力が入ったことでしょう。
でも、正直言って...僕はこれはキチンと編集すれば、もっと削れてスリムにできた映画だと思います。

そして個人的にはこの映画のクライマックスには、もっと力を入れて欲しかった。
このラストではただのメロドラマに陥ってしまっているのですが、メロドラマの割りには逆にアッサリし過ぎている。
この辺のバランスがしっかりと取れたラストになっていれば、映画はもっと変わっていたでしょうし、
やはりこういう、どこかどっちつかずな映画の終わり方を観ると、映画のラストの重要性を再認識させられますね。

ウォーレン・ビーティの意図があったラストだとは思うのですが、
せっかく3時間かけてジョン・リードという激動の人生を駆け抜けた“革命家”に肉薄しようとしたからこそ、
どこか中途半端な印象を残してしまったことで、残念ながら映画は及第点レヴェルを抜けませんでしたね。

(上映時間196分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 ウォーレン・ビーティ
製作 ウォーレン・ビーティ
脚本 ウォーレン・ビーティ
   トレバー・グリフィス
撮影 ビットリオ・ストラーロ
編集 クレイグ・マッケイ
   デデ・アレン
音楽 スティーブン・ソンドハイム
   デイブ・グルージン
出演 ウォーレン・ビーティ
   ダイアン・キートン
   ジャック・ニコルソン
   エドワード・ハーマン
   イエジー・コジンスキー
   ポール・ソルビーノ
   モーリン・ステイプルトン
   ジーン・ハックマン
   ニコラス・コスター

1981年度アカデミー作品賞 ノミネート
1981年度アカデミー主演男優賞(ウォーレン・ビーティ) ノミネート
1981年度アカデミー主演女優賞(ダイアン・キートン) ノミネート
1981年度アカデミー助演男優賞(ジャック・ニコルソン) ノミネート
1981年度アカデミー助演女優賞(モーリン・ステイプルトン) 受賞
1981年度アカデミー監督賞(ウォーレン・ビーティ) 受賞
1981年度アカデミーオリジナル脚本賞(ウォーレン・ビーティ、トレバー・グリフィス) ノミネート
1981年度アカデミー撮影賞(ビットリオ・ストラーロ) 受賞
1981年度アカデミー美術監督・装置賞 ノミネート
1981年度アカデミー衣装デザイン賞 ノミネート
1981年度アカデミー音響賞 ノミネート
1981年度アカデミー編集賞(クレイグ・マッケイ、デデ・アレン) ノミネート
1982年度イギリス・アカデミー賞助演男優賞(ジャック・ニコルソン) 受賞
1982年度イギリス・アカデミー賞助演女優賞(モーリン・ステイプルトン) 受賞
1981年度全米映画批評家協会賞助演女優賞(モーリン・ステイプルトン) 受賞
1981年度ニューヨーク映画批評家協会賞作品賞 受賞
1981年度ロサンゼルス映画批評家協会賞助演女優賞(モーリン・ステイプルトン) 受賞
1981年度ロサンゼルス映画批評家協会賞監督賞(ウォーレン・ビーティ) 受賞
1981年度ロサンゼルス映画批評家協会賞撮影賞(ビットリオ・ストラーロ) 受賞
1981年度ゴールデン・グローブ賞監督賞(ウォーレン・ビーティ) 受賞