羅生門(1950年日本)

芥川 龍之介の『藪の中』の映画化。

若き日の黒澤 明の野心がほぼ全面に反映された作品ではありますが、
50年代に一つピークを迎える黒澤の監督作品としては、そこまでの出来ではないかなぁとは思う。
しかし、それでも思わず驚かされる映像表現があったりして、戦後間もない頃の日本映画界にあって、
当時の黒澤は間違いなく、パイオニアであったことは明らかで、本作は本作で斬新さがあります。

登場人物によって視点が異なって、証言内容が異なることの面白さを
映画の中に持ち込んだことはユニークな発想ですが、やはり着想の面白さとしては、
黒澤の発想というよりも、あくまで原作を執筆した芥川 龍之介のアイデアだと思いますね。

つまり、映画は原作のアイデアの面白さを越えたものまでは表現できていないと思うのです。

随所に黒澤 明らしい独創性を感じさせる展開にはなっている。
やはりこの頃の日本映画界のことを考えると、三船 敏郎のような豪傑なイメージを持たせる役者の存在は
貴重であっただろうし、何より黒澤が映画監督として最も才気溢れる時代であったのかもしれません。

さり気なく、一気に力技とも解釈できるカタルシスすら感じさせるクライマックスの在り方も突き抜けている。
そう考えると、やっぱり黒澤 明は映画監督として常に時代の先端を見ていたと感じさせられます。

ただ、正直言って、映画の活劇性という意味では物足りない。
免れることはできなかったかもしれませんが、やはり動きの少ない映画にしてしまうと大きなハンデですね。
おそらく当時の黒澤にとっては野心的な企画であっただろうけど、どこか物足りない。

映画は人間の本質を突いている。もっとも、芥川 龍之介の原作と同じではあるのですが、
人間の記憶からとれる“過去”の証言とは、それぞれに都合良く記憶されているため、
微妙に細部が異なることで、得られる内容が異なるというわけで、結局、真相が分からないというジレンマ。
これは正しく人間の本質とも言える部分で、実在論にも肉薄しうる実に哲学的な内容と言えます。

どうやら映画が完成した直後のラッシュ(試写)では、当時の出資会社であった大映は、
黒澤が持ち込んできた本作の内容があまりに難解で分かりにくいため、劇場公開に難色を示したらしい。
確かに戦後間もない頃の日本映画は、どちらかと言えば、映画というメディアが大衆娯楽であったことを鑑み、
チャンバラ映画などが主流であったことから、本作のような哲学的な内容は受け入れ難い部分はあったのかもしれない。

しかし、知的なエンターテイメントという意味では、一つのターニング・ポイントとなった作品なのかもしれません。
そういう意味で本作の撮影を英断した黒澤は、やはり偉大な存在となるのは必然なのかもしれません。

本作がヴェネツィア国際映画祭で高く評価され、グランプリ(金獅子賞)を獲得したことから、
当時から国際的に高く評価されていたのでしょうけど、戦後間もない頃の復興期にあった日本の情勢から考えると、
日本映画が国際的に高く評価されること自体、画期的なことであったでしょうし、異例の出来事だったことでしょう。

言ってしまえば、50年代に黒澤 明が映画監督としてピークを迎えたことは、
当時の日本映画界では数少ない、ハリウッドなど欧米での映像表現や映画に対する考え方を
いち早く採り入れていたことは間違いなく、そういった欧米のスタイルを吹き込んだことに理由があると思います。

本作では主演俳優、三船も鋭い視線を生かした芝居に徹している。
多少、ステレオタイプに見えようが、本作で描かれた三船のような粗野なキャラクターであれば、
やはり観客に「コイツは何かをやらかしてそうだ」と悟らせるだけのエネルギーを感じさせなければなりませんね。

“真相は藪の中”とはよく言ったもので、この言葉は本作の原作から生まれたものだ。
真相がよく分からない状況で推測しようのない状況になったら、こういう言葉を使うものですが、
真実とはミステリーで、人それぞれの主観で脚色された“真相”だからこそ、訳が分からなくなってしまう。

嘘か真実か分からないが、人それぞれの証言で真実が分からなくなるというミステリーの面白さ、
芥川の原作の醍醐味を実に効率良く凝縮して映像化したことに価値があるのでしょうね。

但し、僕は映画を最後まで観て感じたのですが、
クライマックスでの志村 喬と千秋 実のかけ合いで、チョットしたカタルシスを感じさせる最後に帰結するのですが、
ここはあまりに急転直下過ぎる気がして、どうしても違和感が拭えなかった。ここはもっと上手く描けなかったものか。
上映時間も凄く短い映画なせいか、このクライマックスでの急転直下な展開は、どうしても目立ってしまう。
いや、こういうラストだからこそ本作は価値を上げたと言っても過言ではないとは思うのですが、
どうにももっと時間をかけて描くべきで、羅生門で誰が真実を言っているのか分からないミステリーだったのに、
最後は全く違うエッセンスを入れるからこそ、このクライマックスはもっと丁寧に描いて欲しかったですね。

前述した通り、この時代の黒澤の監督作品としては物足りなさはありますが、
黒澤が志向していた方向性や、映画に対するアプローチという意味では十分に価値はあると思います。

芥川の『藪の中』の映画化ということもあって、評価が辛くなりがちな企画であったにも関わらず、
黒澤なりの解釈も大胆に採り入れており、映画としての独創性にも溢れている。
これは簡単そうに見えて、とっても難しいことで、当時の黒澤の才気がよく感じ取れるかと思います。

ただ、僕が思うに別に黒澤は“映画の神”ではない。
当時の挑戦意識の根底として、やはり黒澤は映画監督という職業人としてのプロフェッショナルに徹していたわけで、
彼は彼なりに本作の撮影で試行錯誤した痕跡はあるわけで、全てが正解だったとわけではないと思う。
そこが本作の物足りなさでもあり、『七人の侍』や『隠し砦の三悪人』への布石となった原動力でもあると思う。

ちなみに本作のフィルムの状態は凄く悪くなっていましたが、
08年にマスターテープのデジタルリマスタリングが行われ、見事、復元され綺麗な映像になりました。

こういう作業も、映画を後年への“遺産”として残すために、とても大事な作業なんですね。

(上映時間88分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 黒澤 明
製作 箕浦 甚吾
企画 本木 荘二郎
原作 芥川 龍之介
脚本 黒澤 明
   橋本 忍
撮影 宮川 一夫
美術 松山 崇
音楽 早坂 文雄
出演 三船 敏郎
   京 マチ子
   志村 喬
   森 雅之
   千秋 実
   本間 文子
   上田 吉二郎
   加東 大介

1952年度アカデミー美術監督・装置賞<白黒部門> ノミネート
1951年度ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞(黒澤 明) 受賞
1951年度ヴェネツィア国際映画祭グランプリ 受賞