レイジング・ブル(1980年アメリカ)

Raging Bull

デ・ニーロがボクシング・チャンピオンを演じるために体を鍛え上げ、
尚且つボクサー引退後の弛んだ体を表現するために27kgの増量をして挑み、
アカデミー主演男優賞を受賞しました。名コンビ、マーティン・スコセッシと組んだタフなヒューマン・ドラマ。

これが、いわゆる“デ・ニーロ・アプローチ”のキッカケとなった作品ですが、
さすがに本作でのデ・ニーロの役作りは凄まじく、メイクも駆使して顔つきも変えてしまう凄み。

無敗のチャンピオンであった主人公ジェイク・ラモッタは、
ボクサーとしての腕前は一流であったものの、運命的な出会いと感じていた20歳の美女ビッキーと結婚し、
一転してビッキーに囚われ嫉妬心に狂い、仲間への暴力、家庭内暴力に暴言と、ありえない人間性でした。
ボクサーとしては有望視され、八百長の依頼にもプライドを持って断り続けてきたジェイクではありましたが、
次第にボクサーとしての上昇志向が衰え、ジェイクはマイアミへ渡り、ナイト・クラブの経営者になります。

映画は冒頭でいきなりナイト・クラブの経営者としてジェイクが登場してきて、
かつての栄光と、妻ビッキーとの出会いが描かれる回顧録として描かれていますが、
“栄光”とはあくまでボクシング・チャンピオンとして君臨したことで、ファイトで負けるにしても、
ダウンは絶対にしないなど、強い不屈の精神を誇示する姿が圧巻というだけで、私生活ではトンデモない奴でした。

ビッキーに対する異常なまでの執着、それが行き過ぎると周囲が見えなくなり、
弟ジョーイはじめ、多くの人々との信頼関係を片っ端から壊していきます。しかし、これは当然の結末でしょう。

何が彼にそうさせるのか、映画の中ではハッキリと描かれた部分ではないのですが、
頑固を通り越して、意固地としか言いようがない、ジェイクのプライドの高さと傲慢さが仇となります。
それはビッキーとの冷淡な夫婦関係にも象徴されていて、一方的な亭主関白さで家庭を支配しようとする。

マーチン・スコセッシのアプローチとしては、一貫してそんなジェイクを少し突き放して描きます。

激しいボクシング・ファイトのシーンから始まる映画のタイトルバックで登場する、
Raging Bullという原題の文字だけが、鮮血のような赤色に染まり、強いインパクトを残します。
(どうやら撮影時、ボクシング・シーンで表現される血はチョコレート・ソースを使っていたらしい・・・)

そしてスローモーションで表現されるファイトの激しさに、重ね合わせる物悲しげな音楽。
まるで引退後の寂しいジェイクの日々を示唆するかのようなムードで、一気に惹きつけられる。

1980年当時、当然、カラー撮影が主流でしたので、
本作のように敢えてモノクロ撮影を施す映画が希少な存在ではありましたが、
敢えてモノクロ撮影にすると決断したマーチン・スコセッシのインスピレーションが凄いですね。
そして、それに応えたマイケル・チャップマンのカメラも実にお見事で、高く評価されただけあります。

たぶんに、本作はマーチン・スコセッシもノスタルジアを演出したかったのではないかと思います。
撮影当時、マーチン・スコセッシも『タクシードライバー』で評価された後で、色々と自由の利く創作活動ができたはず。
ボクシング引退したのが1950年代ということを考えれば、撮影当時から見ても、懐かしい時代だったはず。
おそらくマーチン・スコセッシから見ても、少年時代のヒーローの醜悪な部分も描かなければならない一方、
彼の中での懐かしい一コマにスポットライトを当てるべき映画でもあったはずだ。これは彼の中でのノスタルジーだ。

マイアミでナイト・クラブの経営者となって、後にスタンダップ・コメディアンになるという展開も、
かつてボクシング・チャンピオンだったとは思えない体格に、堕ちた生活ぶりで、その落差が凄い。
少しばかり...過剰にジェイクの堕落を表現している気もしますが、この落差が映画の中で効いている。

場末のクラブで、弛んだ腹を隠さずに何が面白いのかよく分からないくらい悪趣味なギャグを連発。
かつてチャンピオン・ベルトを手にした男としてのオーラなど微塵にも感じさせず、
日常生活を含めた自己管理がまるでなっていない自堕落さを、全く隠さずに生きる悲しさを感じさせます。
そんなジェイクを少し突き放したように描くことで、少年時代のヒーローのダークサイドを浮かび上がらせていきます。

確かに自伝的物語の映画化としては、そこまで魅力的なものではないかもしれない。
人間ドラマとして見ても、何か教訓的な内容があるわけでもなく、明確なメッセージがある映画でもない。
あるのは、堕ちていった成功者の惨めさとも言うべき、虚無感で決して満たされることの無かったであろう、
ジェイクの心の“エアポケット”とでも言うべき、真空地帯でこれが大きかったことが、ジェイクの苛立ちかもしれない。

さすがに“デ・ニーロ・アプローチ”を有名にした作品なだけあって、
デ・ニーロの役作りは半端ないですが、正直、それが本作の決定打というわけではない。
助演陣である弟を演じたジョー・ペシも、若き妻ビッキーを演じたキャシー・モリアーティも素晴らしい仕事ぶりだ。

そして、それらを引き出したマーチン・スコセッシが何より凄いという話しになるのだが・・・
特にジョー・ペシは不遇の時代が長かったせいか、本作でのデ・ニーロに負けない存在感で
実に気合の入った良い芝居をしている。彼もまた、マーチン・スコセッシの監督作品の常連だ。

正直に白状すると、僕は本作が好きな映画というわけではありません。
高校時代に最初に観た時なんて、本作の良さは全く分からなかったし、陰鬱な気分になっただけでした。
しかし、何度か繰り返し観て、30代も後半に差し掛かった今になって観ると、チョットずつ印象が変わってきた。
今もそこまで好きな映画ではないが(笑)、それでもマーチン・スコセッシなりのノスタルジーと、
ジェイクの“暴君”と呼ばれても仕方がないくらい傍若無人ぶりに、理不尽な現代社会を被らせてしまいます(笑)。

それでもやっぱり、この映画の凄みは尊重されるべきです。
何故だかゾッコンだったビッキーが去ると、まるでダメになってしまうジェイクが堕ちていった世界は、
彼が言っていた通り、「君と子供がいないと、オレは生きていけない」という言葉通りでした。
因果応報とまでは言いませんが、マーチン・スコセッシはジェイクの不器用さも同時に描きたかったのかもしれません。

その全てが、僕はこの映画のボクシング・シーンに凝縮されていると思います。
ボクシングの専門家に言わせると、色々とあるかとは思いますが、やはり過去の映画の描写と比べると、
群を抜いた緊張感で、正に鬼気迫るものを感じさせます。これは作り手の創意工夫の賜物です。

ちなみに実在のジェイク・ラモッタは2017年、95歳で他界されました。

(上映時間128分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 マーチン・スコセッシ
製作 アーウィン・ウィンクラー
   ロバート・チャートフ
原作 ジェイク・ラモッタ
脚本 ポール・シュレーダー
   マーディク・マーティン
撮影 マイケル・チャップマン
編集 セルマ・スクーンメイカー
音楽 レス・ラザロビッツ
出演 ロバート・デ・ニーロ
   キャシー・モリアーティ
   ジョー・ペシ
   フランク・ビンセント
   ニコラス・コラサント
   テレサ・サルダナ

1980年度アカデミー作品賞 ノミネート
1980年度アカデミー主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ) 受賞
1980年度アカデミー助演男優賞(ジョー・ペシ) ノミネート
1980年度アカデミー助演女優賞(キャシー・モリアーティ) ノミネート
1980年度アカデミー監督賞(マーチン・スコセッシ) ノミネート
1980年度アカデミー撮影賞(マイケル・チャップマン) ノミネート
1980年度アカデミー音響賞 ノミネート
1980年度アカデミー編集賞(セルマ・スクーンメイカー) 受賞
1981年度イギリス・アカデミー賞編集賞(セルマ・スクーンメイカー) 受賞
1981年度イギリス・アカデミー賞新人賞(ジョー・ペシ) 受賞
1980年度全米映画批評家協会賞助演男優賞(ジョー・ペシ) 受賞
1980年度全米映画批評家協会賞監督賞(マーチン・スコセッシ) 受賞
1980年度全米映画批評家協会賞撮影賞(マイケル・チャップマン) 受賞
1980年度ニューヨーク映画批評家協会賞主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ) 受賞
1980年度ニューヨーク映画批評家協会賞助演男優賞(ジョー・ペシ) 受賞
1980年度ロサンゼルス映画批評家協会賞作品賞 受賞
1980年度ロサンゼルス映画批評家協会賞主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ) 受賞
1980年度ゴールデン・グローブ賞主演男優賞<ドラマ部門>(ロバート・デ・ニーロ) 受賞