ラジオ・デイズ(1987年アメリカ)
Radio Days
ウディ・アレンが自分の幼少期を映画化したドラマ。
ウディ・アレン自身は出演していませんが、随所にナレーターとして声の出演をしており、
1943年から年末までに彼の身の回りで起こったエピソードをモデルに、脚色を加えて、
幼少期のウディ・アレンを取り巻く人々の人間模様を群像劇仕立てで描き出していきます。
ウディ・アレンのノスタルジーって、結構、僕にはピッタリ来るものもあるんだけど、
本作は僕の中ではあまりピンと来る出来ではなく、むしろ中途半端なものに映りましたね。
とにかくいろんなエピソードを無理矢理、1時間30分弱に凝縮しているわけで、
それぞれのエピソードを整理し切れないまま、映画がドンドン、ドンドン進んでしまう印象で、
ある意味ではウディ・アレンのせっかちな性格をよく反映した作品となっていますね(笑)。
やはり同時期を映画化した、同じウディ・アレンの監督作品としては、
85年の『カイロの紫のバラ』の方がずっと面白い出来であったことは否めませんね。
おそらく本作を通して、ウディ・アレンが主張したかったことなんて、ほとんど無いのだろうけど、
但し、映像として再現したかったであろうものはハッキリとしていたとは思いますね。
それは幼少期のロッカウェイ地区の空気であり、これは見事に映画の中で再現できていると思う。
さすがにこの辺りは、腐ってもウディ・アレンの監督作って感じで、最低限の仕事はキチッとやってくれます。
ウディ・アレンは本作を52歳で撮影しており、製作当時は既にテレビが一般家庭に
一部の地域を除いてポピュラーなメディアとして浸透してきており、ラジオは衰退の一途を辿っていたはずです。
そんな中で、ウディ・アレンはテレビが一般家庭に普及する前、
人々は一日中ラジオを流しっ放しにして、民衆の貴重な情報源であったことを強調するかのように、
そんな一見するとローテクな時代を懐かしんで、ノスタルジックに当時の空気を再現します。
特に印象的なのは、事故に遭った少女のレスキューをラジオが中継するのを、
喧騒にまみれた生活の中で全員が音一つたてずに、ラジオから流れる救出劇に聞き入るシーンですね。
今となっては、信じ難いような光景ではありますが、
当時、如何にラジオが人々の生活に入り込み、とても大きな存在となっていたかを象徴しています。
しかし、こういった役割というのは今も昔も変わらず、何かが同じような役割を果たします。
今はテレビに置き換わっただけであり、メディアの影響力の強さを物語る一幕です。
昨年の東日本大震災で、被災地を大津波が襲い、街が流されていく映像を見せ付けられ、
あまりに残酷な天災がもたらした現実に、思わず絶句して映像に見入っていたのは記憶に新しいところです。
が、前述したように、もう少し各エピソードを整理して描いて欲しかったなぁ。
映画の冒頭にウディ・アレン自身も言っていましたが、「多少の脚色を加えてますが、ご容赦を」とのこと。
おそらく全てが実話ではないだろうし、中には架空の人物もいるのだろう。でも、強いて注文を付ければ、
どうせホラを吹くなら、もっと盛大に吹いてもらいたい(笑)。なんか中途半端なホラで、評価に困りますね(笑)。
ひょっとすると、このホラの中途半端さが、映画の出来の中途半端さにつながったのかも(←それはない)。
この映画で一番、面白かったのは、映画の冒頭で入った強盗のエピソードで、
必死に下調べして、誰もいない時間帯を確認した上でヒッソリと侵入したにも関わらず、
真っ暗な家で電話が鳴り響き、あまりにうるさいため電話に出たら、何とラジオのクイズ番組。
一方的に出題が為されクイズがスタート。思わず泥棒がクイズを真剣に考えてしまうというのが面白い。
しかも被害額は50ドルあまりだったにも関わらず、クイズの景品で高額品が当たるというオチも面白い。
やっぱりウディ・アレンって、こういうくっだらないギャグは天下一品なんですね。
まぁくっだらないと言うとウディ・アレンに失礼なので、気の利いたギャグとでも言いましょうか。
でも、この冒頭のシーン以降はあまりパッとしないんですよね。
前述した少女をレスキューする中継に聞き入るシーンと、ダイアン・キートンの歌ぐらいで、
最終的にはこの映画を通して、ウディ・アレンが明確に主張したいことが無かったという点が
最後の最後まで悪い方向に向いてしまったようで、中途半端さがどうしても拭えなかったイメージです。
それは、当時、ウディ・アレンの私生活でもパートナーであったミア・ファローを
ヒロインに仕立てた割りに、珍しく彼女を磨き切れなかったということも大きく影響しているかもしれません。
ちなみにウディ・アレンの映画には幾つかパターンがあります。パッと頭に思い付くだけで...
1.くっだらないギャグを主体としてコメディ映画
2.自身の幼少期の空気を吹き込んだノスタルジアを再現した映画
3.恐ろしく冷淡でシリアスな映画
4.皮肉を基調にしたサスペンス映画
本作は2.に当たるのですが、僕は前述したように1.が好きで、
面白いことにウディ・アレンは映画によって、それぞれの表情を見事に使い分けています。
本作を製作した頃のウディ・アレンは定期的に、映画のカラーを入れ替えており、
2.と3.のパターンを交互に映画を撮っていたようで、89年の『私の中のもうひとりの私』も秀逸な作品でした。
これだけ器用な映像作家も、今やウディ・アレンぐらいかもしれませんね。
但し、ウディ・アレンのホントに凄いところは、ただ単にコロコロと手掛ける映画のカラーを変えるだけでは
ただ節操が無い映像作家だと揶揄されるわけで、どんな作風であっても常にウディ・アレンの監督作で
あることを観客に悟らせることができる、強い芯が彼の映画に存在していることなのです。
(上映時間88分)
私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点
監督 ウディ・アレン
製作 ロバート・グリーンハット
脚本 ウディ・アレン
撮影 カルロ・ディ・パルマ
編集 スーザン・E・モース
音楽 ディック・ハイマン
出演 ミア・ファロー
ダイアン・ウィースト
ダニー・アイエロ
セス・グリーン
ジュリー・カブナー
マーセデス・ルール
ダイアン・キートン
ドワイト・ワイスト
ウィリアム・H・メイシー
マイケル・タッカー
ジェフ・ダニエルズ
トニー・ロバーツ
トッド・フィールド
1987年度アカデミーオリジナル脚本賞(ウディ・アレン) ノミネート
1987年度アカデミー美術監督賞 ノミネート
1987年度アカデミー美術装置賞 ノミネート
1987年度イギリス・アカデミー賞プロダクション・デザイン賞 受賞
1987年度イギリス・アカデミー賞衣装デザイン賞 受賞