サイコ(1960年アメリカ)

Psycho

映画監督として脂の乗り切っていた1950年代を過ぎ、ハリウッドを代表する名匠ヒッチコックは、
一転して白黒フィルムで、どこか低予算な雰囲気を感じさせる、これまでとは系統の異なるサスペンス映画だ。

ところがこれが当たった。今ではヒッチコックの代表作の一つとして、多くの人々に愛される作品だ。
何故か80年代には続編も製作されて、ヒロインを演じたジャネット・リーが突如として刺殺されるという、
あまりにショッキングなシーンも、撮り方を工夫してショックを増したおかげで、映画史に残る名シーンとなりました。

しかし、正直に白状すると、僕は本作のことをそこまで気に入ってはいません。
いや...否定的に見ているわけでもないのだけれども、あまり強い思い入れもないので・・・という感じです。

これが本作劇場公開当時、かなり衝撃的だったというのは、よく分かります。
当時、これだけのインパクトを持った映画というのは数少なかったし、徹底した“隠密作戦”も功を奏しました。
(ヒッチコックが映画館のCMで「この映画の結末は、絶対に誰にも喋らないでください」と観客にお願いした)

“ベイツ・モーテル”のオーナーである青年ノーマンを演じたアンソニー・パーキンスの代表作となり、
良くも悪くも本作のノーマン役は彼にとって大きな意味を持つ作品となりました。実際に、4本の続編が製作され、
第3作にいたっては彼自身が監督と主演を兼務するという気合の入れようで、ヒッチコックの『サイコ』という
イメージから、アンソニー・パーキンスの『サイコ』というイメージに変えてしまい、最大の当たり役となりました。
(まぁ・・・このノーマン役のイメージが強過ぎて、本作の後に続くヒット作に恵まれなかったというのもあるけど)

確かにノーマンと彼の母親のミステリアスな生活と、家庭環境の複雑さ、
そして時折見せる、ノーマンの普通じゃない異様な空気感などは今観ても、新鮮さを失わないキャラクターだ。
そして、ここまで精神医学について深く言及した映画というのも、当時は革新的な存在だったでしょうね。

原作のこういったところにヒッチコックも惹かれて映画化の権利を買い取ったのでしょうが、
後に映画化された『ヒッチコック』という伝記映画で描かれていましたが、僕はノーマンの異常性にスポットライトを
当てつつも、ヒッチコックが描きたかったのは、シャワーを浴びている無防備な女性が明確な怨恨があるわけでもなく、
いきなり刺殺されるというショッキングなシーンを、出来る限り演出を駆使して、生々しく撮ることに目的があったと思う。

浴槽内に流れる血液も、白黒フィルムを使っているからこそ分かりにくいですが、
実はただのチョコレートソースを流しているなどトリビアはありますけど、当時既に主流になりつつあった、
カラー・フィルムでの撮影を敢えてモノクロ・フィルムに変えて、逆に観客に与えるショックと恐怖を増強させました。

この辺がヒッチコックが考えていたことの先駆性があるところで、常に観客にフレッシュな驚きを与えたいという、
映画人としての純粋な感覚があったのだろう。正直言って、本作にあまり深いメッセージは込められていないと
僕は思っていて、ストーリーから深読みする人も多くいて、本作の存在が少々肥大化し過ぎているように感じる。

個々思い入れがあることは良いことなので、それらを否定するつもりはありませんが、
同じヒッチコックの監督作品として観ると、僕はやっぱり50年代のヒッチコックの監督作品の方が、
良い意味で成熟した完成度を誇っている印象があって、本作はアイデア一発勝負の作品という印象があります。
ですので、言い過ぎかもしれませんが、かの有名なシャワー・シーンを見せたいがための映画とも言えると思います。

それ以外に魅力がないという気は毛頭ありませんが、それでもシャワー・シーンだけが突出したインパクトです。
それ以外で言えば、映画の序盤にジャネット・リーが“付きまとわれる”警察官の怖さもありますが、執拗さが弱い。
どうせなら、あの警察官の残像を“ベイツ・モーテル”に行ってからのシーンでも使って欲しかったので、物足りない。

バーナード・ハーマンのミュージック・スコアはあまりに有名過ぎる、
“耳障り”なほどの金切り声にも似た不快さで、映画の恐怖を更に煽るような実に素晴らしい音楽だ。

ヒッチコックが音楽をこういうアイテムとして使ったのは、少々珍しいことのようにも思うけれども、
いずれにしても、このバーナード・ハーマンとの仕事ぶりは映画史に残るものと言っても過言ではないかもしれない。
このシャワー・シーンが突出したインパクトと言えるのは、やはりバーナード・ハーマンの音楽の力が大きいだろう。
いろんなところでも流用されていますし、音楽をこういう使い方するのも有効と世に知らしめたのは、本作でしょう。

『北北西に進路を取れ』など、次々と充実した作品を発表し、ファンや評論家からも高い評価を得ていましたが、
ひょっとしたら本作が当時のヒッチコックがホントにやりたかったことは本作にあったのかもしれませんね。
事実、本作の後にヒッチコックは『鳥』を撮って、視覚的かつ直接的に表現するという方法論を確立している。

ひょっとすると、本作で高い評価を得ることがなければ、『鳥』は撮らなかったのかもしれません。
それくらい、ヒッチコックの中でも本作の成功が与えた影響がとても大きなものであっただろうと思いますね。

映画の前半のジャネット・リー演じる女性銀行員の横領のエピソードは、ヒッチコックの“ハッタリ”とも思える。
言うなれば、これ自体がヒッチコックの言う“マクガフィン”のようなもので、映画の本題は中盤以降にある。
ノーマンがトンデモないサイコ野郎だということは分かり切ったことですが、横領というファクターが観客にとっては、
因果応報とも解釈できるような感情を抱くので、ノーマンの凶行が何か関連しているかのような錯覚を持つのですが、
実はこの横領のエピソードはノーマンの問題とは関連がない。この関係性を巧妙に利用しているのが、面白い。

強いて言えば、精神的にストレスを抱えたまま“ベイツ・モーテル”に入ってきたわけですから、
ノーマンへの態度が素っ気ない感じでになって、ノーマンの感情を余計にかき立てたものがあったかもしれないが、
ノーマンは母親への強いコンプレックスゆえに事件を起こした過去があり、女性銀行員に特別な感情を抱きます。
それが事件の引き金となるので、横領のエピソードが何か関連しているかのように推理したくなる“ハッタリ”がある。

しかし、映画の後半で行方不明となった彼女を探しに来る探偵や妹らのエピソードがあるのは、
彼女の横領のエピソードがあるからこそとも言える。ただ、欲を言えば探偵アーボガストをもっと描いて欲しかった。

ノーマンにとって、アーボガストの訪問は大ピンチになるほどの危機なはずなのですが、
ほとんどこの2人の駆け引きがなく、ノーマンが追い詰められながら、どう危機を回避しようとするのか、
ノーマンの犯罪者としての才覚を表現した方が、彼が犯した過去の犯罪に関わる情報の説得力がでたと思う。

ヒッチコックの野心的な作品であり、後年の映画界に与えた影響力は計り知れないほどだけど、
個人的には映画の出来としては、そこまでスゴいという印象はないし、他にもっと好きな監督作品がある。
とは言え、やはり当時の流行に逆らうようなアピローチをとって、観客をビックリさせるというヒッチコックの才気が
当時のハリウッドでも唯一無二の存在であったことを象徴している。本作を起点に、また違うステージに入りましたね。

50年代はヒッチコックの黄金期とも言えるくらい、充実した出来の監督作品が多かったですが、
60年代に入ると、本作と63年に『鳥』を撮ってからはすっかり低迷してしまって、70年代はすっかり晩年という感じ。
本作は低予算ということもあって、ヒッチコックの最も収益性の高いヒット作となり、後にリメークも製作されましたが、
本作での成功はヒッチコックにとってのターニング・ポイントになり、創作活動のベクトルを変えたような気がします。

何か心変わりがあってか、映画の中でロマンスを描くことを止めましたよね。
そして、ミステリーの要素を少なくして、視覚的なショック描写を積極的に採り入れるようになりましたね。

こういったアプローチはスピルバーグらが追従したところがあると思うのですが、
メジャーな映画でこういった演出を徐々に許容される向きを醸成したのは、本作のヒッチコックだと思います。
そして、有名なシャワー・シーンの演出は後年に他のディレクターが参考にして、真似をしたのも事実です。

ですので、僕も本作の歴史的価値というのは高いと思うし、ヒッチコックの代表作にも成り得ると思っています。

ただ...あくまで個人的な好みにしかすぎないのですが、
僕の中でのヒッチコックの映画って、こういう実験志向の監督作品は40年代で終わっていて、
それらを体系的に吸収して、自身の総合力を上げて撮った50年代の監督作品の方が、好きなんだよなぁ。

まぁ・・・実は『鳥』は動物パニック映画の先駆けとして、大好きではあるのですがね・・・(苦笑)。

(上映時間108分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 アルフレッド・ヒッチコック
原作 ロバート・ブロック
脚本 ジョセフ・ステファノ
撮影 ジョン・L・ラッセル
編集 ジョージ・トマシーニ
音楽 バーナード・ハーマン
出演 アンソニー・パーキンス
   ジャネット・リー
   ジョン・ギャビン
   ヴェラ・マイルズ
   マーチン・バルサム
   サイモン・オークランド
   ジョン・マッキンタイヤ

1960年度アカデミー助演女優賞(ジャネット・リー) ノミネート
1960年度アカデミー監督賞(アルフレッド・ヒッチコック) ノミネート
1960年度アカデミー撮影賞<白黒部門>(ジョン・L・ラッセル) ノミネート
1960年度アカデミー美術監督・装置賞<白黒部門> ノミネート
1960年度ゴールデン・グローブ賞助演女優賞(ジャネット・リー) 受賞