プラクティカル・マジック(1998年アメリカ)

Practical Magic

劇場公開当時から、かなり評判が悪い映画だっただけに、
公開から15年以上経った今も尚、何気に観るのが怖い映画の一つだったのですが(笑)、
いざ本編を観てみたら、まぁまぁ・・・失敗作だというのは分かりますが、まだ心に余裕持って観ていられるレヴェル(笑)。

俳優出身のグリフィン・ダンが97年の『恋におぼれて』に続いて撮ったラブ・ファンタジーで、
なんでこんな乙女チックな映画ばっかり撮るのか、よく分からないけど、乙女心満載な映画でビックリだ(笑)。

かなり僕も偏った観方をしているかもしれないが、
そんな僕の観方に負けず劣らず本作の内容自体も、かなり偏った内容になっていることは否定できません。
ただ、個人的にはそこまで目くじら立てて批判するほど、酷い出来の映画というわけでもないと思う。

当時、ハリウッドでも勢い留まることを知らないサンドラ・ブロックとニコール・キッドマンという、
トップ女優の豪華共演という企画ですから、プロダクションもかなり気合が入っていたのだろう。
それがここまで乙女チックなファンタジー映画というのですから、当時のファンも肩透かしではあったでしょう。

そもそもサンドラ・ブロックとニコール・キッドマンが姉妹という設定自体に無理があるんだけど(笑)、
肝心かなめの恋愛劇の描き方が、全て“魔法”というキーワードを理由にされて、心の動きを描かないものだから、
いくらなんでも作り手もサボり過ぎというか、ほとんどのエピソードが悪い意味での力技にしか見えない。
さすがにこれでは、観客の心をつかむことはできないでしょうね。恋愛映画の一番、美味しいところを描かないのだから。

映画の途中から、遠方からはるばる捜査でやって来る捜査官役として、
エイダン・クインも登場するのですが、彼の扱いもあまりに軽く、この映画の狙いがますますよく分からない(苦笑)。

まぁ・・・そんなこんなで酷評されて、終わってしまったという理由も、分からなくはない。

しかし、かつて『イーストウィックの魔女たち』など、魔女を描いた映画って数多くあったけれども、
実は本作、比較的、まともに描かれた作品なのではないかと、思える部分もあるんですよね。
おそらくクライマックスの魔法で、一人の悪い男の呪いを解くシーンをもっとしっかり描いていれば、
映画は大きく変わったのではないかと思うのですが、映画の中盤まではそこそこ上手く描けているとは思う。

なんでなのかはよく分からないのですが、街では魔女が阻害された存在であるという前提を飲み込めれば、
サンドラ・ブロック演じる母親は、できるだけ日常生活の中で魔法を使わないようにとするにあたっての難しさ、
そして彼女の子供に対する接し方の苦悩も、サラッとではあるけど、触れているあたりは悪くないと思う。

でも、この映画のテンションの問題もあるんだけど、
あまりシリアスな問題に肉薄しようとしないあたりが、悪い意味で薄っぺらく映るのでしょうね・・・。

この辺はグリフィン・ダンの描き方にも問題はあると思うのですが、
あくまでメルヘンに描きたいと貫いた割りには、ニコール・キッドマンのしつこい彼氏とのエピソードが
連続殺人犯というサイコな問題であったり、どうも映画の中で描こうとした一つ一つが、機能的に絡み合っていない。

ご都合主義なのは、僕は別に気にしないのだけれども、
全体的にもう少し真面目に撮った方が良かったのではないかと思えるほど、どことなくラフ過ぎる作りが目立つ。

そういう意味で、映画のラストへの流れは、もっとよく考えて欲しい。
やはり魔術を使おうが、相手が連続殺人犯だろうが、主人公姉妹が招いた結果は重大だった。
「何も、この手の映画でそこまで目くじら立てなくとも・・・」と言われてしまいそうですが(苦笑)、
できることであれば、主人公姉妹が直接的に招いた結果であるかのような描き方は避けて欲しかった。

端的に言うと、「あなたたちは犯罪者ではありません」とするラストを描かざるをえない展開にしてしまった時点で、
この映画の作り手はとても苦しいところに追いやられてしまい、結果的にどのような結末であっても、
映画に説得力を持たせることは困難になってしまったことは否定できないと思う。これがとても勿体ない。

但し、一方で僕の中では「まぁ・・・こんなもんだろぅ...」という感想があったわけで、
ややもすると、もっと大きく映画が崩れてしまう可能性すらあった企画を、ギリギリのところで工夫した結果、
上手い具合にグリフィン・ダンが映画を救ったという見方も、僕は間違いではないような気がしています。
それは理屈では通らないのだけれども、主人公姉妹の絆の強さをしっかりと描いていたり、
この手の映画に必要なファクターというのは、地味にしっかりと押さえてあって、最悪な出来というほどではない。
例え魔法をメインテーマにした映画とは言え、本作の場合は特に“人”を描かなければ映画は救われなかったでしょう。

それにしても特別捜査官役で登場したエイダン・クインはこの頃の役者として、なんだか懐かしいですね。
最近のハリウッドでは、すっかりメジャーな映画に出演する機会が無くなってしまったせいか、
本作のようなタイプの映画で、重要な位置づけの役柄を演じていること自体が貴重だと思いますね。

今となっては、サンドラ・ブロックもニコール・キッドマンもベテラン女優の域に達しているので、
本作のような企画自体が成り立たない気もするのですが、製作当時のことを考えると、豪華キャストな映画です。

だからこそ・・・グリフィン・ダンはもう少し、中身の充実に注力して欲しかったんだよなぁ〜。
前述したように、上手くできている部分は上手くできていると思うし、映画を大きく崩さなかったのは良かったけど、
言い方を変えると、観客の心を動かすほどの力は、この映画には無いと思う。そういう意味で、映画の出来は良くない。
この手の映画であるからこそ、もっと何か心をワクワクさせるような雰囲気を感じ取れる映画にしなければならない。
本作にはそういった要素が皆無で、主演女優2人のネーム・バリューに悪い意味で、依存してしまっている。

映画のテンポが良かったことは救いでしたね。これは編集の段階で、かなり工夫したのでしょう。
最悪な出来にはしなかったものの、グリフィン・ダンの演出もコロコロ変わっていくので主体性が感じられない。

ひょっとすると、グリフィン・ダンもスタジオから依頼された仕事なのかもしれませんがねぇ・・・。

(上映時間104分)

私の採点★★★★☆☆☆☆☆☆〜4点

監督 グリフィン・ダン
製作 デニーズ・ディ・ノヴィ
原作 アリス・ホフマン
脚本 ロビン・スウィコード
    アキヴァ・ゴールズマン
    アダム・ブルックス
撮影 アンドリュー・ダン
音楽 アラン・シルベストリ
出演 サンドラ・ブロック
    ニコール・キッドマン
    ストッカード・チャニング
    ダイアン・ウィースト
    エイダン・クイン
    エヴァン・レイチェル・ウッド
    ゴラン・ヴィシュニック
    アレクサンドラ・アトリップ
    マーク・フォイアスタイン