ハリウッドにくちづけ(1990年アメリカ)

Postcards From The Edge

『スター・ウォーズ』シリーズのレイア姫役で知られるキャリー・フィッシャーの自伝小説の映画化。

キャシー・フィッシャーは残念ながら2016年に60歳の若さで他界しましたが、
どうやら晩年までコカインなどの薬物を断つことができずに、ずっと薬物中毒に悩まされてきたらしい。
『スター・ウォーズ』で知名度を上げた、1980年頃から薬物中毒であったことを公表していますので、
長らくなかなかやめられないドラッグへの依存から離れることができなかったあたりから、あらためて恐ろしく思います。

本作は87年に彼女が実の母親である女優デビー・レイノルズとの私生活での確執や、
薬物依存が深刻化し、映画撮影の現場でもトラブルを抱えていた事実を基に書いた『崖っぷちからの手紙』を
原作とした作品であり、名匠マイク・ニコルズが実にテンポ良くストレートに描いたヒューマン・ドラマ。

これは手堅い出来の作品だと思いますね。マイク・ニコルズって、こういうヒューマン・ドラマ系の映画を
何本か撮っているのですが、この手の映画の方が総じてクオリティが高い作品が多いような印象ですね。
アメリカン・ニューシネマ期に躍進したディレクターなだけに賛否はあったのでしょうが、僕は合っていたと思います。

メリル・ストリープとシャーリー・マクレーンが親子を演じるというだけでも、
本作製作当時からすると、かなりの豪華キャストだったのでしょうけど、彼女たち以外にも、
女ったらしのプロデューサーとしてデニス・クエイド、ヒロインの薬物中毒を理解しながら彼女を起用する
映画監督としてジーン・ハックマン、薬物中毒で意識不明になったヒロインを助ける医師としてリチャード・ドレイファスが
ゲスト出演くらいの登場シーンの少なさですが、それぞれ出演するなど、キャストはとにかく豪華で目がいく。

生まれながらにして芸能人一家に育つというのは、とても複雑で難しいことだと思う。
勿論、“普通の”家庭ではないということに加えて、周囲の扱い方も変わってくることから育つ環境として、
極めて難しいと思う。仮に物質的に何もかもが満たされていたとしても、幸せであるとは限らないということです。

そういう意味で、人間らしい生き方というのは、バランスだと思うんですよね。
往々にして、物質的・経済的にスゴく恵まれている代わりに、何かが犠牲になっていることが多い。

それは強烈な孤独であったり、常にスターであり続けなければならないとする、
見えないプレッシャーと闘い続けなければならないなど、いろいろな葛藤があるのでしょう。
しかも幼い頃からショービズの世界と隣接して生活しているため、数々の“誘惑”と接触するはずなのです。

かつて、多くの大スターが成功の栄華を極めた際に経験したとされる、
“スターダム・シンドローム”は精神的にかなりツラい症状であることが多いようで、自殺に至った事例もあるようだ。
「確かに成功した。でも、次は何をするんだ?」という問いに対して、いつまでも自問自答し続けた結果、
“心の迷路”にハマり込んでしまうようで、昨今で言う、「燃え尽き症候群」に感覚的には近いのかもしれません。

本作のヒロイン、スザンヌは“スターダム・シンドローム”というわけではないのですが、
自分で考える間もなく芸能人として生きていくしか選択肢がなかった中で、女優や歌手として才覚を示すものの、
薬物中毒となり映画出演にも保険会社から拒否され、低予算映画の出演のオファーしか来なくなるなど、
経済的にもキャリア的にも苦しくなっていく中で、母親との衝突を繰り返して、自分を取り戻しまでを表現します。

この映画は敢えて、明確な答えを出そうとはしません。
それは、「クスリはやめた」ということはなく、「クスリを使わない日を繰り返す」という毎日を重ねることで
薬物依存から遠ざかることを表現しているかのようで、現在進行形な様相で映画が終焉を迎えます。

ラストシーンのスザンヌの歌唱は、まるで大円卓のように華々しく映画を終わらせますが、
彼女が出演している映画の撮影と、本作自体の映画が終わりを迎えることがシンクロするようで面白い。

映画の中でシャーリー・マクレーン演じる母親の病いのことも触れてはいるのですが、
決して深刻になることも感傷的になることもなく、母親のマスコミの前に出るときは常に明るく、
前向きな姿を見せ続けるように、本作自体も安易に“お涙頂戴”な雰囲気にはならなかったあたりも良かったですね。

この辺はマイク・ニコルズのライトに描く、深刻になり過ぎることがない彼のタッチの影響も大きいと思いますが、
薬物中毒という社会問題を描き、結構、スザンヌがディープに薬物依存に悩まされているにも関わらず、
やはりこちらも深刻になり過ぎることなく、映画が進んでいくというあたりが、如何にもマイク・ニコルズらしい。

マイク・ニコルズは演出過剰なところがあると指摘されることも多いのですが、
本作はかなり彼の個性が控え目になっていて、一つ一つのシーン演出も決して悪くはないと思う。
チョットしたシーンですが、映画のセットでデニス・クエイド演じるジャックと再会するシーンで、
スザンヌが車に乗って走り去るシーンなんて、車が動いていなくなるショットが描かれる前に、
デニス・クエイドの背景が人手で動かされることで、思わず彼が動き出すかのように錯覚させられるなど、
さり気ないシーン演出も、本作は機能的に回っていて、マイク・ニコルズらしからぬ落ち着いたタッチで好感が持てる。

個人的にはやはり、薬物中毒の問題が顕在化すると、なかなか社会復帰が難しいということ。
アメリカは再チャンスはあるにはあるのですが、当然のことながら、定期的に身体チェックをされるわけで、
周囲の目線も薬物中毒を克服する過程であるという理解はそこまで得られるわけがなく、いろんなゴシップが流れる。
薬物を絶った影響なのか、過食の傾向になり太り始めると、女優としてスタイルを維持できないことを陰口を叩かれる。
スザンヌはそんな現実の厳しさに打ちのめされそうになりますが、それだけ薬物犯罪からの社会復帰は難しく、
社会的かつ精神的に、とても過酷なまでの周囲の厳しい目線が向けられることを覚悟しなければならないわけです。

やはり、そういう目線に耐え、周囲の理解や信頼を取り戻してこそ、社会復帰ができるのだろう。
ただ一方で、やっぱり誘惑の多い世の中でもあり、ジャンキーになった過去があると克服して戻ってきても、
必ずと言っていいほど薬物の密売人が近づいてくると言います。そういった人脈との関係を断ち、近づかせないように
管理する支援者というのが絶対に必要だし、甘えるという意味ではなく、周囲のサポートと理解は必要不可欠だと思う。

この原作『崖っぷちからの手紙』はおろか、本作が映画化され劇場公開される頃も含めて、
ずっとキャリー・フィッシャーは薬物依存を断ち切れずに、結果として命を落としてしまったというのが、なんとも切ない。

晩年は少々、“お騒がせ女優”というゴシップ的な部分が先行してしまったのですが、
実際にデビー・レイノルズという大女優を母親に、自分も女優の道を歩むというのは、実に大変なことだったと思う。
これは同じことがマイケル・ダグラスにも言えると思うのですが、マイケル・ダグラスの場合は若い頃は
カーク・ダグラスとは違う道を歩もうと、映画プロデューサーとして才覚を現わしたり、途中から俳優に転身しました。

こう言ってはナンですが、かなり父親への反骨心もあったのだろうと思いますね。
キャリー・フィッシャーにもあったのかもしれませんが、母と娘の関係性というのも、また独特ですからねぇ。

母のデビー・レイノルズは娘のキャリー・フィッシャーが他界した翌日に、脳梗塞で亡くなったことも
当時は大きな話題となりました。やはり遺族が語っていたように、かなりのショックだったのだろうと思います。
本作ではそこまでの劇的な未来は、予想できなかったと思いますが、これはこれで映画になりそうですね。

ちなみにこの邦題は、僕には真意がよく分かりませんが...これはこれで、嫌いにはなれません(笑)。

(上映時間101分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 マイク・ニコルズ
製作 マイク・ニコルズ
   ジョン・キャリー
原作 キャリー・フィッシャー
脚本 キャリー・フィッシャー
撮影 ミヒャエル・バルハウス
音楽 カーリー・サイモン
出演 メリル・ストリープ
   シャーリー・マクレーン
   デニス・クエイド
   ジーン・ハックマン
   リチャード・ドレイファス
   アネット・ベニング
   ロブ・ライナー
   アンソニー・ヒールド
   サイモン・キャロウ
   オリバー・プラット
   コンラッド・ベイン
   CCH・パウンダー
   メアリー・ウィックス
   マイケル・オントキーン

1990年度アカデミー主演女優賞(メリル・ストリープ) ノミネート
1990年度アカデミー主題歌賞 ノミネート