殺しの分け前/ポイント・ブランク(1967年アメリカ)

Point Blank

正直、ジョン・ブアマンの映画って苦手なのが多いのですよね。
特に72年の『脱出』なんて、その最たるもの。あれは悪夢のような映画で、二度と観たくないと思ったものですよ。

でもね...僕はこの映画は、ジョン・ブアマンの大傑作だと思っています。
2011年に当時、某レンタルショップの“復刻企画”で本作が初めてDVD化されたときは喜んだものです。
その後、思いがけずもワーナーがBlu−rayにまでしてくれたので、衝動的に買ってしまいました(笑)。

映画はリチャード・スタークの『悪党パーカー/人狩り』が原作なのですが、
ジョン・ブアマンがかなり独特な映像表現で構成しており、個性的な内容にはなっているのですが、
そもそも主演にリー・マービンを起用したことや、その屈折した感情表現が実に素晴らしく、なんとも味わい深い。
そしてしつこいくらいリフレインが続いて、どこかサブリミナル効果を期待するような見事な映像表現である。
でも、不思議と居心地の悪い映画ではないんですよね。ここがいつものジョン・ブアマンの監督作品とは違うところ。

リー・マービンも見た目はシルバーヘアーのオッサンでどこかムサいのですが、
歩く姿がなんともカッコ良く、スタイルが良いですね。オフィスビルの廊下を革靴の音を響かせて歩くシーンを
しつこく見せたり、何度も何度も描くジョン・ブアマンのアプローチに見事に応えることができる存在感ですね。

99年にブライアン・ヘルゲランドが『ペイバック』として映画化したり、
本作の原作は映画界でも大人気なのですが、おそらく本作のジョン・ブアマンのアプローチには勝てないだろう。

どこか現実なのか虚構なのか、その境界線をハッキリとさせない危うい感覚を持たせる描写が見事で、
例えば主人公ウォーカーと彼の妻とのベッドシーンにしても、妻役のシャロン・アッカーと彼女の妹クリス役の
アンジー・ディキンソンが交互に“交代”するなんて、当時の映像表現としてはなかなか無かった描写と言っていい。
そういう意味では、本作のジョン・ブアマンの演出はかなり前衛的・先進的なアプローチをとっていたと思います。

僕がイメージするハードボイルドとはチョット違う映画なのですが、
うぉーかーの描き方がとてつもなくカッコいい。当時、ここまで暴力的なキャラクターが主人公というのも
珍しかったと思うのですが、これはある種のピカレスク・ロマンなのかもしれない。このキャスティングも絶妙に良かった。

特に映画の中盤に、ウォーカーが自分を裏切ったマルの消息を辿る過程で、
マルの仲間である中古車屋オーナーを、ウォーカーが運転する車の助手席に乗せてドライブするシーンで、
高速道路の橋脚の近くに行って、まるで狂ったように車を橋脚に何度も繰り返しぶつけるシーンの狂気が印象的だ。
このシーンを観る限り、ウォーカーの行動は明らかに常軌を逸していて、思わずドラッグ常用者なのかと疑ってしまう。

それだけでなく、乗り込んで行った部屋でいきなり容赦なくベッドに向けて銃を乱射したり、
ウォーカーが衝動的に暴力的な行動にでるシーンもあったりするのですが、これが真のパーカーの姿なのか、
なんとも判断がつかないところですが、但し、友人に妻を奪われ、自分も殺されそうになり金を奪われ、
パーカーも冷静さを保つことができないくらい混沌とした精神状態で、マルへの復讐心だけで生きているようなもので、
マルへの復讐を果たし、金を取り返したところで満たさないのかもしれませんが、彼の屈折した生きがいになっている。

思えばジョン・ブアマン特有のトリップしたような映像表現もそうですけど、
どこか本作は劇中にあるライヴハウスでのシーンが代表するようにサイケデリックで、麻薬的な部分があると思う。
(妙な濃い色の液体が入ったガラスが、シンクで割れて流れる映像が長めに続くのも強烈なインパクトだ)

そう思えば、ウォーカーが妻との出会いを回想するシーンで、一切台詞を発さずに
ウォーカー夫妻が一目惚れで結婚したようなエピソードが描かれますが、このシーンでのリー・マービンの絡み方も
仲間たちと一人の女性を取り囲むという、ある種、異様なナンパでどう見ても、違和感があることは否定できない。
いくら60年代とは言え、あんな異様な雰囲気でのナンパでなびく女性って、ほとんどいないでしょう。

それだけでなく、映画の序盤に幾度となく挿入される、マルとウォーカーがパーティーで再会するシーンも、
なんだか異様な雰囲気ですよね。パーティー会場の意味不明くらい雑踏の中、ウォーカーを見つけたマルが
嬉しそうに「ウォーカー!」と叫び、ウォーカーに近づいていき、思いの強さのあまりか押し倒してまで再会を喜ぶ。
普通、中年のオッサン同士がいくら久しぶりの再会で嬉しいとは言え、こんな再会の喜び方は“ない”ですよね(笑)。

そう思うと、この映画は何から何まで現実なのか虚構(妄想)なのか、なんだかよく分からない。
その浮ついた感覚が、映画全体を支配している印象で、ただのアクション映画ではないと思いますね。

67年に製作された作品ですので、アメリカン・ニューシネマのムーブメントが顕著になる直前の作品ですが、
ジョン・ブアマン自身もイギリスから渡ってきたディレクターで、目の前でフリーシネマと呼ばれるイギリス映画界の
ニューシネマ・ムーブメントを体感していたでしょうから、本作の撮影にあたっても色濃く影響を受けただろう。
実際、本作の映像表現の多くが、当時としては極めて斬新で新しい感覚を持ったものだったと思います。

そういう意味で、本作が埋もれてしまったのは個人的にスゴく残念な話しで、なんとか再評価を促したい。

この作品の後年の映画界へ与えた影響力たるや、それはスゴいものだと僕は思いますよ。
サイケデリックな映像表現からくる倒錯した世界観や、ほぼトランス状態のような精神世界の感覚。
これらを当時の出来る映像表現ギリギリのところまで真正面から頑張った、ジョン・ブアマンの傑作だと僕は思います。

斬新なところはありますが、決して奇をてらったわけでもなく、予想外のストーリー展開というわけでもない。
どうやら原作を無視した部分があるストーリーに賛否はあるようだけど、僕はそれはあまり気にならず、
ウォーカーが着々と冷徹に“仕事人”のようにミッションを片付けていく姿が、どこか職人気質な感じで惹かれる。
それはジョン・ブアマンの仕事ぶりがシンクロしていて、実に真摯に映画を撮っている感じで好感が持てる。
どちらかと言うと、ジョン・ブアマンの場合は後年の監督作品の方が、こういう部分を失ってしまったように感じるので。

そもそもジョン・ブアマンは本作で、ハードボイルドな映画を撮ろうとは思っていなかったと思う。
ウォーカーの存在すら怪しいニュアンスを持たせているあたり、彼が撮りたかった映画は単なる復讐劇ではないだろう。
ですので、事前に原作を読んでいた人は、あんまり原作のイメージを持って本作を観ない方がいいだろうと思います。

この映画で描かれるウォーカーは、何がしたいのかも自分でも分からなくなっているほど混乱している。
組織の連中からも「9万3000ドルのために、ここまでやったのか!?」と驚かれるくらいだが、金に執着している、
とまでも言い切れないくらい、マルに妻を奪われたという失望感も相まって、とても混乱してカオスなマインドです。
でも、その失望感から来る怒りもあって、その怒りのぶつける場所も分からず、暴力的な側面も見せています。

一種独特な映画ですので、万人ウケするとは言いませんが、これはアメリカン・ニューシネマ好きな人には
是非ともオススメしたい一作で、決してメイン・ストリームを行く映画ではありませんが、ジョン・ブアマンの才気が
ほとばしるような刺激的なフィルムであり、個人的には彼の監督作品で本作が最も好きな作品でもあります。

本作は一生懸命ストーリーを追っても仕方がないと思うし、ウォーカーの混乱した精神状態を味わう、
“体感映画”なのだと思います。ケン・ラッセルやニコラス・ローグが撮る映画と、ほぼ同じ感覚で観た方がいいです。

ウォーカーがハメられたと感じ、金を取り返しに次々と追い立てる、マルを操っていた謎の組織について、
まったく深掘りしようとしないところも良い。この組織の存在は、言わばマクガフィンで正体など、どうでもいい。
しかし、悪だくみをする組織なだけあって、内ゲバのような裏切りもあり、なかなか素直に金を渡さないなど、
まるで信用ならない連中しかいない組織であることは明らかで、あまり手強い悪党ではないというのは惜しいなぁ。
僕はできることであれば、もう少し組織を手強い屈強な敵として描いた方が、終盤がもっと盛り上がったとは思います。

だからと言って、映画の価値を大きく損なうような難点というわけではなく、
ジョン・ブアマンの最高傑作と言っていいレヴェルの、孤高の存在感を放つ強烈なカリスマであると言っていいと思う。

(上映時間91分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 ジョン・ブアマン
製作 ジャド・バーナード
   ロバート・チャートフ
原作 リチャード・スターク
脚本 アレクサンダー・ジェイコブス
   デビッド・ニューハウス
   レイフ・ニューハウス
撮影 フィリップ・H・ラスロップ
音楽 ジョニー・マンデル
出演 リー・マービン
   アンジー・ディキンソン
   キーナン・ウィン
   キャロル・オコナー
   ジョン・バーノン
   シャロン・アッカー