恐怖のメロディ(1971年アメリカ)

Play Misty For Me

一夜限りの関係と割り切って、一人の女性と肉体関係を結んだラジオDJが
ストーカーに変貌した女性に執拗に付きまとわれ、身の危険を感じるようになる姿を描いたサイコ・サスペンス。

当時、ハリウッドを代表するスターとして確固たる地位を築きつつあったイーストウッドが
師匠と仰ぐセルジオ・レオーネやドン・シーゲルら巨匠たちの仕事ぶりをモデルに監督業に乗り出した初監督作。

本作製作当時は、まだストーカーという言葉が一般に浸透していなかった時代ですし、
本作自体もパラノイアの一種として、ヒッチコックの『サイコ』の延長線上にあるような感覚で描かれたのかもしれない。

しかし、主人公のラジオ番組に“勝手に”運命的な出会いを感じ、
自ら率先して主人公の行きつけのバーに行き彼を待ち伏せし、なんとかして彼を誘惑して家へ“連れ込み”、
念願の肉体関係を結ぶ。すると、一方的に想いを募らせ、嫌がる主人公をよそに、ドンドンと彼の日常に入り込む。
そして、彼女が思うように行かない“妨害”があれば、人が豹変するかのように暴言を浴びせるようになる。

そんな彼女の姿が異様な光景に映った主人公は彼女と距離をとるようにするものの、
なかなか彼女はそのサインを汲み取ってくれず、半ば強引な手段で彼の日常に“土足で”入り込むようになる。
ウザったくなればなるほど強く拒絶するものの、拒絶すればするほど、彼女もまた強硬な手段に移っていく・・・。

これら、本作でイーストウッドが描いたことは、現代社会で言う、まんまストーカーだ。
しかも、勝手に自宅の合鍵を作ったりして、犯罪としか思えない方法で主人公を“征服”しようとするから怖い。
そんなストーカーと化す女性イブリンを演じたジェシカ・ウォルターが、ただただ怖い(笑)。もっと評価されていい芝居だ。

70年代初期としては、ストーキングというかなり先進的な題材を実に的確に描いたことで、
イーストウッドの監督としての株はグッと上がり、やがてはハリウッドを代表する名監督として急成長していきます。

まぁ、まだ傑作と言うには程遠いというのは分かるけれども、これはスゴい監督デビュー作ですよ。
冒頭のただただ静かな空撮から始まって、主人公の自宅へのカットに流れ込み、間髪入れずに出勤、
自宅から離れた市街地にある放送局へ到着する、夜のカットに滑り込んでいく一連のシークエンスは実に魅力的だ。
この軽妙なシーン処理こそ、主人公の良くも悪くも軽いキャラクターを反映しているかのようで、なんとも妙味がある。

イブリンが狂気を見せ始めるカットは、ほとんどヒッチコックのコピーのような感じだけれども、
それでも恐怖心を煽るような暗がり(ロー・キー)から、突如として襲い掛かってくる恐怖なんて、見事なホラー。
これを女性に演じさせるというのも、ある意味ではイーストウッドらしい発想で、当時としては間違いなく斬新。

そもそもが、主人公にしてもおそらくは、数々の女性を“泣かせて”きたことを想起させるくらい、
下心しかないような男で、チョット間違えるとこういう女性問題を抱えるような、古いタイプの典型的な女ったらし。
この女性関係のだらしなさが、如何にもイーストウッドらしい(笑)。これを自身で監督して、演じたのだから尚スゴい。

また、映画の流れも実に良くって、中ダルみせずに執拗に描けたのも素晴らしい。
ジェシカ・ウォルターが見事な芝居で応えてくれたのが大きいが、これはイーストウッドの演出も見事だったと思う。

イブリンがどこまで計算して行動していたのかは分からないが、徹底して主人公にとっては勿論のこと、
観客にとってもストレスフルな存在であり続けたことが大きく、特に主人公が「ビジネスランチだ」と告げていたのに
イブリンが乗り込んできて、主人公の浮気を疑って商談相手の女性を罵倒しまくるシーンは、ゾッとする光景だ。
こうして、主人公も精神的に追い込まれ、どうしたらいいのかが分からなくなってくる状況が、なんとも上手いですね。

ストーキングの恐ろしさは現代社会では浸透してますし、ショッキングな事件もあったので尚更ですが、
本作では陰湿さや執拗さを強調するというよりも、イブリンのヒステリーな部分がエスカレートしてしまって、
彼女の極端な行動の延長線にストーカー行為があるような描かれ方をしていて、これはこれで興味深いものがある。

しかも、本作で描かれる警察もイブリンの恐ろしさを分かっていないのか、逃走した彼女の行方を
本気で調べている感じでもなくユルい感じで、全く頼りにならなさそうな感じに見えるのが、なんとも歯がゆい。

ちなみに劇中、70年の“モントレー・ジャズ・フェスティヴァル”の実際の映像が使われているから驚きだ。
当時からジャズが好きだったイーストウッドが敢えて加えたかったようですが、あまり大きな意味はありません。
とは言え、ロバータ・フラックの曲がガールフレンドとのラブシーンで使われたり、とにかくジャズで埋め尽くされている。
これはイブリンとの一夜限りの関係にも言えることですが、どこかアダルトな雰囲気を残したかったからかもしれません。

ただ、いくらイブリンの異常性が際立っているとは言え、
やっぱりイーストウッド演じる主人公も倫理的に“穴”がある。バーで会ったラジオ番組の常連を名乗る女性と、
いきなり誘惑して肉体関係を結んでしまうくらい、ラジオDJという立場でありながらも脇が甘いことは明白だし、
いざ日常生活にイブリンが入り込んできても、関係が浅い段階でハッキリと彼女を拒まず、テキトーな態度をとる。

これは主人公なりに、「あわよくば・・・」という淀んだ気持ちが、心のどこかにあったことの表れにも見え、
彼のどこか中途半端な態度が、イブリンとの関係をズルズルと悪い意味で引きずったことも、傷を深くした原因と思う。

しかも、頼りにならないとは言え、警察にも真に迫って相談した感じではないし、
自分の部屋でスキャンダルを起こさせることに動揺してしまったのか、映画の後半に入っても中途半端に対応する。
こうなってしまうと、全てが後手に回ってしまうようで、主人公も自分で自分の首を絞めてしまった感が否めない。

よく、「最初が肝心なんだ」と言いますが、本作で描かれるケースも正しくそれが当てはまって、
ストーキングの兆候が見えていたイブリンを“過小評価”してしまったのか、主人公の初期対応は極めて甘かった。
それがイブリンにエスカレートする余地を与え、主人公の身辺を調べ上げて、用意周到に包囲していく時間を与えた。
結果として、家政婦は襲われ、ガールフレンドも危険な目に遭い、自分自身にもイブリンの怒りが向けられるのです。

本作の原作がどこまで深くストーカーの概念に触れていたのかは、僕には分からないけど、
まだまだ社会的な認知が皆無に等しかった70年代初頭に、立派な異性へのストーキングを真正面から描いた、
ただそれだけでも十分な価値はあったのだろうし、何よりイーストウッドが映画監督として評価を得るキッカケになった。

まぁ・・・それだけでも本作には十分な存在価値があるのかもしれませんね。
映画全体としてもコンパクトに上手くまとまっていますし、監督デビュー作としては上出来過ぎるほどだと思う。

ただ、少々、残念に感じたのは映画のラストのイブリンとの攻防のシーンで、これはアッサリし過ぎた。
ダラダラと描く必要はないと思うし、未練がましく愛憎劇を見せる必要もないと思うけど、ただ、これでは盛り上がらない。
突然の襲撃に遭うイーストウッドが、ある種の“鉄拳制裁”のような感じで映画を終わらせるのは、あまりに大雑把。
少しくらいは余韻を残すラストであって欲しかったし、イブリンはもっとしぶとい存在であって欲しかったというのが本音。

イブリンとの対決になるラストなのは明白とは言え、嫌な予感がしてイブリンの狙いが分かり、
怒りと恐怖という、真反対の感情が入り乱れる中、自宅に入る複雑なラストなだけにもっと盛り上げて欲しかったなぁ。
この辺は映画監督として円熟したイーストウッドであれば、本作をどう撮ったのかは気になるところだったけれども。。。

しかし、こんなにもモテる男を堂々と自分の監督作品で演じれてしまうイーストウッドは何気にスゴい。
やっぱり、気恥ずかしさみたいなものを感じさせない。日本人にはなかなか成り切れない境地かもしれない。
そして前述した、最後のイーストウッドの“鉄拳制裁”一発で解決させる力技も、イーストウッドにしかできない。
(そうそう、カメラを担当したブルース・サーティースも実に素晴らしい仕事ぶりだと思います!)

初監督作品なので、ああすれば良かった、こうすれば良かったと思える点はあるのだけれども、
さすがは名監督イーストウッド。監督デビュー作から、実に堂々たる演出ぶりで先駆性もある優れた作品だ。

そりゃ87年の『危険な情事』に影響を与えた部分は大きいのかもしれないけれども、
映画の方向性としてはやや違う気がします。徐々に人の家庭に土足で入り込んで全てを手にしようとする、
女性ストーカーを描いた『危険な情事』に対して、本作は“いきなり”土足で入り込んでくる勘違いストーカーです。

それゆえか、イーストウッドの「なんだコイツは・・・」と言わんばかりの表情が、妙に忘れ難い(笑)。

(上映時間102分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 クリント・イーストウッド
製作 ロバート・デイリー
原作 ジョー・ヘイムズ
脚本 ディーン・リーズナー
   ジョー・ヘイムズ
撮影 ブルース・サーティース
音楽 ディー・バートン
出演 クリント・イーストウッド
   ジェシカ・ウォルター
   ドナ・ミルズ
   ジョン・ラーチ
   ドン・シーゲル
   ジャック・ギン