荒野の用心棒(1964年イタリア)

Per Un Pugno Didollari

黒澤 明が撮った『用心棒』をモチーフとして、
物語の舞台を西部劇に置き換えて、イタリア映画界の巨匠セルジオ・レオーネが
それまではハリウッドの虎の巻だった西部劇を、独自の解釈を交えた綴った名作。

アメリカではテレビ俳優として活躍していたクリント・イーストウッドが
映画俳優として注目されるキッカケとなった作品であり、イタリア製西部劇である、
通称マカロニ・ウエスタンが世界的に注目される存在とした、ある意味で金字塔的作品でもあります。

本作観た黒澤 明は、自分に無断でイタリアで映画化されていたことに激怒し、
当時は「盗作だ!」として裁判沙汰になったのですが、これは正直言って、似て非なる映画という印象だ。

確かに物語はほぼコピーなので、裁判沙汰になるのは仕方ない話しかもしれませんが、
正直言って、これぐらいのコピーならば、最近の映画界ではかなり横行している。
おそらくセルジオ・レオーネも『用心棒』を事前に観て、インスピレーションを得たのは事実でしょうけど、
各シーンの撮り方、アングルまでソックリなら「盗作だ!」という主張は分からなくはないけど、
いざ観てみてると、案外、そこまで一緒ではない。ただ、リスペクトの意を込めて、クレジットすべきだったと思うけど。

まぁ、クリント・イーストウッドは本作に出演しなければ、
おそらく現在の地位は築けていないだろうと思えるぐらい、本作は大きな映画だったと思う。

当然、世界的なヒットとなった影響で、翌年には『夕陽のガンマン』が製作されたし、
イーストウッド自身、マカロニ・ウエスタンで成功した“映画俳優”として、見事、ハリウッドに凱旋しました。
それ以上に、生涯の師の一人として彼が仰ぐ、セルジオ・レオーネとの出会いは大きかったでしょうね。

ただ、敢えて、言わせてもらうと、僕は本作をそこまでの傑作だとは思わない。
正直に白状すると、翌年の『夕陽のガンマン』の方が凄い映画だと思うし、僕の好みの映画だ。
けれども、過剰にフォローするつもりはないけど、本作があったからこその『夕陽のガンマン』だと思う。
そう考えると、本作の存在を軽視する気はないし、評価されて然るべき作品だということは否定できません。

90年に製作された『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』でもクローズアップされた、
有名なクライマックスでの対決シーンがあるのですが、分かり切ったシーンとは言えど、
何度観ても、一連のシーン演出で実現した緊張感については、出色の出来と言っていいだろう。

そういう意味では、この映画の強みはジャン・マリア・ボロンテの悪役の造形だろう。
この執拗な悪役ぶりは、『夕陽のガンマン』への布石と言ってもいいし、いくら非情な西部劇の世界とは言え、
ここまで極悪非道かつ執拗な悪役キャラクターは、当時の西部劇ではあまり描かれなかった存在だ。
(どうしても西部劇と言えば、悪役も引き立てて描いていた傾向は強かったと思う)

セルジオ・レオーネの名前を一躍、有名にさせたのも本作であることを考えると、
やはり映画の出来とはまた別なところで、本作の価値を評価する部分があると言わざるをえないと思う。

この映画の主人公はクリント・イーストウッド演じる名無しの流れ者ですが、
このミステリアスな主人公という位置づけは、イーストウッドが後年の西部劇で頑として演じ続けた、
定型なキャラクターであり、全ての原点は本作にあると言ってもいいのかもしれませんが、
強いて言えば、本作で彼が演じた流れ者は早撃ちガンマンとしての腕は確かに一流なようですが、
荒くれたちと対決するという意味では、どうもスマートに狙いを仕留められないようで、
実にアッサリと危機に瀕して、リンチされてしまったり、どうも絶大な信頼を置けるというタイプではないようだ。

これは後年にイーストウッドが自身で監督して、自身で演じた西部劇では
若干の修正というか上書きが行われたようで、やたらと町の女性にモテたり、やたらと腕っぷしが強かったりと、
本作で表現できなかった部分が、イーストウッドのナルシズムを全開にさせる原動力になっていたのかも(笑)。

おそらくセルジオ・レオーネも敢えて彼を完璧なキャラクターではなく、
人間的な部分も残して描きたかったようで、この辺は黒澤 明の『用心棒』とのチョットした差別化かな。
だからこそ『用心棒』では強烈な表現として大きな話題となった、クライマックスでの活劇シーンで、
首付近の頸動脈を斬って、文字通りの血飛沫が飛び乱れるという、ステレオタイプな演出を踏襲せずに、
本作のクライマックスでは一転して、ハリウッド潮流の正統派な西部劇の空気感を尊重している。

この辺にセルジオ・レオーネのディレクターとしての意図はあったのではないだろうか。

ちなみに、かの有名なラストの対決シーンにしても、
「それは言わない約束でしょ!」ってやつですが(笑)、頭をブチ抜かれたらどうすんだって思えたりと、
この映画の中には色々とツッコミどころがあるのは事実。しかし、セルジオ・レオーネの映画って、いっつもそう。
彼の監督作品って、常にどこか隙を作ってあって、偶然なのかもしれませんが、それがまた絶妙なんです(笑)。

映画の雰囲気づくりなど、もっと総合的な力を持ってはいないけど、
本作の時点でセルジオ・レオーネの映像作家としてのカラーは、色濃く反映された作品だと思います。

どうやら、イーストウッドは最初からキャスティングされていたわけではなく、
当初、セルジオ・レオーネはヘンリー・フォンダをイメージしていたらしいのですが、
これはヘンリー・フォンダには合わない役柄でしょうね。主人公をもっと好漢らしく演じてしまっていたと思います。
まだ若くてギラギラした部分が多くあったイーストウッドだったからこそ、映えたキャラクターだと思うんですよね。

当初の計画通りに撮影された映画ではないでしょうけど、
それでも色々な必然と偶然に恵まれた作品と言っていいし、それに加えてセルジオ・レオーネの確かな手腕です。
やはり本作は成功するべくして成功した作品でしたね。これぞマカロニ・ウエスタンの代名詞って感じです。

エンニオ・モリコーネの作曲したミュージック・テーマも実に素晴らしく、
本作以降、彼の楽曲は当然ですが、多くのマカロニ・ウエスタンでモデルとなった曲調ですね。

そういう意味でも、本作はパイオニアだったということなのでしょう。
多くの面で本作は、一つの標準になった映画であり、映画史にその名を残す名作と言ってもいいのかもしれません。

(上映時間100分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 セルジオ・レオーネ
脚本 セルジオ・レオーネ
    ドゥッチオ・テッサリ
    ヴィクトル・A・カテナ
    ハイメ・コマス
撮影 ジャック・ダルマース
音楽 エンニオ・モリコーネ
出演 クリント・イーストウッド
    ジャン・マリア・ボロンテ
    マリアンネ・コッホ
    ヨゼフ・エッガー
    マルガリータ・ロサーノ