荒野の用心棒(1964年イタリア)

Per Un Pugno Didollari

黒澤 明の『用心棒』をイタリア映画界のセルジオ・レオーネが西部劇に置き換えて製作した名画。

それまではアメリカでTVシリーズ『ローハイド』の主演俳優として知られていたイーストウッドでしたが、
本作でイタリアへ渡って、事実上の“逆輸入西部劇スター”としてブレイクするキッカケとなった作品でもあります。

まぁ、『用心棒』とそこまで酷似しているようには思えなかったが、映画の土台は一緒ということだろう。
そんなことを言えば、本作以外にも多くの西部劇が先行する類似作品があるような気もしますけど、
結果的に本作が『用心棒』からオマージュを受けて、黒澤自身の許諾を得ていなかったことから裁判沙汰になり、
黒澤側が勝訴し、本作のプロダクション側が謝罪するということに至ってますが、裁判になればそうなってしまうだろう。

本作のセルジオ・レオーネはやっぱりキレ味鋭く、実に良い演出をしているが最高の出来ではないかなぁ。
本作の後にイーストウッドと組んで製作した『夕陽のガンマン』の方が僕は好みのタイプの映画なのですが、
決して悪い出来ではなく、本作以降のイーストウッドとの三部作が“ドル箱”と呼ばれたくらいヒットしたとのこと。

敵対するジャン・マリア・ボロンテのキャラクター造詣も素晴らしく、悪党らしい悪党でたのもしさすら感じさせる。
そこに終始、寡黙な流れ者である主人公が絡んでくるのですが、ミステリアスなヒーローで一筋縄にはいかない。
こういったスタイルはイーストウッドの一つのフォーマットとなったわけで、本作で確立したのはとても大きかっただろう。

映画の冒頭から、イーストウッド演じる主人公は監禁されている女性に邪(よこしま)な視線を送っている。
しかし、子どもが泣きながら監禁される部屋の入口に入っていくのを見て、すぐに主人公は状況を察します。
監禁している悪党たちは、子どもに向けて銃を撃ち、子どもを追い払う始末。いつ撃たれるかとハラハラする冒頭だ。
64年当時、このようなシーンから始まる映画自体、希少であった気がしますしか、かなり挑戦的な内容ではありました。

この主人公は典型的な流れ者として描かれ、劇中、最後の最後まで彼の名前は明かされることはありません。
彼自身も名乗らないし、余計なことを喋りません。この不可解さが主人公が悪党なのか好漢なのかが分からない。
その不明瞭なキャラクターが映画を魅力的なものにしているのですが、徐々に彼の本性が明らかになっていきます。

クライマックスの悪党との一騎打ちが本作最大の見せ場ではありますが、
これは『バック・トゥ・ザ・フューチャーPARTV』でパロディされたので有名になったわけであって、
個人的にはその1つ前の拷問にあった主人公が、アジトに火を点けて脱出するエピソードの方が迫力があったと思う。

もっとも、クライマックスの一騎打ちは何度観ても「どうして頭を狙わないんだ(笑)」とツッコミを入れたくなってしまう。
まぁ、被弾すること自体、スゴい衝撃だと思いますが...1回撃って不思議に思わない悪党が賢くなく見えてしまう。

それよりは前述したように、悪党たちに監禁されて拷問にあってボロボロになった主人公が
命からがら知恵を絞って逃げ出すシーンの方が見どころとなっていて、ド派手に焼き払ってしまう豪快さが印象的。
セルジオ・レオーネの演出もこっちの方が気合入っているように見え、デカい樽が落ちてくるのも迫力がありますね。

ただ、どうしても僕の中では気になっているのですが、やはり後に続く『夕陽のガンマン』などと比べると、
映画としてのカリスマ性、異様さ、その全ての点で劣るような気がする。「これはフツーの映画じゃない」とする、
何とも言えない威圧的な空気感が弱く、まだセルジオ・レオーネの個性が出切っていないような気がしてならない。
それはやっぱり映画のクライマックスの悪党との一騎打ちが今一つで、もっとネチっこさがあっても良かったと思う。

やはりマカロニ・ウエスタンとは、もっと一種独特な雰囲気を持つ映画であって欲しいという、
僕の勝手な決めつけがあるせいかとは思うのですが、あまりにフツーな感じで映画が終わってしまうのが勿体ない。

あと、もう一つ言えるのはイーストウッドにもう少し思慮深い部分を描いた方が良かったとは思います。
ここは黒澤の『用心棒』で描かれた主人公像との違いだと思う。どこか行き当たりバッタリな感じに見えなくはない。
色々とやりたい放題のジャン・マリア・ボロンテに対抗するにあたって、何か考えがあるかのように描いた方が
主人公の賢さを象徴できたのですがね。正直、主人公の描き方は黒澤の『用心棒』の方が良かったとは思います。

とは言え、本作が世界的に大ヒットとなったおかげでイタリア映画界で作られる西部劇が
日本ではマカロニ・ウエスタンと称して紹介され、世界的に大ヒットとなり、幾つもの映画が誕生したことは大きい。
セルジオ・レオーネはマカロニ・ウエスタンから飛び出してきた巨匠ですが、本作はターニング・ポイントとなった作品だ。

本作が無ければ、イーストウッドも世界的なスターとはならなかっただろうし、
そう思うと本作製作にあたって、作り手も参考にしたという黒澤の『用心棒』という映画はスゴい影響力だと思った。
『用心棒』が作られていなかったら、ひょっとすると60年代以降の映画界の動静は変わっていたかもしれない。

イーストウッドは結構、亭主関白な人だと思うので(笑)、いつものイーストウッドの調子なら
彼にとって何か見返りがないと人助けすることなんて考えられない。本作もそうなのかなと思いきや、
本作のイーストウッドは何を考えているのか分からない不気味さを匂わせながらも、結局は優しく逃がしてあげる。
(思わずいつものイーストウッドの調子ではないかと、何故か冷や冷やさせられました・・・)

そう、本作でイーストウッドが演じる主人公は無敵の用心棒というわけではない。
あまり思慮深くないせいか、アッサリとピンチに陥ってしまいますし、前述したようにリンチにあって瀕死の重傷を負う。
そう思って観ると、決して安心して観れるタイプの主人公というわけでもないし、人間らしいと言えば人間らしい。
不気味な雰囲気もなくはないのですが、イーストウッドにしては珍しいぐらいに平凡さを感じる作品ではあります。

本作製作当時としては、刺激的なニュアンスを含んだ作品だったとは思います。
この辺はニューシネマ・ムーブメントが先行していたヨーロッパ資本の方が、理解を得られ易かったでしょう。
今の感覚で観ると普通な西部劇ではありますけど、幼い子どものいる母親を悪党連中は監禁しているという設定自体、
かなりタブーに近い描写だったと思うのですが、ジャン・マリア・ボロンテ演じる悪党も欲にまみれた悪党という感じだ。

セルジオ・レオーネは当初、ヘンリー・フォンダ主演で本作を撮りたかったらしいのですが、
本作の主人公にヘンリー・フォンダは似合わないかも。本作はイーストウッドが主演で正解だったと思います。

やっぱり、この無法者の世界で世直しするにはヘンリー・フォンダでは真面目過ぎるような気がします。
当時のイーストウッドくらい何考えているのか分からない雰囲気を出せる役者でなければ、こういうテイストは出ない。
おそらく本作でイーストウッドが演じた主人公の造詣は、後年のイーストウッドの“鉄板キャラ”の素になったと思います。

ヘンリー・フォンダのような老練なスターには出せない、若くてギラギラしたような精気溢れる空気感。
それでいて、キレイな正義というわけではなく、どこか屈折したものを感じさせるキャラクターでその塩梅が絶妙だ。
そういう一筋縄ではいかないイーストウッド流の正義みたいなものを、彼は映画の中で表現し続けてましたからね。

これまでのハリウッド製の西部劇ではゴールド・ラッシュとか、パイオニア・スピリッツとか、
そういった開拓者精神や昔気質な頑固さのぶつかり合いのようなものをシンプルに描き続けていましたが、
本作は一切そんなことお構いなしで、悪さの限りを尽くす連中に謎の男が戦いを挑む、ただそれだけを描きます。
そこにあるのは男同士のプライドでも、何か強い信念があるわけでもなく、どこか本能的なものとして描かれています。

主人公も聖人君子ではなさそうなんだけど、決して金など何かが欲しくて悪党連中に対抗するわけではない。
流れ者なんで何か目的がありそうなんだけど、その目的がよく分からないからこそ、ミステリアスに感じられるもの。
そんな不可解さをセルジオ・レオーネは利用している感じがして、この辺は『用心棒』よりも一歩踏み込んでいるかも。

結果的にイーストウッドは本作からセルジオ・レオーネに師事する形となり、映画製作を学びます。
イーストウッド自身も語っていましたが、セルジオ・レオーネとドン・シーゲルは映画監督としてのお手本であるようです。

正直、僕は本作をそこまで大傑作とは思っていないにしろ、それでもキッカケとしてはとても重要な作品だと思います。
なんせ、本作がヒットしなければマロニ・ウエスタンのブームなんか起こらなかったし、イーストウッドもブレイクせず、
セルジオ・レオーネ自身もイタリア映画界の巨匠として評価されることもなかったのではないかと思えてなりません。

そう思って本作を観ると、こういうキッカケって運命をも変える可能性のある重要なポイントなんですよね。

(上映時間100分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 セルジオ・レオーネ
脚本 セルジオ・レオーネ
   ドゥッチオ・テッサリ
   ヴィクトル・A・カテナ
   ハイメ・コマス
撮影 ジャック・ダルマース
音楽 エンニオ・モリコーネ
出演 クリント・イーストウッド
   ジャン・マリア・ボロンテ
   マリアンネ・コッホ
   ヨゼフ・エッガー
   マルガリータ・ロサーノ