ペイ・フォワード 可能の王国(2000年アメリカ)
Pay It Forward
3人の他人に“善いこと”をするという条件で、車を事故で失って困っていた新聞記者が
1台のジャガーを弁護士からもらったことがキッカケで、この善行を送っていくという活動の発端が
ラスベガスに暮らす小学生が授業で発表したアイデアにあったことを知り、記事にする姿を描いたヒューマン・ドラマ。
監督はTV界出身で『ディープ・インパクト』をヒットさせた女流監督のミミ・レダーですが、
劇場公開当時から賛否の分かれる作品でした。今まで何度か観た作品ではあるのですが、僕はどうにもノレない。
と言うか、子どもたちにもダーク・サイドな部分はあると思うし、こういうことがあるというのは理解できるし、
別にハッピー・エンドでなければならないとは思わない。だけど、こういう子どもたちのダーク・サイドを敢えて、
この映画の中でぶつけようとする作り手の発想と感覚は、僕にはどうしても受け入れられない。正直、理解不能だ。
そういう意味で、僕は本作に全く賛同できないし、この先、何度観ることがあっても大きく感想は変わらないと思う。
こういうのは衝撃のラストシーンとは言わないと思うし、例え原作がそうなっていたとしても、
もっと違った映像化の仕方があったのではないかと思うし、ラストの少し前から急速に怪しい雰囲気に包まれ、
映画が暴走していく様相に、思わず作り手に「やめろ〜!」と心の中で叫んでいたような気がします。
子役時代のハーレイ・ジョエル・オスメントも、シングルマザーとして頑張るヘレン・ハントも、
心に傷を負った小学校教師を控え目に演じたケビン・スペイシーも、全員好演で良いキャスティングだったと思います。
映画としては「善行が必ずしも、善行で返ってくるわけではない」とでも言いたかったのかもしれないけど、
よく「善意の押し売り」と言ってしまうこともありますけど、自分では“善いこと”だと思っていても、
必ずしも他人にとって“善いこと”であることとは限らない。つまり、自分では“善いこと”をしたと思っていても、
それはあくまで自分がそう思っているだけで、受け手がそう思っていないかもしれない。ただの自己満足かもしれない。
偽善的に感じられた面があったのも否定はしないけど、僕はそんなことよりも本作の主張を
敢えて子どもたちのダーク・サイドな部分を強調することで無理矢理に帰結させる感覚が、理解できないのです。
しかし、それを敢えて包み隠さず、そのまま剥き出しで描くというデリカシーの無さ。僕にはどうしても受け入れられない。
もう一つ言えば、主人公の少年が困ったホームレスを家に招き入れて、母親に無断で食事を食べさせて、
車庫に彼を泊めるというエピソードがありますけど、これも通常では全く理解できない出来事と言っていいだろう。
これを善行と表現していいのかも分からないし、結局は自己満足なのではないかという問題提起にも感じる。
でも、おそらくミミ・レダーはそんなつもりで描いてはいないでしょう。だから、余計に気になるのですよね。。。
そして、映画の前半を敢えて、時間軸をズラして描いた理由がよく分からない。
新聞記者のエピソードと、小学生がアイデアを思い付くに至るまでのエピソードは、明らかに時間軸が異なっていて、
相互のエピソードが混在しながら物語を進めていくので、チョット混乱させられる。その意図もよく分からないのです。
もっとシンプルにストレートに描けばいいのにと、ずっと思っていたんですよね。
だって、映画のラストで子どもたちの暴走を、明け透けにストレートに描くのですから、一貫すればいいのです。
余計な小細工に見えてしまって、これもまた映画を壊していると感じる。故に、僕はどうしても本作を肯定的に観れない。
今は少し本作を冷静に観れてはいますけど(笑)、本作を珍しく映画館で観ていたので、
当時は「なんでこんな描き方をするんだ!」とスゴい憤慨してしまって、冷静になれなかったことを思い出します(笑)。
もっとも、本作を日本で劇場公開するときの触れ込みが、感動作っぽい扱いだったので
いざ本編を観てみたら、結構なトンデモ系な内容でビックリさせられ、そのギャップを自分の中で埋められなかった。
当時は『シックス・センス』の世界的な大ヒットの影響もあって、ハーレイ・ジョエル・オスメントが出演というだけで
映画には大きな話題性が加わっていたので、本作も大ヒットが期待されていただけに、これは残念な内容でした・・・。
本作の原作者であるキャサリン・ライアン・ハイドはこの“ペイ・フォワード”の活動を推進する、
非営利団体の代表らしいのですが、この内容の原作でこの活動を肯定的に展開する立場なのが意外ですねぇ・・・。
善意を他者に渡していくという発想で、ねずみ算式に善意が拡がっていくという構図は面白いけど、
それも性善説に従えば良い方向に向かうけれども、残念ながら必ずしもそうはならないという教訓はあります。
だから、本作の原作ってそういう教訓を主張しているのかと思いきや、実際にそういう非営利団体があって、
その代表者がこの原作本を執筆していたという事実が驚きなんですね。だったら、もっと肯定的に描いたらいいのに。
大人の目線からしても、自身の教え子や我が子が考えたユートピア的な発想から、
世の中の大人たちも巻き込んで、活動の規模が大きくなっていくことに驚きを禁じ得ないとは思うが、
それでも善意が拡がって、社会が良くなることに期待感は大きかったものの、心配していた“落とし穴”が待っていた。
あまりに酷な現実を叩きつけられるということは起こり得ることですが、僕は正直言って、観たくない展開だったなぁ。
正直、本作が感動作である必要はないし、ハッピーエンドでなくても良い。
しかし、子どもの悪意を最悪な形で何のためらいもなく、サラッと描けてしまう作り手の感覚に疑問を持っています。
繰り返しになりますが、こういう“事件”は現実に起こっています。しかし、描き方というものがあるだろう・・・ということ。
本作のミミ・レダーは何か大きな勘違いをしているような気がしてならない。
彼女にとっては、本作の主題は報われないことだったり、暴力であったりしたのかもしれないが、
その作り手の意図を汲んだとしても、どうしても僕にはこの映画は受け入れ難いものを感じてならないのですよね。
ハッキリ言って、アルコール依存症の父を演じたジョン・ボン・ジョビも存在意義が分からない。
あまりに出番が少な過ぎでしょう。しかも、中途半端に家の中で暴れて、実にアッサリと退場してしまうし。
当時はジョン・ボン・ジョビも俳優業に力を入れていた時期でしたから、本作でも存在感バリバリなのかと思いきや、
自分の勝手な想像以上にチョイ役のような扱いで、どうせならケビン・スペイシーとケンカでもして欲しかった(苦笑)。
なかなかアルコールと縁が切れずに、家族に粗暴な振る舞いを繰り返している、
迷惑な人間はそう簡単に改心するわけもなく、ビックリするぐらいすぐに本性を見せるのですが、これは想像通り。
せっかくジョン・ボン・ジョビをキャスティングしたのですから、多少脚色してでも、もっと目立たせて欲しかったなぁ。
ハッキリ言って、こんな程度の扱いならばジョン・ボン・ジョビでなくとも十分に務まったようなキャラクターで残念。
他人の善意を受け取るというのも、現代社会では怖い話しのような気がする。
「タダより安いものはない」とはよく言ったもので、本作のように困ったところで高級車のジャガーをもらっちゃうなんて、
絶対に裏があると思って疑いの目を持った方がいいレヴェルだ。それもアッサリ受け入れるなんて、究極の性善説だ。
そういう意味では、本作は性善説で成り立つ世界をユートピア的にドラスティックに表現したのかもしれない。
しかし、少なくともミミ・レダーは“ペイ・フォワード”活動の弱点を指摘するかの如く、性善説で押し通して、
結局は「世の中は性悪説で見なければ、自分は守れない」とする、言わば性善説に対するアンチテーゼなのかも。
そう解釈すると、本作は意味深長な映画なのかもしれませんが、そうであっても、このラストは自分の中ではないなぁ。
実際に子どもが凶悪事件の被害者になったり、成年前の少年・少女が加害者になるケースも多くある。
これらはなかなか根絶できないのかもしれない。だからこそ、僕は映画の世界ではこういうのは観たくない。
過剰に反応し過ぎなのかもしれないけど、子どもたちの世界が過剰に醜悪に描くことに賛同はできないし、
これを「リアルな感覚の映画だ」なんて言ってはいけないと思う。これは大人としての良識の問題にも関わること。
本作のことを好きな人には申し訳ないけど、僕はこの映画の主旨や描写に全く賛同ができない。
ハーレイ・ジョエル・オスメントの子役時代は確かにスゴくて、本作の頃は一つのピークでしたが、
上手く大人の俳優に転換できずに、苦しみました。しかし、本作を観れば、彼の実力もまた明らかなものです。
それから、少年の祖母を演じたアンジー・ディキンソン、久しぶりに映画で観ましたね。
欲を言えば、彼女には映画のもっと早い段階からスポットライトを当てて欲しかったなぁ。なんだか勿体ない・・・。
(上映時間123分)
私の採点★★☆☆☆☆☆☆☆☆〜2点
監督 ミミ・レダー
製作 ピーター・エイブラムス
ロバート・L・レヴィ
スティーブン・ルーサー
原作 キャサリン・ライアン・ハイド
脚本 レスリー・ディクソン
撮影 オリバー・ステイプルトン
音楽 トーマス・ニューマン
出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント
ケビン・スペイシー
ヘレン・ハント
ジム・カビーゼル
ジョン・ボン・ジョビ
ジェイ・モーア
アンジー・ディキンソン
ショーン・パイフロム