ペイ・フォワード 可能の王国(2000年アメリカ)

Pay It Forward

あまり、観た映画を貶すようなことは言いたくはないのだが・・・

僕は映画を観ることがとても好きなので、どんなに自分の性根に合わない作品だったとしても、
どこか一つは良いところを捉えたいと思っているし、観たことを後悔などしないと心に決めている。

いや、別に本作がその“マイルール”を破った映画だということではないのですが、
どうにもこの映画は好きになれない。劇場公開当時も珍しく、当時、映画館で鑑賞した作品の一本で、
今回、約15年ぶりに再鑑賞したのですが、あのときと大きく印象が変わることがなく、
相変わらず、どうしようもないほど居心地の悪い映画で、特に賛否が分かれたラストは醜悪とさえ感じる。

観た人なら分かると思うけど、この映画はラスト10分間で急転直下してしまう。

おそらく監督のミミ・レダーもドラマ性を大事にしていたのだろうし、
各プロットを丁寧につなげて、決して完璧な映画ではないにしろ、気配りは感じられたので、
やはり前作『ディープ・インパクト』の反省を活かして、本作を撮ったことは十分に伝わってくる。

しかし、この映画のラストは僕はありえないぐらい、映画をダメにしたと思う。

あくまで脚本があるので、確かにミミ・レダーは忠実に撮ったのかもしれない。
しかし、本編を観た率直な印象は、この急転直下なラストの展開には違和感を感じずにはいられなかった。
それどころか、観客であったはずの僕自身が、何度観てもこのラストには居心地の悪さを感じる。

まるで「善意は必ずしも、善意として返ってくるわけではない」と言わんばかりのラストで、
勿論、誰しも他人への善行を捧げても、決して見返りありきで善行を捧げるわけではないと思う。
むしろ見返りを期待している、或いは見返りを伴うことはマナーとかと思っている人の行いは、
そうやって見返りを目論んでいる時点で、真の意味での「善行」にはなっていない矛盾を考えてもらいたい。

作り手の主張、描きたかったことは、もの凄くよく分かる。
かなり極端な例ではあるが、それを前提として作り手も描いていることは、映画を観て強く感じる。

でも、正直に白状すると、僕はラストのドンデン返しを予感させる雰囲気が出てきた、
クライマックス10分前のシーンから、思わず心の中で「やめろ!」とこの映画の作り手に叫んでいた(笑)。
それは、あまりにドラスティックな展開にすると、映画の価値を悪い意味で、根本からブチ壊すと感じていたからだ。

勘違いして欲しくはない。ミミ・レダーという映画監督は確実に成長しています。
ナンダカンダ言って、一つ一つのシーン演出に彼女らしい、気配りが随所に出ています。
しかし・・・だからこそ、このようなラストはやめて欲しかった。これで僕はどうしても本作を冷静に観ることができない。
最近の映画界でも、ここまでラストでブチ壊す事例が少なくなっているので、ある意味では珍しい作品だと思います。

特にどう視点を変えて考えてみても、子供をこういう扱いにすること自体、個人的には反対なのです。

思わず、「どうしてこんなことをするのだろうか?」と疑問を感じずにはいられません。
正直言って、こういう悪意とも解釈できてしまうような、悪い意味での残酷さを平然と描けるあたりに、
この映画が好きな人には、たいへん申し訳ない言い方だけれども、この映画の作り手の良識を疑いたくなる。

確かに劇場公開当時、ハリウッドを代表する子役スターとして、
彼の出演作品は次から次へとヒットとなった、ハーレイ・ジョエル・オスメントの芝居は凄い。
やはり何度観ても、当時の彼の存在感は通常の子役とは大きく異なるオーラを感じさせる。

しかし、本作は明らかに内容に問題があるというか、
シナリオの時点でこれだけ賛否両論になってしまう時点で、この手の映画としては苦しいですね。

僕の記憶が確かなら、劇場公開当時、アカデミー賞最有力との触れ込みで
日本でも宣伝されていましたが、ほぼほぼ映画賞レースで無視された形で終わってしまいました。
配給会社としても、特に全米での劇場公開時期を思うと、映画賞レースに絡むことが期待されていたのでしょうが、
ほとんど話題にならずに終わってしまったのは、やはりこの内容が足を引っ張ってしまったことが否めないと思う。

正直言って、この辺をしっかりコントロールするのは、
ミミ・レダーの責任だと思うのですが、やはりこういったバランス感覚は大事にして欲しい。

ちなみに実際に“ペイ・フォワード”という運動は、全米で大きなムーブメントとなって、
スターバックス・コーヒーなどで誰かにコーヒーを奢るということが、善意の連鎖反応につながるとして、
世界的に注目を集め、アメリカだけではなく世界各国で広がる運動にまで発展したのです。
これこそ劇中のシモネット先生が言った、「世界を変えるとしたら、一体何をする?」という問いかけへの答えですね。

原作者のキャサリン・ライアン・ハイドは、この“ペイ・フォワード”を推進する、
非営利組織の財団の代表者らしいのですが、さすがに何をどう主張したいのかサッパリ分からなかった。

少なくとも、財団の宣伝をしたい本音もあるのだろうけど、
あまり露骨に宣伝することもできず、中途半端に描いていたところ、終盤で一気にこの活動の尊さを主張した感じ。
言ってしまえば、ねずみ講なのですが、まぁ法には触れない内容だし、善意のねずみ講なら良いとは思う。

けれども、何故に映画の終盤に急激に冷めたように現実の厳しさを描くのですが、
結局、クライマックスでまるでファンタジーであるかのように、人々の善意の尊さを象徴させ、
それらにまるで魅せられたかのように、感動しているかのように描くのですが、敢えて厳しい現実を
見せるのであれば、思わず「ホントにそんな感動に浸ることができる状況なのだろうか?」と疑問を感じてしまう。

ある意味で暴力の連鎖を止めることを主張するラストでもあるのですが、
まるで“ペイ・フォワード”の活動に参加していれば、こうはならなかったばりに善意の尊さを描くのには無理がある。
これは性善説と性悪説の違いなのかもしれませんが、それにしてもあまりに話しに無理があるだろう。

ミミ・レダーもこの原作の主張を越えるような主張を、
何か一つでも本作の中で描くことができたのか、今一度、しっかりと見直して欲しいし、
個人的にはこのような映画が量産されるようなことにはならないで欲しいと、切に願っております。

どうでもいいけど・・・
突然、見知らぬオッサンから「オレのジャガーをやるよ」なんて言われたって、
後で何かあっても嫌だし、あまりに気持ち悪いので、絶対に受け取らないなぁ(笑)。

(上映時間123分)

私の採点★★☆☆☆☆☆☆☆☆〜2点

監督 ミミ・レダー
製作 ピーター・エイブラムス
    ロバート・L・レヴィ
    スティーブン・ルーサー
原作 キャサリン・ライアン・ハイド
脚本 レスリー・ディクソン
撮影 オリバー・ステイプルトン
音楽 トーマス・ニューマン
出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント
    ケビン・スペイシー
    ヘレン・ハント
    ジム・カビーゼル
    ジョン・ボン・ジョビ
    ジェイ・モーア
    アンジー・ディキンソン
    ショーン・パイフロム