パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー(1998年アメリカ)

Patch Adams

ヒロインと思われたモニカ・ポッターの扱いが酷かったので、
個人的には不満があるんだけど(笑)、実話を基にした物語ということを考慮すると、
まるで逸話の裏には、必ずと言っていいほど悲劇があると言わんばかりなのかもしれません。

70年代、かつて精神を病んで入院していたことがキッカケで、
医学の道を志すようになったパッチという、患者への精神的なケアを優先させたい男性を主人公に、
古くからある因習と闘いながらも、周囲の友人たちを触発しながら、医大を卒業して医師免許取得のために
奮闘する姿を、これまではコメディ映画を主体に撮ってきたトム・シャドヤックが描く、伝記映画。

描いている内容は、パッチという医師志望の男の物語なだけに、
共感性は無視できない映画だとは思うのですが、本作はその点でやや不器用な印象だ。

やはりパッチ自身の志が、いくら尊いものであったとしても、
頑固までのパッチのやり方は、医師を目指す、言わば社会人一歩手前の男の生き方として、
まるで「テストで点はとって、優秀なんだから、自分の信念に意見しないでください」というほどの芯の強さがあって、
日本的な発想からいけば、“その水に慣れる”ことの重要性を認識する感性には、共感を得難い部分もあるだろう。

ちなみに実在のパッチは22歳のときに医大へ進学し、成績優秀で4年で卒業している。
卒業後は映画の中でも語られていた、“ゲスントハイト・インスティテュート”を設立して、
無料で医療を受けられる施設を運営していたようで、その後は啓蒙のために講演活動を行っているらしい。

実在のパッチをロビン・ウィリアムスがどこまで再現できているのかは分からないけど、
破天荒なキャラクターで、底抜けに明るく振る舞い、体制に立ち向かう姿は彼にピッタリのキャラクターですね。

しかし、前述したように、せっかくのモニカ・ポッターの扱いが酷い。
この扱いの悪さは、ショッキングという言葉では語り尽せないくらい、作り手のセンスを疑いたくなる。
別に監督のトム・シャドヤックに能力がないわけではないと思うし、本作の出来自体が悪いとは思わない。
しかし、映画の中で成功を描くために犠牲となるものを描くこと“ありき”になり過ぎてしまったようで、
仮にこれが実話であったとしても、あまりに性急な展開に映画が安っぽく見えてしまったのは否定できません。

彼女をもっとしっかりと描けていれば、映画はもっと良くなったであろうし、
例え同じ結末であったとしても、アプローチが少しでも違っていれば、映画の印象は変わったでしょう。
それくらい、本作に於けるモニカ・ポッターの存在って大きかったと思うし、やっぱり映画の中で
最初にフレーム・インした瞬間に、一気に観客の関心を惹くくらいの強さのある、インパクトのある女優さんだと思う。

それが、こんなに安直なストーリー展開のネタに使われてしまったなんて、ありえない扱いだ。

それにしても、映画の序盤でロビン・ウィリアムスが最初に大学に入学して、
ルームメイトになる同級生を演じるフィリップ・シーモア・ホフマンと会話を交わすシーンが妙に印象深い。
と言うのも、2人は同じ2014年に他界しており、フィリップ・シーモア・ホフマンは薬物中毒の末の死であり、
ロビン・ウィリアムスは自身の抱える病に悩み、自殺を遂げている。そんな2人が、同じ部屋で会話を交わすなんて、
僕はこの映画を観ていて、どこか数奇な運命というものを感じずにはいられなかったですね。

撮影当時は、当然、このような彼らの最期を予期などしていなかったでしょうけど、
トム・シャドヤックもどこか特別な雰囲気を持って描いているような気がして、なんだか不思議な感覚がありました。

まぁ・・・確かに大学の附属病院から医療備品を盗んで、
地域の困っている、施しが必要な人々に自由に解放するクリニックを設立して、
QOL(生活の質)を向上させるという手段自体は、決して褒められるものではないにしろ、
パッチの信念は今の予防医療や、緩和ケアの現実を考慮すると、決して間違ったことではないと思う。

むしろ、当時は評価されなかったであろうアプローチでしたが、
現代ではパッチの方法論の方が主流になりつつあり、医療の現場でもQOL向上は大きなテーマである。

最近ではQOLを向上させるための治療という考え方もあり、
医療の現場が、どこに目的を持って治療アプローチするのかということが多様化したという点では、
確実に医療が進歩している証(あかし)と言うことができると思います。これはパッチの頑張りがなければ、
QOL向上という観点からの医療の進歩スピードは、更に遅くなっていたのかもしれませんね。

事実として、協力する前はパッチの考えに否定的であった仲間たちも、
いざクリニックに通う患者たちと直接触れ合うにつれて、パッチの考えに共鳴する部分が増えていきます。

但し、この映画の大きばビハインドは主演のロビン・ウィリアムスだろう。
いや勿論、彼だからこそパッチのキャラクターを描けたというのはあるだろうけど、
逆に撮影当時のロビン・ウィリアムスが演じるにしては、彼は年をとり過ぎていた印象だ。
さすがに医学部に入学して、“医者の卵”というには周囲との年齢の差を感じずにはいられない。
そういった年齢の差には触れていないので、おそらく設定として年齢の差は無いのであろう。

それを考えると、残念ながらロビン・ウィリアムス自身の芝居で、その違和感を拭うまでは至っていない。

しかし、これはキャスティングのときにもっと気を配るべきだったところで、
尚且つロビン・ウィリアムスが適役だということであれば、もっと大胆な脚色をした方が良かったですね。
さすがに、あの年齢的な違和感を何も説明なしで映画を進めるというのは、ありえない選択肢だったと思いますね。

まぁ、パッチの信念は結果的に正しいにしろ、
彼が自分の主義主張を推すには、彼のやり方には問題があったというのが道徳的な見方だとは思う。

しかし、それを押し通せてしまうだけのパワーがロビン・ウィリアムスにあるだけに、
キャラクター設定上の違和感でビハインドを背負ってしまうのは、映画として勿体ないことだったと思います。

それと、個人的にはパッチのような医師は必要で、QOLを向上させるという意味で、
現代の医学の体現者の一人であることは間違いないと思うんだけれども、彼のようなタイプの医者が正解で、
積極的な医学的アプローチを行う医者は不正解のような類型的な構図を生み出すのは、チョット残念だった。

いろんな治療を必要としている患者がいるのが現実であり、
いろんなタイプの医師がいていいと思う。そう考えると、個人的にはどのタイプが正しくて、どのタイプは正しくない、
といったような単純化して語られるべきことではなく、パッチのような医師だからこそ、対極する存在も積極的に
認めるような人間性であって欲しいと思っていただけに、映画の終盤はどこか陳腐な帰結にも見えてしまった。

とは言え、映画はそこそこの満足を得られるヒューマン・ドラマと言っていい出来でしょう。

(上映時間115分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 トム・シャドヤック
製作 バリー・ケンプ
   マイク・ファレル
   マービン・ミノフ
   チャールズ・ニューワース
脚本 スティーブン・オーデカーク
撮影 フェドン・パパマイケル
美術 ジム・ネッザ
音楽 マーク・シェイマン
出演 ロビン・ウィリアムス
   ダニエル・ロンドン
   モニカ・ポッター
   フィリップ・シーモア・ホフマン
   ボブ・ガントン
   ジョセフ・ソマー
   イルマ・P・ホール
   ピーター・コヨーテ
   ハロルド・グールド
   ハーブ・プレスネル