ワン・フロム・ザ・ハート(1982年アメリカ)

One From The Heart

これは言葉を悪くすれば、カップルの痴話ゲンカを映画化した内容なのですが、
確かに映画の出来はそこまで良いとは思えないが、酷評するほど悪いというわけでもないと思う。

と言うのも、これは70年代に神格化されるほどの創作活動を展開した、
名匠フランシス・フォード・コッポラが、なんと突如として恋愛をベースにしたミュージカル映画を撮ったということが、
当時の映画界としては革命的なほどの“事件”と言ってもいいぐらいのトピックスで、本作はとても貴重である。

あくまで噂ベースですけど、79年の『地獄の黙示録』は未だに伝説と化したカルト的な名作ですが、
敢行したフィリピンでのロケ撮影中に、ハリケーンの直撃にあい、組んでいたセットが破壊され、
物理的な被害と時間的ロスを含んだ経済損失が甚大なものとなり、当時、コッポラが所有していた、
ゾーイトロープ・ロス・スタジオが、それらをコントロールできるスタジオ内でのセット撮影にこだわったらしく、
確かに本作は全シーンが、セット撮影を行われていて、やや独特な世界観を呈し、空間的制約を感じさせる。

全編、トム・ウェイツが書き下ろしたミュージック・スコアを採用しており、
持ち前のジャズ・センスの延長線上にあるとも言える、トム・ウェイツのストイックかつ内省的な雰囲気と、
少々アヴァンギャルドなポップ・センスを活かした音楽は、正に本作の趣向にピッタリと言えます。

コッポラはそういった実験的な映画の土台に、魅力的なエッセンスを吹き込み、
ある種、全く新しいミュージカル映画を構築しようとした、それまでのコッポラの監督作の路線をかなぐり捨てた
彼のフィルモグラフィーの中でも、一際異彩を放つ野心的なチャレンジであったことは過言でないと思うのですが、
残念ながら当時、欧米の映画評論家筋の評判は極めて悪く、商業的にも大失敗してしまったらしい。

確かに僕にもこの映画は、ひどく中途半端に映った。
主演のフレデリック・フォレストとテリー・ガーのカップルも悪くはないのですが、
どちらかと言えば、実力派俳優というイメージのある2人を組ませても、言葉は悪いけど、チョット華が無い。

主人公の友人であるモーを演じたハリー・ディーン・スタントンも“あんなルックスで”、
プレーボーイであるという、かなり無茶した設定だったんだけれども(笑)、彼もまた全くもって中途半端な扱い。

おそらくコッポラは本作を通して、彼の中での夢の世界を表現したかったと思うのですが、
その割りには主人公カップルの痴話ゲンカも、中身がということではなく、2人が醸し出す空気感が
ある種の倦怠感とも似たような雰囲気で全体的に重たく気ダルい。これが夢の世界とは程遠いのである。
でも、この映画のオープニング・クレジット、エンド・クレジットの造詣は信じられないぐらいファンタジックだ。

こんなことならば、僕はもっと主人公カップルをライトに描いても良かったと思うし、
それにはフレデリック・フォレストとテリー・ガーは、当時としても年をとり過ぎていたのではないかと感じる。
映画の冒頭にある、2人のケンカのシーンは、あまりにカップルの破局の感覚が漂い過ぎている。
これではコッポラの思い描く夢の世界とは、程遠かったのではないかと思える。結局、この映画はこういった
アンバランスさが至るところで埋まることが無く、映画の最後の最後まで抱えたままフィニッシュしてしまった。

どうせストーリーはたいしたことないわけだし、そんな工夫ができる余地があるわけでもない。
だからこそミュージカル映画というのは、作り手の見せ方が大事なはずで、この映画には勢いを作り原動力が無い。

だからこそ、こういったアンバランスは悪い方向でしか機能することなく終わってしまうし、
コッポラの描きたいことが見え隠れするだけに、彼自身がやりたかったことが空回りしているだけに見えた。

本作で商業的大失敗をしてしまったコッポラは、
結果としてゾーイトロープ・ロス・スタジオが倒産してしまい、半ば“雇われ監督”のように働かざるをえなくなります。
おそらくコッポラが真にやりたかったことを表現できたのは、本作で一旦、終わりという感じだったのでしょうね。
それくらいコッポラのキャリアの中で、本作にチャレンジして失敗したことが、ターニング・ポイントだったのです。
(まぁ・・・個人的には本作以降のコッポラの青春映画路線も、好きなんですがねぇ〜)

でも、こんなこと言っておいてナンですけど、僕はこの映画、嫌いではない(笑)。
個人的には「もっとフツーにミュージカル映画にすれば良かったのに・・・」とは思うけど、
それはそれでコッポラの本望ではなかったのかもしれないし、こういうチャレンジは応援してあげたい。

事実、この映画は2003年に映像リマスタリング版が製作されており、
おそらく欧米にも熱心なファンがいるのだろうと思う。それくらい、愛されて然るべき内容だ。

今思えば、これをスタジオ撮影とはかなり無茶したなぁと思いますけど、
ラスベガスの華やかな市街地の一角で群衆が踊るシーンを撮ったり、空港の駐車場で
何故かターミナルビルの真上を旅客機が低空で飛び立つシーンを撮影したり、さり気なく凄い演出をしている。
これらをスタジオ内にセットを組んで全て撮影してしまおうなんて、並みの監督はそんなこと考えないでしょう(笑)。

名カメラマン、ヴィットリオ・ストラーロが撮影に参加していることからも分かりますけど、
この映画、ヴィジュアル的には相当な苦労を強いられた部分も、結構多かったのではないだろうかと察します。
それくらいに、コッポラの強いこだわりを感じるがだけに、これはこれでコッポラらしい作品だと思います。

主演のフレデリック・フォレストは日本ではマイナーな役者さんですが、
本作ではテリー・ガー演じるフラニーを愛しながらも、ついついケンカしてしまって別れた挙句、
フラニーへの未練に駆られながらも、ナスターシャ・キンスキー演じるライラに浮気してしまうダメ男を演じている。

彼とテリー・ガーのことを華が無いなんて文句たれてしまいましたが、
この頃、フレデリック・フォレストはコッポラによく起用されていて、何と言っても同年の『ハメット』で演じた、
作家ダシール・ハメットが忘れられません。映画は本作と同様にヒットしませんでしたが、評価されるべき好演でした。
(まぁ・・・本作と『ハメット』が商業的大失敗だったために、彼に大きな役が来なくなったわけですが・・・)

前述したトム・ウェイツの音楽はピッタリなのですが、
トム・ウェイツもまた、この頃、コッポラに好んで起用されていました。彼自身、この頃が“分かれ道”だったんですね。

70年代、シンガソングライター・ブームの中でシャガれ声で弾き語り、
ポエトリー・リーディングのように即興的でありながら、内省的な部分を残した独特な音楽を展開してきましたが、
彼自身、実験的というか、オルタナティヴな方向性を志向していただけに、映画音楽は良い機会だったのでしょう。

実際に本作の音楽を担当してから、 Swordfishtronbones(ソードフィッシュトロンボーン)から、
求められる音楽性の違いから、レーベル移籍してますからね。本作の仕事をキッカケに彼の80年代が
動き始めたと言っても過言ではないと思います。そういう意味でも、本作は価値があると言えるのかもしれない。

(上映時間98分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 フランシス・フォード・コッポラ
製作 フレッド・ルース
脚本 アーミアン・バーンスタイン
   フランシス・フォード・コッポラ
撮影 ロナルド・V・ガーシア
   ヴィットリオ・ストラーロ
音楽 トム・ウェイツ
出演 フレデリック・フォレスト
   テリー・ガー
   ナスターシャ・キンスキー
   ラウル・ジュリア
   ハリー・ディーン・スタントン
   レイニー・カザン
   アレン・ゴーウィッツ
   レベッカ・デモーネイ

1982年度アカデミー音楽賞<編曲・歌曲>(トム・ウェイツ) ノミネート