遠い空の向こうに(1999年アメリカ)

October Sky

NASAの技術者であったホーマー・ヒッカムが自身の高校生時代の回顧録の映画化。

劇場公開当時、日本でも評判の良かった作品であり、今でも根強い人気がある作品です。
確かに、これはとっても良い話しで感動する。単純にストーリーとして面白いし、クライマックスも実に感動的だ。
タイトルにしても、原題の“October Sky”のスペルを入れ替えたら、“Rocket Boys”になるというのも僕は驚かされた。

この手の内容になると、米ソ冷戦時代に絡む宇宙開発競争の話しになるので、
NASA職員が原作者ということも考慮すると、政治的なメッセージに傾倒しがちなところもあるのですが、
本作は決してそういう流れに傾くことなく、あくまで一人の高校生の成長と親子の物語に終始している。

監督は『ミクロキッズ』、『ロケッティア』、『ジュマンジ』などのアドベンチャー性の高い映画を
中心に手掛けてきたジョー・ジョンストンですが、本作では一転してドラマ性の高い題材を選んできましたが、
実にストレートに実直に映画全体を構成していて、これまでのキャリアを上手く生かした仕上がりにしましたね。

とは言え、少しだけ気になるところもある。それが本作の良さでもあるのですが、
オープニングから暗すぎる。個人的にはここまで悲壮感溢れる雰囲気を作り込む必要がある内容だったのか、
疑問に思える部分があって、原作者のホーマー・ヒッカム自身がこの雰囲気をどう捉えていたのかが気になるなぁ。

おそらく...ですが、高校生時代に科学の魅力に取りつかれて、
良き教員と学友に恵まれて、ステップアップする機会を得たとは言え、半ば炭鉱で働くことが強制化されていた
家庭環境があったとは言え、ホーマー・ヒッカム自身もその全てを否定的に捉えていたとは思えないのですよね。
彼自身の父親への愛情を感じさせる作りではあるので、ここまで悲壮感や閉塞感を強調する必要はないと思う。
むしろ、彼の人生を変えたターニング・ポイントとなる時期を描いただけに、もっと明るく描いた方が良かったと思う。

あのような環境に相応の閉塞感があるのは分かるし、映画の中で語られて然るべきでしょう。
しかし、映画の冒頭からあまりに強調し過ぎていて、映画全体がその空気感に支配され過ぎている。

そのせいか、映画の終盤は一気に感動モードに突入するのですが、
前半の暗さをそのまま引きずってしまったせいか、どうにも強く心を揺さぶるとまでは言えなかったかなぁ。
個人的な意見ではあるけれども、この映画の場合はもっとメリハリが合っても良かったなぁと思う。
ホーマー・ヒッカムはきっと、“良い思い出”としてこの原作を書いたのでしょうから、もっとメリハリがあっていいと思う。

ベタではありますが、ホーマーの父を演じたクリス・クーパーが素晴らしい。
実際にホーマーを演じたジェイク・ギレンホールをまるで息子のように感じているかのように、
映画のラストでソッと肩を添えるシーンは、まるでジェイク・ギレンホール自身に「お疲れさん」と言っているようで、
なんだかジンワリと感動する。本作のグッと来るポイントは、ほとんどこの父が持っているのは間違いないだろう。
それはクリス・クーパーの板に付いた頑固オヤジっぷりが、あまりに素晴らしかったことが大きいだろうと思います。

ホーマーの父親は筋金入りの炭鉱マンで自分は誰よりも詳しいという自負があって、
実際に現場の責任者を務め、人員削減など縮小傾向を強める本社の背広組と、現場の組合員との狭間で
板挟みとなって頭を悩ませている。長男はフットボールで奨学金を得て大学へ進学する予定であり、
エネルギーの転換期を迎えつつあり、先行きが明るくはない炭鉱の町の未来に、彼なりに危機感を抱いていただろう。

要求が通らなければストライキを起こす組合側に対しても、ホーマーの父はフラストレーションを抱えていて、
本社サイドが一気に手を引けば、町は壊滅的な状態になるということを危惧していて、その危機に直面します。
長年勤めてきた炭鉱への愛着も強く、厳しい状況だったからこそ、本音では息子に継いで欲しかったのでしょう。

まぁ・・・日本でも、かつては似たような話しが地方では多くあったと思いますが、
過酷な仕事であるからこそ、「子にそういう思いをさせたくない」と自分の仕事に就かせたくはないと考える親が、
日本には案外多いのではないかと思います。ホーマーの父は反対に、息子に炭鉱で働いて欲しいと思っている。
それはホーマーの父自身に、炭鉱マンとして生きることに誇りを感じていて、後を託したいという思いからでしょう。

これは賛否両論で、親の夢や希望を子どもの世代に押し付けるような行動とも解釈される。
だからこそ、否定的な意見も多いのですが時代や地域性もあるので、僕は一概にホーマーの父を否定したくはない。

昔気質な頑固オヤジではあるが、ナンダカンダで息子の夢を静かに後押しする姿はやはり良い。
父親としても、なかなか素直になり切れない心があるのだろうが、息子に失望させる父親ではないようだ。
だからこそ、常にホーマーも父のことを“立てる”ようにするし、心の何処かで愛情を持ち続けていたはずだ。
それゆえ、ロケットの記念打ち上げの会場に父を呼ぶという、行動を忘れずに組み込んでいるのですよね。
これがホーマー自身が父に失望し、愛情を持てずにいれば、こういった行動はとれないでしょうからね。

だから、ホーマーにとっては決して“嫌な思い出”ではなく、“良い思い出”なはずなのですよね。
結果としてNASAの技術職員として長く働いたようですから、自分の礎を築いた時期でもあるので大事な時期ですよね。

往々にして、人々の人生にはこういったターニング・ポイントがあるものだと思う。
多少、後付けであっても、必ず人生には大きな岐路がある。ホーマーにとっては父との葛藤もあるが、
やはりローラ・ダーン演じる女性教師ライリーとの出会いだろう。彼女がコンテストへの出場を勧めなければ、
ホーマーの人生は大きく変わっていたと思う。ひょっとしたら、一緒に頑張った仲間よりも大きな存在かもしれない。

そういった分岐点というのは、人生どこにあるか、いつ出会うか分からないものです。
ホーマーのように学校にあるかもしれないし、家庭にあるかもしれない。全く別な接点から得られるものかもしれない。
そして、その分岐点によっては、必ずしも人生が好転するものだとも限らない。悪く転がってしまうことだってあります。
皮肉なもので、その答えは後の方になってみないと分からないから、生きるというのは難しいことだとも思います。

ホーマーの想いが本作にダイレクトに反映されているとすれば、
映画のラストシーンで主要登場人物のその後がビデオ紹介されていることから分かるように、
彼の人生の岐路で出会った、全ての人々に対する感謝と深い愛情が感じられるメッセージは込められていると思う。

それを本作でジョー・ジョンストンが表現できただけで、本作の映画化は成功だったのだろうと僕は思います。

日本というか、自分の暮らす北海道にも本作の舞台となったコ−ルウッドのように、
炭鉱で栄えた町が多くあります。特に空知地方には多く、60年代後半から徐々に時代は石炭から石油にシフトし、
70年代に入るとその流れが加速し、今となってはそういった町のほとんどは過疎化に苦しんでいます。

そういった町と訪れると、いつもかつての栄華の時間を思い起こさせる片鱗が残されたりしていて、
時代の変遷の残酷さを感じさせられます。当然、それは仕方のないことではあるのですが、当時の栄華を知っている
愛着のある人々からすると、今の姿には様々な思いがあるでしょう。ホーマーの父親を観ていても感じるのですが、
「炭鉱が無くなると、町が死んでしまう」という危機感を常に持ち続けていたものの、住人である彼らにできることは
炭鉱を守ることぐらいなので、頑なに目の前のことに精進するということなのかも。それは責任感からくるものでしょう。

北海道の炭鉱が作っていた集落は、既に限界集落を超えて、無人地帯になって自然に帰ったり、
ダムの底に沈められてしまった事例もありますが、そこにはたくさんの人々の色々な思いが宿っているのでしょう。

そう思うと、夢を持ち追い続けることの尊さと、現状を維持することの難しさを感じさせる作品ですね。
夢を持ち続けられたからこそ、ホーマーはNASAに入り技術者としての人生を全うできたのだろうし、
ホーマーの両親も葛藤しながらも真っ直ぐに育てたからこそ、実際に本作の企画が立ち上がり、映画化されたのです。

実話をモデルにした原作とのことで、どこまでが事実に基づいた内容なのかは分かりませんが、
主人公ホーマーのパーソナルな内容でありながらも、ここまで良い意味で万人ウケする仕上がりにしたのは実に見事。

(上映時間107分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ジョー・ジョンストン
製作 チャールズ・ゴードン
   ラリー・フランコ
脚本 ルイス・コリック
   ホーマー・ヒッカムJr
撮影 フレッド・マーフィ
美術 トニー・ファニング
衣装 ベッツィー・コックス
編集 ロバート・ダルヴァ
音楽 マーク・アイシャム
出演 ジェイク・ギレンホール
   クリス・クーパー
   ローラ・ダーン
   クリス・オーウェン
   ウィリアム・リー・スコット
   チャド・リンドバーグ
   ナタリー・キャナディ