北北西に進路を取れ(1959年アメリカ)

North By Northwest

これはヒッチが仕掛ける“巻き込まれ型サスペンス”の名作ですね。

広告会社の重役ソーンヒルが、仕事の打ち合わせで訪れたホテルのレストランで
誰かに間違われたように謎の男たちに連れ去られ、辿り着いた先の郊外の屋敷では自分のことを
カプランというスパイと勘違いしている男の尋問を受け、無理矢理に酒を飲まされて、酒酔い運転で脱走し、
警察に逮捕され裁判にかけられ、自ら身の潔白を晴らすことを誓うも、全ての証拠は跡形も無くなっている。

屋敷で脅迫したタウンゼントという男は、国連で演説する予定だと聞き、
ソーンヒルは自身の無実を証明すると共に、脅迫されている謎を解明するために、国連に赴き、
ダウンゼントと接触を試みますが、タウンゼント本人は尋問した男とは別人だった・・・という物語。

ここからはソーンヒルが長距離列車に乗ってシカゴへ向かう道中で、謎めいた女性イブ・ケンドールと出会って、
恋に落ちたり、自分を脅迫しタウンゼントに成り済ました人物の謎に触れたり、彼らのアジトに潜入したりと
50年代に黄金期を迎えたヒッチコックの集大成と言ってもいいくらいに、エンターテイメント性高い作品だ。

そう、これはヒッチコックの監督作品で最も顕著にエンターテイメントにシフトした作品でしょう。
ここまで一つ一つのスリルや謎解きのトリックよりも、観客を楽しませることに注力したヒッチコックは珍しいです。
映画も緊張感に満ち溢れたというよりも、常にテンポを意識した構成になっているようで、次から次へと展開する。

ただ、敢えて言わせてもらうが、映画はソーンヒルがラッシュモアへ向かうあたりから、冗長に感じられた。
たくさんのエピソードを詰め込んだ作品ではあるけど、冒頭から飛ばし過ぎたせいか、終盤は息切れ気味に見える。

それから、イブ・ケンドールを演じたエヴァ・マリー・セイントが気になる。
女性に年齢のことを言うのはご法度ではあるけど、さすがに26歳の雰囲気とは言い難い。
彼女は撮影当時、30代半ばでしたが、別に実年齢通りのキャラクター設定でも良かったのではないかと。
ラブ・ストーリーのヒロインは20代でなければという、プロダクション等の意向はあったのかもしれないけど、
実際の映像観ても少々違和感はあったし、こういう発想そのものが古臭い。彼女は大人の魅力があるからこそ、
ケーリー・グラントのようなベテラン俳優とのロマンスも違和感なく演じることが出来たはずで、不自然ではないのに。

当時のハリウッドはこういう規模の大きな映画の主役と言えば、ケーリー・グラントのような
ベテラン俳優が多かったですからね。個人的には必ずしも若い女優さんでなくとも、いいと思うんですけど。。。

それから、悪役を演じたジェームズ・メイソンも少々物足りない。もう少し絡んできて欲しかった。
主人公のピンチにしつこく絡んできたという意味では、彼の手下を演じたマーチン・ランドーの方が印象深い。
マーチン・ランドーも若い頃は不遇の俳優さんでしたが、年老いてからの評価で一気に名優になりました。
そうなだけに、本作のような若い頃の出演作品でここまで目立っているのは、珍しいのではないでしょうか。

映画の冒頭はソウル・バスがデザインしたタイトルデザインは映画史に残るものですね。
ヒッチコックは前作の『めまい』でソウル・バスと組んで、スゴい気に入ったようですが、確かに当時としては前衛的だ。

個人的には本作の頃から、ヨーロッパ映画界でヌーヴェルヴァーグ≠ノ代表される、
ニューシネマ・ムーブメントが巻き起こり、これまでとは違ったアティテュードを映画の中で見せていこう、
新しい映像表現を追求しようとする動きが活発化しつつあっただけに、どちらかと言えば後発だったハリウッドでも、
こうして少しずつ新しいものを映画の中に採り入れていこうとする部分は、見え隠れしてはいるのですよね。

ヒッチコックは別にアメリカン・ニューシネマに取り込まれたわけではないし、
むしろアメリカを離れて、故国イギリスでの創作活動に勤しむようになったので、おそらくヒッチにとって、
ハリウッドで吹き荒れたアメリカン・ニューシネマの荒波は、活動しづらい状況になったのではないかと思われます。

しかし、そんな中でも50年代から、こうした積極的な姿勢があったからこそ、
後年の映画があったと思えば、やはり50年代に全盛期を築いたヒッチの高みは、本作のような作品にあると思う。

それから、この映画はビスタビジョンの仕事として、相変わらず映像が美しい。
このカラー・フィルムの美しさは特筆に値するし、最近はリマスタリングの技術力も凄いので、
こういう往年の名画が美しい映像で観れること自体が、実に素晴らしいことだと思うのですが、本作は“素”が良い。

ソーンヒルも言わば、“間違われた男”のようなものですが、
この頃のヒッチコックは少しばかりのトリックを劇中に隠しながらも、ほとんどのタネは明かしながら、
実に堂々と真正面から小細工せずに映画を撮るので、なんとも清々しいというか、落ち着いて観れる。
本作は特に顕著ですが、観客に謎解きをさせるというよりも、主人公と一緒になってハラハラドキドキさせるのが中心。
勿論、ソーンヒルなりに真実に迫ろうとはしていますが、そのカラクリも映画の途中でほとんど種明かししてしまう。
と言うことは、ヒッチコックはこの映画がとって、謎解きはあまり重要な意味を持っていないことを認めているようなもの。

だからミステリー映画としてよりも、本作は娯楽映画に寄っているような楽しみがあると思うのですよね。

個人的には、シカゴへ向かう長距離列車での追跡側である警察との駆け引きに、
イブ・ケンドールが絡んでくるエピソードはもっとジックリ描いて欲しかった。もっとスリリングに出来た部分だ。
ソーンヒルがベッドに隠れるというだけでは、どこか盛り上がるに欠けるし、もっと警察をしつこい存在として欲しかった。

どうせ、エンターテイメント性を追求するのでしたら、“追いかけっこ”はもっとしっかり描いて、
ソーンヒルが命からがら生き延びて真実に近づくというスタンスに徹して欲しい。この映画は、少しキレイ過ぎる。
ケーリー・グラントを泥臭いキャラクターとしては描きづらかったのかもしれないけど、スマートに見え過ぎますね。
もっと自堕落で色々とだらしなく、ドジなところがあるくらいのキャラクターの方が、この映画には映えると思う。

言ってはナンですが、ソーンヒルはフツーのサラリーマンですからね。肩書としては、偉いようですが。
まぁ、体型もスポーツマンのようだから、それなりに動けるとしても、ソーンヒルの行動がキレイに上手くいき過ぎる。
こうなってしまうと、どうも僕は“入り込めない”なぁ。超人的なキャラクターを描きたいわけではないのですから、
もっと人間臭い部分を描くべきだし、そう簡単に上手くいかない中で、一緒にクリアしていくのを観るのが良いわけで。

僕は本作の登場とヒットが、60年代以降の映画に大きな影響を与えたと思います。
もっとも、当時はハリウッドでは西部劇が娯楽映画の主体であったように思いますが、本作は現代劇として
映画の中でエンターテイメントを追求する一つの方法論を提示したように見え、単なるサスペンス映画ではありません。

派手なアクション・シーンはまだありませんけど、長距離列車で追跡隊をかわすシーンは、
『007/ロシアより愛をこめて』を思い出すし、クライマックスの攻防は当時の出来る限りのスリルを演出している。

そんなヒッチコックは本作を撮影した後、突如として低予算で60年に『サイコ』を撮り、
かの有名なシャワーでの惨殺シーンなど、白黒映像で表現したことでセンセーショナルな大きな話題を呼びました。
確かに充実していたであろう50年代の名作たちがあって、本作で来たる60年代の素晴らしい活躍を
予期させていただけあって、常に挑戦意識が高く、低リスクな創作活動に傾倒する気は無かったのでしょう。
なんせ、本作の後は前述した『サイコ』、そして当時としてはかなり斬新な内容だった『鳥』と続きましたからね。

本作はヒッチコックにとって一つの区切りになった作品だったのではないでしょうか。
個人的にはヒッチコックの最高傑作だとは思わないけど、それでも頂点にいたからこそ成し得た名作だと思います。

(上映時間136分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 アルフレッド・ヒッチコック
脚本 アーネスト・レーマン
撮影 ロバート・バークス
音楽 バーナード・ハーマン
出演 ケーリー・グラント
   エヴァ・マリー・セイント
   ジェームズ・メイソン
   マーチン・ランドー
   ジェシー・ロイス・ランディス
   レオ・G・キャロル
   エドワード・ビンズ
   ロバート・エレンスタイン

1959年度アカデミーオリジナル脚本賞(アーネスト・レーマン) ノミネート
1959年度アカデミー美術監督・装置賞<カラー部門> ノミネート
1959年度アカデミー編集賞 ノミネート