北北西に進路を取れ(1959年アメリカ)

North By Northwest

これはヒッチコックお得意の“巻き込まれ型サスペンス”の名作の一つですね。

ヒッチコックは50年代に数々の映画史に残るようなレヴェルの名作を監督していますけど、
やっぱり本作はそんなヒッチコックの全盛期に区切りを付けるかのような決定版であったのも事実だと思います。

他のヒッチコックの監督作品と比較しても、映画自体がゴージャスで華やか、且つエンターテイメント性に優れている。
映画の冒頭のオープニング・クレジットから幾何学的なデザインを駆使して構成するなど、斬新さもあって良いですね。

この冒頭のデザインも、ヒッチコックとの名コンビで知られるソウル・バスが担当していました。
『めまい』に続いてソウル・バスを起用しましたが、実はヒッチコックとソウル・バスは3作品でしか組んでいません。
それでも、これだけのインパクトをもって語られるわけですから、影響力はとっても大きかったということだと思います。

ケーリー・グラント演じるソーンヒルが突然拉致されて、大量の洋酒を無理矢理飲まされて、
訳の分からないことを尋問され命からがら監禁された屋敷から逃げるものの、飲酒運転で警察に検挙されます。
拉致の謎を解くためにソーンヒルは、屋敷の持ち主である男がいる国連に出向きますが、目の前で男が何者かに
殺害されてしまい、殺人犯として誤認されたソーンヒルは一転して指名手配犯として“追われる身”となってしまいます。

映画はそんなことから始まる大騒動を描いた“巻き込まれ型サスペンス”のお手本のような作品であって、
そこにエヴァ・マリー・セイント演じる謎めいたミス・ケンドールという女性が絡んできて、大冒険を展開します。

さすがにケーリー・グラントもそこそこ年齢を重ねていた頃の出演作品であり、彼の母親も登場するのですが、
あまり年齢差がない親子に見えちゃって微妙な感じですが(笑)、ミス・ケンドールを演じたエヴァ・マリー・セイントも
撮影当時35歳だったとは思えないくらい、大人な女性の魅力をプンプン漂わせているのもアンバランスに見える。

正直、ケーリー・グラントとエヴァ・マリー・セイントの年齢差は気になりましたけど、
それでもエヴァ・マリー・セイントが実年齢よりも、少し大人な雰囲気を漂わせている女性なので、その差は埋まる。

映画は2時間を大きく超える尺の長さではありますけど、ヒッチコックの歯切れ良く、テンポも良い演出のおかげで
しっかり見応えはありつつも、そんな長さを感じさせるような中ダルみは一切無い、スリムさが光りますね。
長距離列車を使った駆け引きや、終盤のラシュモア山での攻防と、スリリングでいてエンターテイメント性を追求した、
これまでのヒッチコックには無かったアプローチを感じさせる、野心的な作りと言っても過言ではないと思いますね。

もう一つ、本作でスポットライトが当たるのはソーンヒルが間違えられる“カプラン”という男の存在だ。

“カプラン”の正体については、かなり早い段階で明らかにした上で映画を進めていくのですが、
これは如何にもヒッチコックらしい、いわゆるマクガフィンと言ってもいい存在であって、正体自体に大きな意味はない。
この“カプラン”について、実は裏で色々な工作活動が行われている、というスパイ映画の様相も持っているのですね。

ここで絡んでくるのは、レオ・G・キャロル演じる“教授”と呼ばれる男の存在なのですが、
この“教授”がソーンヒルに直接接触してくるあたりから、映画の動きは激しくなっていき、盛り上がりを見せます。
そこにミス・ケンドールも絡んでくるというのは、ほぼほぼお約束の展開ではありますが、まずまず上手く構成している。

とは言え、悪党のヴァンダムを演じたジェームズ・メイソンにはもっと見せ場を作ってあげて欲しかった。
あまりにスマートに見せ過ぎというか、クライマックスの攻防に於いても直接的に絡んでこないので存在感が無い。
ラシュモア山での攻防はほとんどマーチン・ランドー演じる側近に任せっきりのアクションになるのは物足りないなぁ。

やっぱり、せっかくエンターテイメント性の高い作品に仕上げるのだったら尚更のこと、
悪党はもっと手強く、しつこく絡んでくる観客にとって大きなストレスとなる存在として描いて欲しかったし、
もっと強いインパクトを残す悪党でなければ、映画の終わりにカタルシスは無い。ここは本作の難点だと思いました。

とは言え、本作でヒッチコックがやっていたことの先進性を象徴するのは、
映画の中盤にあるソーンヒルが“カプラン”に会うために、畑のド真ん中にあるバス停に佇んでいたところ、
突如として農薬散布を行っていた小型飛行機がソーンヒルに向かってきて、襲い掛かってくるシーンでしょうね。
この時代の映画であんなことを真正面から誤魔化しなしにやっていたのは、おそらくヒッチコックくらいだと思います。

派手な映像効果を使えたわけでもなく、当時のヒッチコックが気に入っていたと思われる、
3D映像を使うわけでもなく、出来る限り本物の映像にこだわって撮影し、臨場感たっぷりのアクションになっている。
この感覚を1950年代の映画で実現していたというのは僕は驚きでしたし、ヒッチコックのパイオニアぶりを感じます。

人違いから命を狙われたりするというのは、ヒッチコックも本作以前の作品で描いていたことですが、
この映画の主人公は自分で謎解きしようとするし、しかもヒッチコックは早い段階で手の内を明かしてしまう。
それを適当なタイミングで俯瞰的に全体像を見せながら、ソーンヒルが置かれている状況を整理して映画を進め、
クライマックスの見せ場に向けてテンションを上げていくという手法で、これは当時としては斬新なアプローチだと思う。

まぁ、このラシュモア山でのクライマックスの攻防は結構、荒唐無稽な演出を重ねているのですが、
僕はギリギリで許容したいところ。ミス・ケンドールの手をギリギリのところで取ってラストカットにつなぐのも見事。

こういうところがヒッチコックの演出のオシャレ感につながっている部分もあるとは思うけど、
いつものチョットしたユーモアとかが本作にあるわけではないので、いつものヒッチコックの映画とは少し違うかも。
どちらかと言えば、本作のヒッチコックでは前述したように娯楽映画寄りのスタンスをとっているのが影響している。
なのでヒッチコックらしさを本作に求めると、ひょっとすると少し肩透かしを喰らうところがあるかもしれませんね。

欲を言えば、長距離列車の食堂車でソーンヒルとミス・ケンドールが会話しているうちに、
列車が止められて警察が列車内に乗り込んでくる一連のシークエンスで、もっとスリルを演出して欲しかったなぁ。
結構なピンチなはずなのですが、どこか緊張感がないというか、折りたたまれるベッドに隠れるだけでは面白くない。
もっと執拗に刑事たちが絡んでくるようなしつこさがあっても良かったし、もっと冷や冷やさせられる感覚が欲しい。

それからソーンヒルが冒頭のプラザホテルで人違いされるキッカケとなったシーンも、軽過ぎるように感じた。
いくら「カプラン、カプラン」と近くのボーイが連呼したからと言って、こうも簡単に勘違いされるのかと疑問には思える。
拉致する連中もヴァンダムの手下なので、もうチョットは人違いされるに相当する大きな仕掛けが欲しかったかな。

さすがに全てが全てに、ヒッチコックも集中することは難しかったのか、こういう勿体ない部分はあります。

本作はヒッチコックにとって一つの集大成的作品であったことは否定できないでしょう。
やっぱり思い返せば、1950年代のヒッチコックは映画監督としては最も充実した時代であったのは間違いないです。
本作で色々と詰め込んでやりたいことをやったからこそ、本作の次は白黒映画に戻って『サイコ』だったのかもしれない。
それくらい、本作の製作には気合が入っていたと思うし、スタジオの期待も相当に高かったのではないかと思います。

それにしても・・・2025年11月現在ですが、ミス・ケンドールを演じたエヴァ・マリー・セイントはご健在なんですね。
御年101歳というご年齢ですけど、ハリウッドでもトップクラスの長寿ですけど、本作の頃が人気絶頂期なのかな。
なんせ、1954年の『波止場』でデビューして、いきなりアカデミー助演女優賞を獲得したわけですから大ベテランです。
もう現役女優というわけではないですけど、この時代を現役で知る映画人は多くいないですからね。貴重な方です。

ホントはミス・ケンドール、20代半ばという年齢設定らしいのですが、
これはヒッチコックの意向だったのかは分かりませんけど、実年齢と同じ設定でも映画は成立したと思うのですがね。
実際、ケーリー・グラントとエヴァ・マリー・セイントのカップルは十分に映画を彩る魅力があって、大人な恋愛という感じ。

映画の序盤ではタクシーを横入りして自分勝手に乗り込んで行ったり、ソーンヒルは結構イヤな奴なのですが、
ミス・ケンドールも仕方なしにソーンヒルに近づいて色仕掛けという作戦だったのが、いつしか本気の恋になっていく。
それにつれて、ソーンヒルも人間らしくなって見えてくるのは、エヴァ・マリー・セイントの引き立てあってこそと思った。

ヒッチコックはやはりブロンド美女がお好みのようでしたけど、どうしても若いヒロインにしたかったのだろうか?

(上映時間136分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 アルフレッド・ヒッチコック
脚本 アーネスト・レーマン
撮影 ロバート・バークス
音楽 バーナード・ハーマン
出演 ケーリー・グラント
   エヴァ・マリー・セイント
   ジェームズ・メイソン
   マーチン・ランドー
   ジェシー・ロイス・ランディス
   レオ・G・キャロル
   エドワード・ビンズ
   ロバート・エレンスタイン

1959年度アカデミーオリジナル脚本賞(アーネスト・レーマン) ノミネート
1959年度アカデミー美術監督・装置賞<カラー部門> ノミネート
1959年度アカデミー編集賞 ノミネート